第52回AFフォーラム+KD研1-13
「感性と技術とAIと― 空間と構造の交差点をめぐって」

日時:2024年06月15日(土) 14時~
コーディネータ:斎藤公男
パネリスト:
「効果的加速主義と効果的利他主義を超えられるのか」加藤詞史(加藤建築設計事務所)
「現代建築が忘れていること―失われていく五感の感覚」堀越英嗣(芝浦工業大学名誉教授、東京藝術大学客員教授/建築家)
「ネオ・クリエイティビティ(+共創)の探求 Exploring Neo-Creativity」松永直美(レモン画翠)
お申込み(リンク先にて会場参加orZoom参加を選択してください。):https://ws.formzu.net/fgen/S72982294/

Youtube:https://youtu.be/WEaL2Q8-fn4

お茶の水の地に生まれたA-Forumは昨年末(2023.12)に無事、10周年を迎えることができた。思いおこせば2013年12月頃、建築界の話題の中心は何といっても2020年・東京五輪の「新国立競技場」。国際デザインコンクール(2012)によって最優秀案に選ばれたZaha Hadidの計画案の推移に注目が集まっていた。約半年にわたって(ひそかに?)進められていたフレームワーク設計がほぼ終了し、基本設計がスタートする直前の緊迫した空気を思い出す。その1年後、第5回AFフォーラム(2014.12.8)でも新国立をめぐる多様な視点(計画と技術)が熱く議論された。突然、計画が白紙撤回(2015.7.17)された翌月には第9回AFフォーラム「大屋根が動く、ということ」(2015.8.27)、そして約8年続いたAND展の凱旋展を記念して「新国立の現実と幻の狭間」と題したフォーラムが開催された(2016.1.25)。国際コンクールで選んだ「ZHの新国立」を実現できなかった日本国のとるべき責任は重く、急逝したZH(2016.3.30)の無念さは想像に余りある。そのことをどう受け止めるべきかの反省・議論は深化しなかった。不思議なことにZHのデザインについては誰も言及しない。建築デザインとは何か、つくるべき建築とは何か。感性と技術とITはどう交差するのか。そうした視点はAFフォーラムで反芻すべきテーマと考えてきた。
今回のAFフォーラムのタイトルに「感性と技術とAIと― 空間と構造の交差点をめぐって」を設定した背景のひとつはここにある。

A-Forumを支える基本理念― アーキニアリング・デザイン(AND)とはArchitectureとEngineering Designとが互いに融合・触発・統合の様相とその成果をめざす言葉。なかなか適切な日本語訳は見つからないが、職能的に通じ易い「構造デザイン」を超えて、建築家とエンジニアの協働を顕在化したいとの思いは強い。それをなぜ今、声高に伝えようとしているのか。
かつて山本学治(1923-1977)は建築のデザインと構造の分離と統合についてこんな一文を残している(青文字部分が引用、新建築、1954.5、7)。

―「デザイナーと構造技術の協働」とか「デザインと構造の結びつき」とかは現代建築の大きな問題として、しばしば話される文句である。けれども一体、過去の歴史を考えてみるなら、その建物を構築する方法が設計の仕事に含まれていなかった時代があったろうか。(略)ことさらにデザインと構造の結びつきを問題としなければならないくらいにその両方が分離している状態は、現代建築の持っているネガティブな特殊性ともいえるでしょう。
<この特殊性はどこから生まれるのか?>

―現在、デザインと構造の関係が重要視されねばならない理由は、よく言われるように「デザイナーが構造を理解せず、構造屋がデザインを理解しない」というような両者の勉強不足の程度にあるのではない。もしある材料を適切に用いて、ある目的のために適切に機能づけられた建物を、建築の設計、すなわちデザインと呼ぶならば「デザインと構造」などという言葉の使い方自体がヘンである。現代建築の不幸は、デザインと構造が分離していることにあるのではなく、構造計画を含まない設計行為をデザイン、としているところに始まっている。それ故、この不幸の解消のためには、従来の意味でのデザインと構造の協力というより、そのおのおのが各自のあり方を改変して、自らの分担を組みなおすことが必要だと思われる。
<各自のあり方を改変するとは、どのようなことか?>

上述の山本学治の言説は今から70年ほど前のもの―。今日にも通じるリアリティが感じられる。
建築家と構造家の協働、あるいは感性と技術の融合が最高レベルで結晶化したものは丹下健三(A)と坪井義勝(E)による「国立代々木競技場」(1964)であろう。その様相は、デザインプロセスを全く異にする他の2つの20世紀を代表する壮大なプロジェクトー 「ミュンヘン・オリンピック競技場」「シドニー・オペラハウス」に相通じている。この時代、コンピューターは皆無か、未成熟であり、TOOLとしてのその価値がようやく認識され芽生え始めた頃。何よりも基本構想が問われ、相互のリスペクトと協調が求められた。

1990年頃を境にして、IT技術は建築デザインの世界で一気に加速する。
そして今、建築界においても「AI時代」の到来、という。建築学会でも建築雑誌の特集をはじめ、様々な企画が試みられている。若い世代もこうした動向に敏感と思われる。「建築電脳戦」も興味深い。その一方で、感性と技術を駆使し、素材と構造、空間と造形をリアルに体験するワークショップがある。例えば長く続いている「銀茶会」や「学生サマーセミナー(SSS)」など。もはや「IT時代」という声は聞かない昨今であるが、人間力としての感性を磨き、技術への理解力を高めながら、AI時代にどう向き合うか。これからの建築教育にとっても困難かつ重要なテーマとなるに違いない。AND賞のめざす視点もそこにあろう。

それから間もなく、21世紀に入るとIT技術の成熟とともに出現してくるのは建築表現主義(?)な建築群。例えば2008年・北京オリンピックの「鳥の巣」や「水立方」などではコンピューターの威力の前に責を負うべきエンジニアの姿は見えなくなる。そしてその先に、ZHの「新国立」が立ち現れる。CGの描く優美でダイナミックな姿形は見る者を魅了した。「見てみたい」と私も思った。しかし虚構ともいえる構造形態は独り歩きを始める。最初はイメージ・デザイン。新たな日本の土俵が必要だとわかっているはずなのに、私自身にもそれを止める策も力も足らなかったと自省している。

今回のAFフォーラムではあらためて「建築のデザイン」の有様、特に感性(意匠・芸術・空間)と技術(素材・構造・環境)をめぐる過去・現在・未来について各自が関心を寄せる所感を交わしてみたい。」

<参考文献など>
「AIの利活用に関する特別調査」(AIJ、2021.3)
トークイベント「建築電脳戦にみる生成AIと人、そして建築」(稲門建築会、2024.1)
PD「最適化・AI手法で構造設計は変わるか」(AIJ、2019)
特集「AIの衝撃:期待と葛藤を抱えて進む」(建築雑誌、2024.3)
「建築擬人化計画」(建築情報学会、2024.3)
「情報と建築学: デジタル技術は建築をどう拡張するか」(東大特別講義、学芸出版社、2024)
日本建築学会・建築文化週間2023「建築電脳戦」 AI×建築学生 最前線(AIJ、2023.10)