金田勝徳
私が石本建築事務所に勤務していた30代後半、新築される本田技研本社ビルの構造設計を担当するという話が舞い込んだ。それまで、本田技研工業の工場の設計をいくつか担当していた私にとって、本社ビルの設計担当に就くことにはそれほど驚くことではなかった。しかし当時、高さ60mを超える超高層ビルの設計は初体験であったため、相当な緊張感にとらわれたことをよく覚えている。
この建設プロジェクトは、本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏と、本田技研を経営面から支えてきた藤澤武夫氏にとって、次世代にバトンを託すための最後の大仕事であったという。それだけに、両氏のこの本社ビルの設計に寄せる想いは、並大抵ではなかったはずである。
まず建設プロジェクトの目標として掲げられたのは、HONDAがものづくりの思想としている「20年後に最新であれ」を本社ビルにも当てはめて具現化することだった。そして「安全」「省エネ」「フレキシビリティー」が設計の基本理念とされた。これ等の理念は、今でこそ当たり前のように言われているが、40年以上前の私達には相当緊張を強いられる理念であった。
設計者に課せられた最初の試練は、その厳しさが世に知れていたあの本田宗一郎氏に、最初の平面計画案を説明する時だった。その時の計画案は、階段、エレベーター、トイレなどを正方形平面の一辺に寄せた片側コア方式であった。本田氏はその案を見るなり「うちの社員を殺す気か。人間は非常時に建物の四隅に逃げる習性があるんだ。俺は機械屋だから、機械は必ず故障することを知っている。機械に頼る非常用EVや排煙設備なんかはいらないから、自分の足で逃げられ外階段を建物の四隅につくれ」と声を荒げたという。続けて本田氏から「基準法はあくまで最低限基準だ。それを満足していれば安全だなんて思うな。デザインが安全性より優先するような設計はするな。世界一安全な本社ビルを設計してくれ」との重い課題を突き付けられたという。
これを受けた建築家達が悩んだことは、青山一丁目の交差点に面した建設用地のはす向かいある東宮御所の豊かな緑の景観を、本田氏の言う外階段で塞ぎたくないということだった。そこでその部分は階段の代わりにバルコニーを設けて、東宮御所側に避難してきた人達は、そのバルコニー伝いに他の階段へ移動して、避難できる案が考えられた。結果的にそのバルコニーと外階段が、ガラスカーテンウォールに囲まれた多くの事務所ビルと異なる、独特の外観を生み出した。更に、外壁面のガラスが万一破損したときに、その破片が地上に落下することを防ぐ安全対策にもなり、「世界一安全」へ一歩近づく要因となった。
構造設計については、当時東大教授であり、新耐震法制定をけん引しておられた梅村魁博士の指導を仰ぎ、万全を期した。様々な検討結果、耐震要素を外殻(チューブ)構造として、床の支持方法は、主として室内に配置した4本の柱と格子梁からなる架構とした。その4本柱のうち、3本の柱は各階のコアと空調室の間仕切壁に内包されるため、執務スペースに露出する柱は1本だけとなり、高いフレキシビリティーを確保した無柱大空間構造となっている。この構造方式が、当時の超高層ビルとしては珍しかったのか、構造評定の際に審査委員の先生から「よく分からないけれど、単位面積当たりの使用鉄骨量が標準より少し上回っているようだし、梅村先生の指導を受けているのだから大丈夫でしょう」という評定結果を頂くという笑い話もあった。
こうして、1985年に竣工にした本社ビルは「ホンダ青山ビル」と呼ばれ、ウエルカムプラザと名付けられた一階は、近隣の住民やモーターファンの若者でいつも賑わっていた。そして本田技研の社員と設計者たちによって、継続的にメンテナンスが続けられていた。とりわけ時代とともに進化する省エネ方式を取り入れた改修に力が注がれ、設計時に掲げられた「20年後に最新であれ」の思想の具現化に成功していたように思われる。そうした努力と実績が認められ、ロングライフビル協会より2023年度BELCA賞の受賞者に内定された。
ホンダ青山ビルが、「その役割終えた」との理由で、建て替えられるとの話に驚かされたのは、受賞内定の知らせを受けた直後であった。そして今年(2025年)の11月4日に、解体工事が始まったとのニュースに接することになった。丁寧なメンテナンスを重ねながら大切に使われていたホンダ青山ビルが、竣工からわずか40年後に解体されるとは、夢にも思わなかった。
機会があれば、建て替えの理由とされている「その役割を終えた」との真意がどこにあったのかを伺ってみたい。
参考文献:Honda青山ビル39年の軌跡 Honda Stories 2025.02.21
近年の建設工事費の高騰によって、多くの建設計画が延期や大幅な変更を余儀なくされています。建設物価調査会のデータによると、建設物価は2021年ごろから急騰して、今年8月には2015年当時の1.4倍になっているとのことです。公共施設において知る限りの例をとると、中野サンプラザ・旧中野区役所跡地の再開発、国立劇場の再整備、練馬区立美術館・貫井図書館の建て替えなどの着工に目途が立っていないと聞きます。いずれも主な要因は、建設費高騰によるものされています。
また不動産経済研究所がまとめによると、都区内の新築マンションでは、2014年の平均分譲価格が6000万円であったのに対して、10年後の2024年には、約2倍近い1億1000万円を超えていると報告されています。こうしたマンションの分譲価格の異常な上昇の要因には、建設コストの高騰だけでなく、国内外からの投機目的の取引もあるとみた千代田区が、今年の7月、不動産協会に対して分譲の条件として「5年以内の転売禁止」の特約を付すことを要請しています。さらに、私達の身近な問題として、重要な設計業務の一環である工事予算の作成が非常に困難な状況にあります。
第59回A-Forumフォーラムでは、今、なぜこうした異常事態になっているのかを考え、併せてそれを解決するため対応策を考えることをテーマとして開催します。当日はパネリストに山田泰成氏(石本建築事務所)、齋藤誠氏(日本積算事務所協会)、高木健二氏(東京製鐵)お招きして、切迫した現状のお話を聞き、意見交換を行う予定です。多くの皆様のご参加をお待ちしております。

