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「建築」の意味するものは深く広い。
たとえば日本建築学会(1886~)においては、三つの領域、すなわち学術・技術・芸術の進歩発展をはかることを目的としている。この内、学術を「科学と工学」に分けてみると4つの言葉が浮かんでくる。それぞれの定義は難しく、見解の分かれるところではあるが、主な要素を抽出してみると色々と興味深い相関性がみえてくる。
まず、「芸術と科学」は人間の空想の所産であり、時代を軽々と超えることができる。一方「技術と工学」は人間が考え、創り出した事象であり、時代に従属し、社会のニーズに応じで絶えず変化していく。「科学と工学」は仮説・工夫を立ち上げ、検証のフィルターを通り抜けていきながらやがて一般性をもち得ていく。あるアイディアが閃く、という点では「技術と科学」は同じであり、「科学と工学」があれば、どんな「技術」もできると考える近年の風潮は危険だ。逆に言えば、「科学・工学」がない時代でも技術的かつ芸術的な人類が誇りとする素晴らしい遺産は世界中に数多く存在している。
一番の問題は「芸術と技術」。技術は科学的論理や芸術性がなくても、与えられた目的に対してどう対応するかが最も評価されることとなる。一方、芸術は人間の魂を揺らし感動を呼ぶことが命である。そこに満たすべき具体的な目標があるわけではない。とすれば両者の共通点は何か。それはいずれも人間の創造的所産であり、本来その創造活動は極めて個別的であるということだ。O.アラップの発した名言がある。「技術は科学より芸術に近いと言える。技術の問題は漠然としていて、その解決法はひとつではなく無数にある」と。
「芸術と技術」のもう一つの解釈は、両者を対峙させること。いま前者をイメージ(つくりたいもの、想像力、空間、意匠、"I")、後者を科学と工学を背景にしたテクノロジー(つくれるもの、実現力、技術、構造、"T")と呼称してみる。イメージしたものを実現する「技術」へのベクトルがあると同時に「技術」のもつ多様なポテンシャルが魅力的な建築空間・形態を拓くベクトルもある。一般的にいう建築デザインや構造デザインという言葉を超えて、互いを融合させ、触発・統合させる双対的なベクトル。その有様(プロセスや成果)をアーキニアリング・デザイン(Archi-Neering Design : AND)と呼びたい。
構造技術の第一義は安全性の確保と経済性の向上である。その上でエンジニアに求められる+αは創造性。素材・構法・工法にわたる熟考と工夫、新しきものや美しさへの憧れや情熱が問われる。IとTを結ぶ2つのベクトルを動かすものは+α。ここに「構造デザイン」の鍵がある。ANDの言葉の意味する"I"と"T"は、職能的に言えば、たとえばアーキテクトとエンジニアに分けられそうだが、古に遡ってみると、「匠」や「棟梁」といったひとりの個人の中に「二つのベクトル」が見事に融合されている。時として、それは今も変わらない。結局ANDとは、古今東西、相通じる理念にちがいない。
思いおこせば「AND」の言葉が建築学会から発せられたのは2007年。新潟県中越地震(2004)や耐震強度偽装事件(2005)が続いたこの頃、建築界の失われた信頼を社会に取り戻し、建築の魅力や役割を自分達で確認し、共有したい。「AND展」」(2008~)の開催はその思いをカタチにすべく、タイトルは「模型で楽しむ世界の建築」となった。
AND展の主役は150点を超える模型・パネル。主に建築を学ぶ学生がプロの建築家・構造家と協働した作品の数々は圧巻の出来栄えであった。古今東西の傑作・話題(問題)作を含め、その選択基準の特徴は多様性。すなわち
▹ さまざまな用途とスケール
▹ 個性的だけでない普遍的創造
▹ デザインプロセス(発想・協働)
▹ ホリスティックデザイン(設計~建設)
▹ 美しさと合理性の追求
▹ 仮設・改修・環境のデザイン
▹ 都市のインフラから家具まで
結局、今回のAND賞設立にあたっては上記が応募対象や評価軸となったわけである。
AND展がスタートしたのは2008年。日本全国9支部や凱旋展、台湾から中国への海外巡回展、そして2016年からの建築会館でのミニAND展など大変な回数を重ねることができた。特に印象的だったのは中国での歓迎・熱狂ぶり。土木と建築、意匠と技術といった垣根をこえた理念が殊更、新しいものと受けとられた。そして数年前、「中国でAND賞をつくりたいので協力してほしい」との声が舞いこんだ。私たちにとっても以前からの懸案でもあった。「日本でのAND賞設立」の気運が高まり、具体化への動きが早まったのは中国の方々のおかげと思う。
建築学会をはじめ各協会や地方団体・企業によるさまざまな「建築賞」がある。受賞の多くは建物・建築あるいは設計者・施工者を対象としている。
AND賞では設計者や設計・建設された完成品を表彰するだけでなく、発想から完成に至るプロセス(物語)や普遍性のある工夫・発案(力点)を注視したい。「貢献した“人”ではなく“もの”を表彰する。優れて一般化されてはいるものの、その裏にかくされている知恵や実績に対して評価したい」とする「内田賞」(1988~2001)にも相通じる視座ではないだろうか、と考えている。
第1回となる今回のAND賞のフライヤーには、賞のシンボルとして川口衞先生の「ジャンボ鯉のぼり」(1988~)を掲げさせて頂いた。「次元解析」の閃きと共に科学と工学を駆使した渾身の技術が比類なき「構造芸術」を生んだ。まさにANDの世界。こうしたデザインプロセスや成果を表彰する「AND賞」の舞台をつくりたいと願っている。
AND賞設立の、2020年は東京オリ・パラの開催年でもあった。予想だにしなかった新型コロナウィルスの感染拡大により五輪開催は延期となり、4月4日に予定されていた「AND賞設立記念シンポジウム」は中止。急遽、講演のみオンラインでの発信となった。
第一回の選考に当たっては堀越英嗣(委員長・建築家)、陶器浩一(構造家)、磯達雄(ジャーナリスト)の三氏にお願いした。10月10日(土)(前回の東京1964五輪の開会式当日)の「AND賞設立記念フォーラム」での講演の中に、期せずして全員から山本学治の論考―「凧の糸」が引用されていた。AND賞のイメージが共有されていると強く感じられた。
一次選考(2020年12月19日)から最終選考(2021年2月6日)へ。入選作品(12件)のプレゼンテーションに続き、AND賞のあり方を方向づける真摯な議論と活発な意見交換が行われ、建築会館ホールにおけるハイブリッド方式のオンライン公開選考会は大成功であった。三人の選考委員の努力がAND賞設立の礎を築いてくれたものと感謝する次第です。
今回、多くの皆さんの応募(55件)が何より大きな力となった。AND賞の今後の発展を楽しみに期待したい。
(MS)
コーディネータ:神田 順
パネリスト:
小栗 新(アラップ東京代表):シドニーオペラハウスにおけるArupの足跡(仮題)
山本想太郎(建築家):設計競技の視点から(「みんなのコンペ論」著者)(仮題)
斎藤公男(A-Forum代表):アーキニアリング・デザインの視点から(仮題)
日時:2021年4月15日(木)18:00~20:00
会場:オンライン(Zoom)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第36回AFフォーラム参加希望」と明記ください。
シドニーのオペラハウスは、建設中からシドニーの市民はもとより世界の注目を集め、シドニーの顔をして存在感のある名建築と誰もが認める形で登場した。国際コンペでヨーン・ウッソンの設計案が選ばれ1957年に設計が決まったものの、構造的に成立するためにアラップによる提案が1962年になってシェルの設計が決まり、その後も、大ホールをコンサート専門にするなどのインテリアの変更から1966年にウッソンは設計者を辞任するなど、波乱万丈の経緯を有するという意味でも名高い。竣工には予定より10年遅れて1973年、工費も当初の14倍と言われるが、市民の待ち望んだ建築として祝福され、今も多くの人に愛される建築となっている。この建築から我々は何を学ぶことができるか。設計競技(コンペ)の意義、形と構造、魅力の秘密などについて、3人のパネリストに語ってもらう。
参考:OPERA HOUSE ACT ONE by David Messent(1997・ISBN:978-0646322797)15章からなるノンフィクションで63の写真付き。Bennelong Point が原住民の物語としてスタート。Fort Macquarieが建設された(1821年)。砦としては役に立たないと酷評。1902年には取り壊されて市電操車場に。1915年くらいから音楽関係施設を作る話が生まれた。コンペまでの経緯も綴られる。Eugene Goossens(SNOの指揮者就任1947年)がBennelong Pointにオペラハウスを主張。建築のProfessor Molnarの学生がオペラハウスを設計(1951年)。1955年5月州政府がBennelong Pointをオペラハウスの敷地に決定。当初は、国内としていたものの国際コンペを実施。Eero Saarinenの推薦もあり、デンマークのJorn Utzonが選ばれた。4章では、Utzonについて書かれている。デンマークのハムレット縁のクロンボー城にも触れられている。メディアでは、コストがかさみそうなことも含めてさまざまに議論された。ライトのSensationalismとの批判も寄せられた。一方、多くのサポータから寄付も寄せられた。
5章で、Ove Arupが協力を申し出て、実施設計へと移る。6章では、基金集めのこと、7章(基壇)では、建設契約や、Arupの雇った若いマレーシア人の事故死のこと。8章では地下工事も含むスラブレベルでの委員会と建築家と技術者のやり取り。9章でシェルの設計の話。Nervi, Esquillan, Candelaの複雑な構造はコンペではなかった。技術者と建設会社の調整が大変であるとの委員会の認識。Arupの実現に向けての執念。UtzonもWe are working beautifully togetherと語っている。10章は、シェルの工事の準備段階。11章はシェルの柱の変更。12章水平思考では、施工段階でも構造形式の変更などが記されている。13章は重量と計測。冒頭にCandelaがオペラハウスのシェルは建てること不可能と言ったことが記される。1967年1月最後のシェル部分が建てられ3年2か月の工事の見通しが立った。14章ではタイル。15章はタイル工法におけるArupの試験やUtzonのこだわりが功を奏した。しかし、Utzonはとうとう完成したオペラハウスを見ずに1966年シドニーオペラハウスの建築家を辞しオーストラリアを去った。
日時:2021年3月27日(土)15:00〜18:30(予定)
会場:オンライン(Zoom)
概要・趣旨説明:中村良和
プレゼンテーション:
1.「瓦職人(屋根仕上業者)の世界」:(株)坪井利三郎商店 代表取締役社長 坪井 進悟
2.「鉄加工建材メーカーの世界」:カツデンアーキテック(株) 代表取締役社長 坂田 清茂
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第19回AB研究会参加希望」とご明記ください。
現在その供給構造は既存の量産部品化がベースとなっており、一般の建築設計や生産現場に対して、構造、デザイン、デティール等の自由度喪失や技術能力低下といった影響が顕在化している。また、前回(第18回)のAB研究会では蟹沢先生から改めて職人不足を中心とした問題の現状と深刻さが報告された。
このままだと、行き止まりの袋小路に行き詰った状態のまま、建築・住宅の供給構造は停滞して行き、顧客も含めた全てのプレイヤーに未来が無いように思われる。
設計・部品生産・建築現場・品質保証といった一貫・連続していながら、それぞれがもっと顧客・地場に近く、自由度が高く且つ経済合理性が高いサスティナブルな供給構造に変革させて行く可能性はあるのだろうか。 そこで今回は、建築設計者があまり直接接触していない協力事業者(専門工事店や建材メーカー)に注目したい。
専門職(サブコントラクター)はBtoBということもあり、建築規模的にもエリア的にも小から大まで比較的に広範囲な事業展開をされています。その中でも専門職人・技術者の育成等も含めて事業継続性を克服されている事業者トップに現状と課題や取組み等をお聞きして、専門職(サブコントラクター)の世界を垣間見ながら、代替わりの秘訣や新しい職能ネットワークの可能性等について議論を展開したい。
コーディネーター:金田勝徳
パネリスト:大橋好光、稲山正弘、榎本長治
日時:2021年2月18日(木)18:00