2019年5月29日、川口衞先生が逝去された。享年86歳。この日は奇しくも私の81歳の誕生日であった。
川口先生は私の6歳年上であり、私が日本大学の建築学科に入学した年に先生は東京大学の修士課程を修了している。私にとっては研究室の先輩である以上に、人生の師であり、自身が歩んできた50年にわたる研究や設計活動を支えてくれた唯一無二の指導者であった。川口先生が居なければ今日の自分はここまで来れなかったと、心底思えてならない。
振り返れば60年前。当時西千葉にあった東京大学生産技術研究所(東大生研)の坪井善勝研究室で卒業研究の最初の顔合わせがあった。多勢の先輩や院生に囲まれた、その時の緊張感は60年経った今も不思議なほど鮮やかによみがえってくる。60年安保の騒然とした空気が日本中を覆い、熱く不安な日々が続いていた最中。おそらく、この年から法政大学の専任講師となりながら博士論文をめざしていた川口先生も同席していたはずである。「構造とデザインの両方を勉強したいのですが―。」私の唐突な発言に笑い顔でうなずいてくれたのは坪井先生と川口先生だけだったような―。朧げなそんな記憶も甦ってくる。
1950年代から1960年の初めにかけて、日本の建築界にはRCシェル構造が華々しく登場した。丹下健三・坪井善勝の名コンビが創り出す数々の空間構造が、日本はもとより世界をリードしていた一瞬の時代があった。しかし1959年の「晴海ドーム」(村田・坪井)の出現以来、空間構造はRCからスチールへと。構造設計も生産技術もその流れを大きく変えようとする転換期でもあった。院生室と設計室が廊下1つを隔ててあった六本木での新しい研究室は、まさに活気に満ち満ちていた。そしてそのエネルギーの高まりの中で東京オリンピック(1964)に向けた「国立代々木競技場」の計画が立ち上がったのである。「次のテーマはテンション。吊屋根でいこう」というイメージは当初から丹下・坪井の両チームで共有していたように思う。坪井、丹下の両先生の年齢は54歳と48歳。各々が率いる建築・構造のチームは総勢50人位だったろうか。大学院1年の冬、チームの一員として基本構想のために制作した小さな構造模型が全ての出発点となったのだ。
壮大なプロジェクトに向かって「奇跡の物語」が動き出す。たとえば、“デザインと構造の融合”、“イメージの実体化”、“未知なる技術の発想と予見”“建築家と構造家の協同”、“ホリスティックな構造デザイン”といった諸相が展開していく。その中心に川口先生がいた。
あらためて思い起こせば、研究室の奥、坪井先生の近くの窓際の机に座り黙々と思考していた川口先生の後姿がある。迷走したケーブルネットから生まれた半剛性吊屋根。それを実現するための吊材への中間ピンの挿入、可動サドルやユニヴァーサルジョイントなどの卓抜なディテールが先生の後姿と重なってくる。隣の設計研究室の喧騒と対峙したあの静かな洞察力が世紀の名作を生んだに違いない。回想はそこにたどり着く。
坪井研の尊敬してやまない大先輩のもう一人は青木繁先生である。青木先生と私との年齢差は11年あり、川口先生は丁度その間となる。寛容で穏やかな青木先生と妥協を許さぬ鋭い感性の川口先生という両極の個性を感じるが、構造デザインに対する姿勢と情熱の高さには、いつも同じ尊敬の念を抱き続けてきた。加えて私が共感するのは“プロフェッサー・エンジニア”ともいうべき道を堂々と歩かれてきた点である。坪井善勝先生や松井源吾先生はその草分けであろうが、私には青木・川口両先生の存在はより近い。良き兄弟に恵まれたと思わずにいられない。
どちらかというと、青木先生は建築家のいうことをできるだけ何でも聞き開き入れていこうとするタイプの構造家であり、木村俊彦氏に近く感じられる。一方、川口先生は時にはむしろ自分の世界を拓いていく。松井先生に通じるかも知れない。システムやディテールや工法に対して新しい可能性をとことん追求する構造家である。しかもそこには常に数学的な美というか、鮮やかな秩序に裏付けられたロマンが垣間見える。特にメカニズムへの執着はすごい、と感じる。例えば村田豊さんと開発した大阪万博(1970)の富士グループパビリオンや電力館、網状空気膜、最扁平エアードーム、金属板による吊屋根、さらに神戸ワールド記念ホール(1984)を起点としたパンタ・ドームやイナコスの橋(1994)、ジャンボ鯉のぼり(1988)など、いずれも極めて論理的であり、その構造原理は明快である。一つの原理が新しい空間を生み、魅力的な形態に結びつく、ということほど心ときめくものはない。私はそう考え、それを追い求めてきた。そしてその夢の先にはいつも川口先生の背中がみえており、いつも注がれていたのは暖かくも厳しい私達への期待への眼差しであった。
限りないご厚情に感謝しつつ、先生のご冥福を心より祈るばかりです。【合掌】
(MS)
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男
報告1:渡邊詞男(メタボルテックスアーキテクツ代表) 「格差社会の住宅政策―ミックスト・インカム住宅の可能性―」
報告2:連勇太郎(NPO法人モクチン企画代表理事) 「モクチンメソッドー都市を変える木賃アパート戦略」
日時:2019年7月6日(土)15:00〜18:30
場所:A-Forum
参加費:2500円(懇親会、資料代)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第16回AB研究会参加希望」とご明記ください。
A-Forum A/B研究会は、「デザインビルド」をめぐる第1回研究会(「デザインビルドとは?:新国立競技場問題の基層」)以降、入札契約方式の多様化、公共建築の設計者選定を巡る諸問題、発注者支援をめぐる問題を掘り下げる一方、日本の住宅生産と建築家をめぐって(第3回)、建築職人の問題、木造住宅設計の問題(第4回)、リノヴェーションの問題(第5回、第7回)、戸建住宅生産の問題(第10回)を議論してきた。今回は、これまでの議論では焦点を当ててこなかった格差社会における住宅の問題をとりあげる。手がかりとするひとつは、アメリカにおける低所得者層に対するミックスト・インカム住宅供給である。もうひとつは、モクチン企画の「モクチンメソッド」である。