どんなに大きな地震が起きても大きな津波が襲っても、豪雨が降っても大雪が降っても、その地域に人々の生活がなく、何も社会活動がないなら災害は起きない。ただ、大きな地球の変動、自然現象というだけである。これらの猛威の襲う処に人々の生活があり、社会活動があり、これらが自然の猛威に耐えられないときに災害が起こる。災害に関する多くの教科書に書かれている記述であるが、当然である。
しかし、大地震や大津波は、最近になって起き始めたことではなく、何万年もの人類の歴史上、世界の各所に起きてきたはずである。少なくとも地震国と言われる国に住んでいる人々にとっては、歴史上で初めてのことではない。これらの国に住む人々は地震や津波が襲うことを覚悟して、家、建物、道路、鉄道を作り社会を構築し、日々の生活・活動を続けているはずである。
もう一つ重要なことに、ある地に自然の猛威が襲う間隔は何十年、何百年さらに何千年のように非常に長く、この間の社会変化は無視できず、建築、まちや社会は災害の経験を知らずに、新しい方法で作られていくことがある。
このようにして地震災害は21世紀になっても止まることなく、起き続けている。これらの災害を受け、多くの関係者は地球の営みとして起こる大地震が原因であるとして、これを自然災害と呼び、人間の側の対策不足を棚上げにしているように感じる。
確かに、特定の地域に注目すれば、大地震は何十年ぶり、何百年ぶりかもしれないが、世界の各地では毎年のように地震災害は起きている。社会が変化し未経験なことが多く、新たに起こる地震に対応できないというが、ビルの工法などは各国で似ており、作られる建築や社会は世界的に大きな違いはない。近年に他の地域で起きた地震災害を見て、自らの地域の建築やまちつくりの耐震性不足などの問題点に気付き、改善していく努力が必要である。この努力を怠れば、次の大震災は必ず起こる。そうして、自らの努力不足を棚上げにして、関係者はまた自然災害が起きたという。
2018年2月6日に、台湾の花蓮で大きな地震が起き、4棟の大きな鉄筋コンクリート造の建築物が倒れた。台湾の中で花蓮は大きな地震の多いところで、台北の設計用地震動の1.5倍が設定されている。その効果もあり、5階建以下の中層建築には何も被害がなく、花蓮のまちは平常である。
2月10日から12日に日経アーキテクチャの佐々木大輔氏と菅原由依子氏と一緒に調査に行った。この4棟の倒壊を見て感じることは、① 鉄筋コンクリート構造物は重量が大きいことが忘れられている。② 低層部に大きな空間を持つ設計になっており、耐震要素の偏在などにより、全体のねじれ振動が起きやすく、建物の剛性の分布、強度の分布も高さ方向にスムーズでなく、上層階には十分な剛性と強さがあるにもかかわらず、低層階の剛性や強度が相対的に不足している。③ 施主や建築家の要求に負けたのであろうが、柱のスパンが大きく、柱本数が少ないだけでなく、柱の太さが十分でない。④ 柱の軸強度と曲げ強度の確保のために過剰な主筋が入っている。⑤ 主筋が過剰なだけでなく帯筋は少なく、帯筋の端部は90度フックではずれやすく、内部のコンクリートを拘束するためのコンファインド効果がない。⑥ さらに主筋は同じ高さで重ね継手されている。⑦ 大きな圧縮力と曲げせん断力を繰り返して受ければ、鉛直方向の支持力を失うに違いない。
以上のことは新耐震設計法に書かれていることばかりであり、世界の常識にしてほしい。東日本大震災は2011年3月に起きたが、2004年12月にはスマトラで大きな地震があり大津波が起きている。日本の関係者はインドネシアでは起こるが、日本はすでに克服していると勝手に考えていた。互いに、世界の災害から学ぶべきと思う。
ただ一点心配事がある。4つの建物はそれぞれ10階建を少し超える階数だが、ひび割れが起こる前の固有周期は1秒前後と思う。この度の断層の近くの地震動の継続時間は18秒であり短いが、応答スペクトルに2秒から3秒の成分が大きく生じており、耐震基準の2倍になっている。一方、短周期成分は基準より小さい。詳細な検討結果が発表されるまで分からないが、4つの建物はこの影響で倒壊したのかもしれない。まだまだ分からないことが多く残っていることも忘れてはならない。
地震災害は自然災害と言われるが、多くの部分で、人々や社会の事前対策のなさが起こした人災と考えるべきである。
(AW)
コーディネーター:和田 章
プログラム及びパネリスト:
17:30~ はじめに 土橋徹(森ビル)
17:35~ ① SOM 小板橋裕一(日建設計)
17:50~ ② Magnusson Klemencic 川村浩(三菱地所設計)、中井政義(竹中工務店)
18:05~ ③ ARUP 浅岡 泰彦(大林組)、川端淳(構造計画研究所)
18:20~ ④ LERA 石倉敦(清水建設)
18:35~ ⑤ Thornton Tomasetti 渡邉 祐一(大成建設)
18:50~ ⑥ WSP 羽田和樹(日本設計)、渡辺厚(新日鉄住金エンジニアリング)
19:05~ ⑦ Rafael Vinoly Architects 城戸隆宏(日本郵政)、遠山解(森ビル)
19:20~ ⑧ LeMessurier 渡邉 祐一(大成建設)
日時:2018年2月22日(木)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)
参加申し込み(残席わずかとなっております。お早目にお申し込みください。)
:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「21回フォーラム参加希望」とご明記ください。
ここでもう一度アメリカに行き、超高層ビルの現状を肌で感じ、シカゴやニューヨークの構造技術者と構造形式、耐風設計、耐震設計に関して議論し、建設現場を見て、日本の我々を見直したい。
以上を趣旨として2017年12月上旬に動向調査に赴いた。このたびここにご報告させていただきます。
詳細はこちら
本シリーズは、建築を大きくは町場と野丁場、住宅と公共建築に分けて、その設計―生産の今日的問題を議論してきた。そうした中で、大きく浮上してきた問題として、デザインビルドにおける設計者の役割の問題、在来木造住宅のシステムと担い手の問題とともに、発注方式の問題がある。今回は、公共建築の発注方式、特にプロポーザル・コンペの問題に焦点を当てる。この設計コンペの問題については、2段階・公開ヒヤリング方式と設計者選定委員会=建設委員会連結方式(竣工まで解散しない)の提唱を軸に、様々な具体例をめぐってシリーズ化したい。
第6回「発注者」の責任―プロジェクト運営の多様化と設計の質 において、森民夫前長岡市長(「公共発注の諸問題」)が指摘したのは、市町村自治体における企画力の問題である。そして、第5回「建築家の終焉!?―「箱」の産業から「場」の産業へ」 では、第3回で再確認された建築家のあり方について、そもそも「箱」としての建築をつくってきた建築家の概念そのものが無効ではないか、場所をつくっていく、まちづくりに建築を拓いていく新しい職能が必要ではないか、という提起があった。A-Forum・AB研究会は、「コミュニティ・デザイン機構―市町村建築・まちづくり支援センター」あるいは「日本コミュニティ・デザイン・リーグ」(仮)といった任意団体の設立をも視野において、その構想を煮詰めていきたいと考える。
今回は、群馬県で設計者選定に長年関わられ、かずかずの優れた設計作品を世に出されてこられた新井久敏さんの報告をもとに議論したい。
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男
(a) 主旨説明:布野修司(日本大学特任教授)
(b) 設計者選定システムの極意―群馬県の事例をもとに(仮):新井久敏(群馬県)
コメンテーター:森民夫(前長岡市長、筑波大学客員教授、近畿大学客員教授)
(C)懇談 「日本コミュニティ・デザイン・リーグJCDL」(仮)構想をめぐって
日時:平成30年3月31日(土)15:00〜18:30(会場にて懇親会を行います)
場所:A-Forum
会費:2000円
共催:日本建築学会『建築討論』