金田勝徳
先日、久しぶりに豊洲にある芝浦工業大学を訪問する機会があった。芝浦工大には2006年から5年間、特任教授として通っていたので、大学までの道のりに何も不安はなかった。ところが豊洲で電車を降りた途端に、当時より格段に広くなった駅や、高層ビルが立ち並ぶ街の変容ぶりに驚かされ、方向音痴気味の私には、どの道を行けば良いのか見当がつかなくなっていた。
とはいえ、かつて通い慣れた道である。スマホのナビに頼るまでもないと歩き出したものの、結局ご近所の住民と思える人に道を尋ねる羽目となった。ところが尋ねられたその人もよく分からないと言いながら、親切にご自身のスマホで検索したキャンパスが見える所まで送って頂くことになってしまった。
豊洲駅前広場
私が芝浦工大に通っていた当時の大学周辺は、大きな工場が移転した跡地の面影が色濃く残り、見晴らしの良い更地が広がっていた。その後の十数年間に、同じ場所が高層マンションや事務所ビルによって視界が遮られて、自分の立ち位置を把握することが難しい場所になっていた。スマホを見ながら、私を大学まで案内してくれた人も、豊洲の新住民だったのかもしれない。
近年のマンション建設ラッシュは、程度の差はあるものの豊洲に限ったことではない。私が住む郊外でも、最寄駅までの道に沿って建替えや大規模改修中のマンションが数件あり、通勤時には道路を占有した工事車両の脇をすり抜けるのに苦労をしている。高度成長時代といわれる1960年から80年代に建設されたマンションが、改修や建替えの時期になっているとの見方もある。それにしても、築後50~60年での建替えは早すぎるようにも思えるが、1981年施行の新耐震法に加えて、「土地の高度利用」や「都心における高層住宅の誘導」などを目的とする東京都の容積緩和政策が、建替え(=再開発)を促進していると聞く。
こうした再開発事業に構造設計者として、及ばずながらお手伝いをしているプロジェクトの中に、近隣からの反対によって行き詰っているものもある。建物の基本設計がまとまり、建設地に「建築計画のお知らせ」看板を掲げたところ、隣接する女子校と地元住民から、計画見直しを求める署名と請願書が都議会に提出された。その計画は、容積率400%以下に制限されている敷地内に「公開空地」を設けることで、容積率制限が600%に緩和される総合設計制度を活かして、より大きな高層マンションに建替えることを目指していた。女子校からの建設反対理由は、「教室に日が当たらなくなり、生徒のプライバシーが守れなくなる。教育環境が悪化する危機的状況」*1)とのことである。
先の「計画のお知らせ」看板には、「工事着工予定:2025年4月1日」、「竣工予定:2028年7月31日」とある。計画通りであれば、今年の4月から解体工事が始まるはずの既存マンションは、25年7月時点でも手つかずのままひっそりと佇んでいる。やっと建替えの合意が形成され、新築マンションに住むことを楽しみにしていたはずの住民は今、どこでどのような想いで生活されているのかを考えるとやるせない。
その一方、少し離れた隣街では、賑やかに超大型再開発工事が進められている。そうした工事現場を見るにつけ、その勢いに畏敬の念を惜しまないが、その裏側に潜む多くの関係者の労苦と苦悩も想い浮かぶ。それらの成果として次々に建設される超高層建築群は、後世の人たちにどのように見えるのだろうか。巨大な衝立の様に建ち並ぶ高層ビルに視界を遮られながらも、スマホがあればどこにでも行ける期待感と、スマホがなければどこにも行けない不安感が交錯する。そんな想いを胸にしながら、豊洲からの帰り道で見た「止めましょう。歩きスマホ。」というポスターが、風に揺れていた。
*1)2022年10月6日 朝日新聞朝刊
今回は最適化をテーマに最先端のお話を京大の大崎純先生にお願いし、前座として和田が撓みに注目した最適化のお話をする。
1.撓みに注目した最適化
鉄骨構造の設計では、「1」にディテール、「2」に撓み、「3、4」がなくて「5」に応力と言われる。A-Forumのフレンドの皆様は鉄骨のディテールには自信があると思う。「5」の応力、要するに壊れないための設計はパソコンを使いながら間違いなく進めていると思う。鋼材は強度が高いことに比べてヤング係数が十分でないため、「2」の撓みへの気遣い、地震時や強風時の揺れへの配慮が必須である。構造解析の結果、各接点に生じる変位と各部材に生じる応力が出力されるが、接点の変位は各部材の変形の累積であり、構造物のある点の変位を減じようとしたとき、どの部材をどのように変更したら良いか分からない。これがわかる方法があり、知らないと損する。これは長年シカゴのSOMの秘伝だった。(和田)
2.最適化研究の最先端
建築のさまざまな分野で,最適化は特別な手法ではなく簡便なツールとなりつつあり,現在の「最適化」は,コンピュータの利用が困難であった時代の最適化とは異なる位置づけを持つようになった。本発表では,構造最適化の基本的な考え方,建築構造での特殊性などを解説し,施工性を考慮した最適化,機械学習の利用,付加製造技術との連携などの新しい流れを紹介する。(大崎)
1950年代に胎動していた構造デザインの諸相は1960年代において大きな成長と飛躍をみることになる。特に「国立代々木競技場(1964)」を頂点とする空間構造における建築家と構造家の協働は深まり、エンジニアの志も高まっていく。コンピューターが未だ構造計算の本格的Toolとして登場する以前の約10年間のプロジェクトの数々は、すでに失われたものも含め、その輝きは今も鮮烈である。大いなる熱量をこめた構造空間を解剖し、そこにこめられた「構想と建設の物語」を考えることは、現在にも、そして未来にもつながるメッセージを見出せるかもしれない。
<プログラム>
▷ 趣旨説明
▷ パネリストによるプレゼンテーション(仮題):各30分
1)「1960年代に結実した建築・構造の系譜」磯達雄
2)「20世紀を築いた構造家たち」小澤雄樹
3)「香川県立体育館をめぐって―岡本剛の理念と実践」田中正史
▷ 討論