和田 章
熱力学第二法則、エントロピー増大の原理とも言われるが、この法則は「宇宙は時とともに整然から混沌の方向へ進む」ことを説明している。整然としているときエントロピーが小さく、混沌としているときエントロピーが高いという。別の見方では、価値またはポテンシャルの高い不安定な状態から、価値またはポテンシャルの低い安定な状態へ変化することと同意である。身近なことで言えば、塩と砂糖が別々の皿に載せられている状態が整然、これらを混ぜてしまい区別がつかなくなった状態が混沌である。整然とした状態を保つのは難しく、混沌とした状態は安定であり、何もしなければその状態が保たれる。
エントロピーを増大させるとき人々は快感を覚える。ある分野の学問が脚光を浴び、その教授の育てた若手研究者が次々に大学の助教授に採用されたとする。これらの若手の中には、それほどの能力のない研究者も混じってしまう。要するに、整然から混沌への移行である。このとき、弟子が次々に助教授の職を得ることは教授にとって快感である。ただし、結果として研究者のポテンシャルは下がって行く。
このようにどこにでもある宇宙の大原則に反して、 我々建設に携わる人たちは、混沌から整然を作っているように見える。鉄鉱石は酸化鉄であり、これから鋼を作り出すプロセスは、混ざってしまった塩と砂糖から両者を分離することと似ている。この融けた鋼を板や形鋼にして、構造部材を作ることも整然を作り出していて、宇宙の原理の逆プロセスである。重たい構造材料を工場から大きな都会に運び、位置エネルギーの高い不安定なところへ資材を持ち上げ、超高層建築の骨組や橋を建てる動作も明らかに混沌から整然へ向いている。
しかし、このとき忘れてならないことは、これらのプロセスには外部からエネルギーがつぎ込まれていることである。溶鉱炉では鉄鉱石と同時にコークスが投入され高温で還元を起こしている。形鋼の生産にも鋼を高熱にしなければならず、形鋼のロールにもエネルギーが必要である。 建設資材を都会に運ぶには、トラックとガソリンが必要であり、現場の組み立てには大きなクレーンと電気が使われる。 我々の建設の仕事も地球規模の全体で考えると、整然から混沌を生んでいることが分かる。建設地に整然とした高いポテンシャルの高層建築が作り上げられているとき、高層建築の建設にとっては外部である地球や大気を普通以上に混沌な状態にしていることになる。要するに総量として、我々の建設産業は何も整然を生んではおらず、混沌を産んでいて、宇宙の原理は正しいことになる。
戦後のまちの変化は激しかった、例えば新橋、新宿などのバラックは次々に大きなビルになり、東京タワーが建設され、地下鉄が次々に完成し、高速道路の建設が始まった。外見上は混沌から整然、エントロピーの低下である。しかし、これは、全体としては混沌、エントロピー増大であった。男達はこの時代が懐かしく、最も良い時代だと言っている。
東京のような大都市は必ずしも整然とは見えないが、綺麗なビルが建ち並び、夏の冷房、冬の暖房が快適にコントロールされ、高速道路や地下鉄が整然と決まった時間に走り、これらがスケジュール通りに機能している状態はやはり整然と言え、エントロピーが低い。だから人々を呼び寄せる力があるとも言える。ただ、大都市がこの低いエントロピーの状態を維持するためには、大量なエネルギーを外部から投入しなければならず、地球規模で考えるとエントロピーを増大させている。
このようなことを以前から考えていたが、戦争は最悪だ。せっかく作った集合住宅、道路や鉄道、発電所を人的に壊しているのは見ていられない。多くの人々が怪我をしたり亡くなられているのも悲しい。自由に思ったことを話せないのも辛いと思う。こんなとき、物理学やエントロピーの議論をしていても虚しいが、戦争は無意味なエントロピーの拡大である。アインシュタインは、「宇宙は無限」と「人類はばか」の二つは確かだと言われたそうだ。最近の研究では、宇宙が無限かどうかは分からないそうだが、アインシュタインの言われたように、人間はばかなことは確かだと思う。コロナ騒ぎで2年半、海外に行けないだけでなく、世界が分断していることも悲しくて仕方ない。
震災復興まちづくりには、さまざまな視点からの議論が必要であり、わが国でも神戸の震災を機に多くの試みがされ経験を積んでいるものの、十分な検証がされているか気になるところである。
まちづくりという視点からは、当然その地域性をどう反映するかということが大きな課題であることは、神戸、山古志、三陸、熊本などまちの性格、地震の規模が異なることなどからも明らかである。東日本震災から11年を経て、インフラの整備がまちと無関係に先行したことが否めないが、それは都市計画の役割、建築制度の課題なども関係している。
震災を防ぐとなると、建築物の構造的な安全性が第1の課題に挙げられるが、今回のフォーラムでは、少し幅を広げて考えたい。現実に、これまでどのように震災復興まちづくりが行われつつあり、これからどのように進められることが望ましいか、震災復興を見て来られた専門家として3名のパネリストに、それぞれの立場でご発表いただき、自由に議論いただく場としたい。
コーディネーター:布野修司
「マイパブリックとグランドレベルをめぐって」田中元子+大西正紀(グランドレベル、mosaki)
「建築界を拓くー出版界と建築界」真壁智治(プロジェクト・プランナー、M.T.VISIONS 主宰)
AJ研究会の設立趣旨に「建築の評価をめぐっては、一般ジャーナリズムと建築ジャーナリズムの間に大きなギャップがある。そして、それぞれが大きな分裂をそのうちに含んでいる。一般ジャーナリズムにおける建築の評価は大きく二分されている。一方で、建築・建築家は、芸術・芸術家として扱われ、美術、文学、映画、演劇、などと同様「文化」として「文化欄」で扱われるが、他方、「政治」「経済」「社会」「家庭」「教育」欄では、建築家は建築業者であって、その個人名が記されることは(悪いことをしない限り)ない。建築家・建築作品と業者・建造物が暗黙のうちに区別されている。」とあります。今回は、建築やデザインなどの専門分野と一般の人々とをつなぐための建築コミュニケーターとしてメディアやプロジェクトづくりを行う「グランドレベル」の田中元子+大西正紀両氏、また、この間、建築を一般に開く出版をプロデュースしてきた真壁智治氏を招いて、議論したいと思います。(布野)