斎藤公男
2024年12月15日(日)、冬晴れが美しい午後、市ヶ谷にある法政大学キャンパス・外濠校舎6階の薩埵ホールにおいて「青木先生を偲ぶ会」が行われた。会場の正面には先生の微笑んだ顔写真と大きな扇子を広げたような大きく見事な白菊の花壇。私は一目で分かった。「大石寺正本堂」だと。
献花の後、200名に近い参加者は着席し、黙祷の後、大スクリーンに映し出される思い出の写真を見つめながら、偲ぶ会が始まった。司会は江尻憲泰氏。「追想」と題した私と陣内秀信氏のスピーチ(弔辞)の後、和田章氏による献杯。続いての「講演」を隈研吾、川口健一、「思い出」を中田捷夫、松野浩一、二連木清の諸氏が行い、「青木先生と作品」についてもOBの方々から紹介があった。喪主である青木卓氏のお礼の言葉が印象深かった。「父は構造、私は施工、息子は建築デザイン。親子三代、各々の分野を選んだ」と。
最後に実行委員会を代表して山辺豊彦氏の挨拶があった。配られた記念誌のあとがきにもある。「建築に関わる教育というものは、教えるものそれぞれが最善と信じている姿-生き様(背中)を後に続くものに見てもらう他にはない。青木繁を思い起こす時、悲嘆でくれる涙はありません。先生は亡くなった後も、みなを悲しませない究極の優しさをお持ちだったようです。今日の偲ぶ会を微笑みの会にして頂ければ幸甚です。」青木先生との思い出はこの言葉につきるように感じる。私の弔事風な当日のスピーチをここに記し、先生のご霊前に捧げたい。
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ただいまご紹介いただいた斎藤です。昨年の5月、青木先生のお孫さんの真さんの結婚披露宴にお招き頂きました。その席で先生にお会いできるかと、とても楽しみにしておりましたが、体調がすぐれなかったとのこと。「お目にかかること叶わず淋しいね」と山辺さん、江尻さんともそうお話したことを思い出しています。残念でなりません。
今日は法政大学に関係する方々が大勢いらっしゃいますが、私は日本大学の卒業です。私が青木先生とはじめてお会いしたのは今から60数年前。卒業研究のために、当時西千葉にあった東大生研の坪井研究室の扉を叩いた頃だったでしょうか。その頃の青木先生は既に法政大学の助教授だったはずですが、生研にはよく来られていたようです。建築界の話題を集めていた「大日本インキ工場」や「駿府会館」などのシェル構造の試験体が放つ“挑戦の痕跡”に感動したことを憶えています。
かつて坪井善勝先生の周りには日本の構造界のリーダーともいうべき多士済々の方々が居りましたが、先生を囲んで記念パーティー、懇親会、合宿などがよく行われていました。そしてその企画・実施の司令塔の役を荷ったのはいつも青木先生でした。
坪井研OB会には五大老・三奉行というおもしろい話がありましたが、奉行の一人、青木先生の采配で“岡っ引き”と称する私や中田さん、故半谷先生が当日の司会や雑用を仰せつかった訳です。そうしたイベントを通して青木先生から多くを学びましたが、坪井先生から全幅の信頼をうけている人、それが青木先生なのだ、ということを知ることができました。
私が青木先生からお聞きした忘れられないエピソードがあります。
私は坪井研の最初のミーティングで坪井先生に聞かれました。「君は何をやりたいのか」と。私は「構造とデザインの両方を勉強したい」と答えてしまいました。「こいつは生意気な」と思われたのかもしれません。卒業後も坪井先生にはよく𠮟られました。そんな時、青木先生はいつも「ハムさん、叱られるのは君に見込みがあるからだよ。めげずに頑張りなさい」と励ましてくれました。
青木先生もかつて大学院生の時、坪井先生に聞かれたことがあったそうです。当時建築界をゆるがせたリーダーズ・ダイジェスト・ビルの耐震性について坪井先生が発した「反論」にコメントを求められたので、恐る恐る、しかしはっきりと「私は構造とデザインをつなぐような仕事をしたい」と答えたそうです。 その2年後の1953年、坪井先生は建築家・丹下健三と協働して日本初の大スパンRCシェルの「愛媛県民館」を実現させています。坪井先生がこれを機に耐震工学から空間構造の世界へと転身した、という意味で、「日本の構造デザイン」の道を拓いたのは青木先生かも知れないと思わずにはいられません。坪井先生は怒られるかもしれませんが_。
青木先生の構造家としての業績は、何といっても、その懐の深さと幅広い領域だと思います。すぐれた建築家と協働した空間構造から重層構造に至る多くの作品は実に多様で驚くばかりです。
さらに私が尊敬してやまないことは、青木先生が教育・研究・設計を三位一体として生涯追い続けたことです。法政大学と比べてかなり閉鎖的な日本大学で私が永く活動できたことは、めざすべき青木先生の姿がいつもあったからだ、と思わずにいられません。
大学だけに留まりません。先生が「構造家懇談会」に腐心され、後年JSCA会長を務めるなど、学外の社会的活動に極めて熱心だったことは誰しもが認める処です。私も日本建築学会の「設計資料集成」の作成や、第一回から「松井源吾賞」の審査員をご一緒させて頂くことができました。
IASSの国際会議への度々の海外ツアーも懐かしく思い出されます。なかでも一番印象深いのは1971年、日本開催のIASSでの現場見学です。富士山をバックに竣工間近の「大石寺正本堂」をマイク片手に説明していた青木先生の凛としてスマートな姿は今も目に焼きついています。
大石寺正本堂(1972)
今年の9月、沖縄に出かけた折、先生が大谷幸夫さんと協働した「沖縄コンベンションセンター」を訪れることが出来ました。太平洋戦争を経験したお二人の思いが詰まった作品ですが、青木先生が日頃思考していた「合理と不合理の狭間」や「建築の美しさと構造的合理性」といったテーマが強く伝わってきました。
沖縄の青い空と海を背景に、浮遊する大屋根のダイナミックな美しさはとても印象的でした。
左:テクノドーム(1990、高岡市) 右:沖縄コンベンションセンター(1987)
青木先生が時折、口にしていた言葉があります。
「青年とは熱と勇気、そして顧みる時の微笑だ」と。おそらく「振り返る時の微笑」とは「悔いなきよう、今を生きる」ことを意味しているのではないでしょうか。先生が遺されたこのメッセージを、私も大切に語り継いでいきたいと考えています。
青木先生、いろいろと有難うございました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。安らかにお休みください。
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日本の人口減少による労働力不足はあらゆる産業分野で大きな問題になっています。こうした中で労働環境の見直しが迫られ、2016年に当時の安倍内閣は「未来への責任を果たす」ことを大義とした「働き方改革」の推進を重要政策としました。そして2024年4月より、「改革」が遅れているとみられる建設業界を対象とした、時間外労働時間の罰則付き上限規制が適用されています。
その背景には建設業が人口減だけでなく、他産業より労働時間が長く賃金も安いことなどから、より一層就業者の確保が困難になっていることにあります。厚労省の統計によると、建設業の年間出勤日は、「働き方改革」が政府の重要政策となった2016年以降、減少傾向にありながらも2023年時点でもまだ全産業と比べて11日多く、年間総実働時間も62時間長い状況にあります*1)。また国交省の調査では、技術者の週休2日制の達成率が、全産業の42.2%に対して、建設業は9.5~25.3%と極端に低くなっています*2)。さらに建設労働者の賃金は、全産業平均に比べて15.6%低く、これらを要因として、建設業就業者数が1997年の685万人から2022年では479万人に減少しています*3)。
こうした調査結果が、建築設計を業務とする技術者の状況をどの程度反映しているかは明確ではありません。しかし設計者の「働き方改革」は工事現場より一層難しいと状況と考えられます。本来どの様な職種でも、生産性の向上や経済成長だけを優先すると、その副作用として仕事の質に影響することが懸念されます。言うまでもなく建築設計も例外ではありません。厳しく制限された時間内で設計を終わらせようとすれば、その内容が希薄になるばかりか、ミスをきたす恐れもあります。ならば設計期間を十分とれば問題ないではないかと考えられます。
しかし、社会構造の多様化、複雑化とともに、設計に着手する以前に解決すべき近隣地域や関連法規との調整、設計対象としている建築物の在り方を決定づける基本構想の作成に多くの時間を要する傾向にあります。さらに「働き方改革」に伴う工事工期の延長、高騰する工事費の調整などが絡み、その結果、全体スケジュールの中で設計に残された時間がより一層少なくなります。そして、なかなか努力に報われることが難しく、提出期限に待ったなしのプロポーザルへの応募が、「働き方改革」を推進するうえで無視できない足かせとなっています。
今回のフォーラムでは、こうした日本の建築設計業界が抱える問題にどのように対処すべきかを、業態の異なる職場の第一線で活躍中の3人のパネリストをお招きして、皆様と一緒に議論したいと思います。
*1)厚労省「毎月労働統計調査」より国交省作成(2023年)
*2)国交省「適正な工期設定による働き方改革の推進に関する調査」(2023年5月31日)
*3)厚労省「賃金構造基本統計調査」(2022年)
福島加津也(委員長)(東京都市大学教授/建築家)、陶器浩一(滋賀県立大学教授/構造家)、磯 達雄(建築ジャーナリスト)、堀越英嗣(芝浦工業大学名誉教授/建築家)
受付NO 応募作品名
01 SKIP JOINT SYSTEM(東京木工場 来客棟)
06 人工林の課題からつくられた小径間伐材の建築
08 十津川村災害対策本部拠点施設
09 VOXEL APARTMENT
13 YAP Constructo 07 -ノマディック ドーム
16 MIYASHITA PARK 立体都市公園をなめらかに包む天蓋架構
17 KU11 住みながら少しずつ手を加える手がかりとしての架構
24 富士ソフト汐留ビル~現代化された組積造による都市型オフィス~