第23回
専門家の責任とは


コーディネーター:神田 順

パネリスト:梅沢良三(梅沢建築構造研究所)、向野聡彦(日建設計)、篠崎洋三(大成建設)

日時:2018年6月21日(木)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)


設計・監理報酬を論じた前回のフォーラムに引き続き関連テーマで「専門家の責任」を取り上げます。まず思い浮かぶのは、朱鷺メッセの歩道橋崩落事故のことです。構造設計者として渡辺邦夫氏は、工学的原因究明こそが自らの責任と10年間の裁判を闘いました。裁判には勝利しましたが、社会的に受けた損害はとても大きなものです。パークシティLaLa横浜の杭施工不良問題では、構造設計者の責任を論ずることなく全棟建て替えが決議され、その賠償責任はデベロッパーと建設会社の間で争われています。

 司法の場においては、民事裁判では真相究明よりは損害賠償能力が問われ、設計者の責任を明らかにしないままに建設会社が経済的責任を取る形で決着をつけることが多く、その結果、構造設計者が責任の取れる専門家と社会的に認識されない状況を生んでいるように思います。

 建築基準法は、第1条の目的で、最低基準と謳っていて、20条では、国の基準に適合することで安全とみなすとしているのですが、自然の脅威のもとでの建築の倒壊や損壊について、国が責任を問われることはなく、また法適合している限り設計者も責任を問われないようになっています。

 本来、建物の構造安全性については設計した人間が一番良く分かっている以上、設計者が責任取れるようでないといけないのに、今の社会制度が誰も責任を取らないようになっていることは多いに問題だと思います。もっとも、責任も、経済的責任、法的責任、道義的責任、説明責任などいろいろ分けて考える必要があります。

 パネリストには、立場の異なる3人の専門家をお呼びして、専門家の責任をどのように考えるか、自論を紹介いただき、フォーラム参加者との意見交換の上で、これからのあり方についての提案も整理してみたいと思います。奮ってご参加をお待ちします。
(神田 順)


第23回フォーラムまとめ

テーマは、「専門家の責任とは」ということで、まず、コーディネータの神田から趣旨説明がされた。1989年に、アメリカ、ボルチモアのジョンズホプキンス大学に1年間滞在した際、東京大学に来て10年目ということで荷重についての自分なりの整理をモノグラフ(Probabilistic Load Modelling and Determination of Design Loads for Buildings, Jun Kanda, 1990) にまとめた。その序章の問題の所在のところで「責任」について触れている。日本では建物に不具合があると、だいたいは支払い能力のあるゼネコンが損害賠償責任を取っているが、アメリカでは、構造設計者が訴えられる場合が多い。極端な場合は、過剰設計であると施主ばかりか設計者から訴えられることすらあるようだ。どうしたら責任を取ると言えるのか、ずっと気になっていた問題であり、今日は立場の異なる3人の構造設計者の方から責任について話題提供いただき、意見交換をしたい。

2003年の朱鷺メッセ歩道橋の崩落事故については、渡辺邦夫氏が自ら「責任あり」と司法の場に名乗りでて、崩落の原因を解析や実験で説明し、県の作成した報告書と対決した。その結果、民事裁判としては真相解明に至らないまま、構造設計者に賠償責任を問わないというかたちで決着した。しかし10年間にわたって被告の立場におかれたということは社会的な制裁としては極めて大きい。責任をまっとうすることの難しさを示している。

その後も姉歯による構造計算書偽装事件(2005年)、東洋ゴムの免震ゴムの規格偽装事件(2014年)、横浜のマンションの杭施工偽装事件(2015年)など、頻繁に建築構造に関わる社会問題が起きている。いずれの場合も構造設計者の責任を問題にするというよりは、法律違反なので、損害賠償をどうするかという経済問題だけが問われている。専門家として何をどのように判断して、耐震性がどの程度低下したかという工学的評価はほとんど報じられることなく、担当した専門家の声は聞かれじまいとなってしまっている。今後も事故があると同じ事が繰り返されるのであろうか。 学生に対して構造設計の授業で、構造設計者には3通りあると説明している。Professional EngineerとStructural DesignerとManual Engineerである。以前、ロバートソンと話をしていて、設計荷重をどう決めるかは基準に従うのみで特に興味もないと言われたことがあるが、そのとき彼はStructural Designerではあるが、Professional Engineerとは言えないのではないかと思った。 もっとも、責任と言っても法的、経済的、倫理的といろいろある。本当に議論したいのは倫理的責任(あるいは道義的責任)のあり方であり、説明責任をどうしたら果たしたことになるかである。そして、設計者だけがすべて責任を取るのではなく、国、自治体、建築主、設計組織、施工組織、管理主体などいろいろ分担されるべきものでもある。

パネリストの初めは梅沢構造研究所の梅沢良三氏である。熊谷ドームの受けた雪害の例を挙げて話題提供とされた。基準の積雪深は30㎝であるが、45㎝で設計。ところが実際の積雪は62㎝で、加えて積雪後の雨により、積雪比重を測ってみると0.6と基準値の3倍にもなっていた。座屈制御構造やカプラ・スクリュージョイントの説明もされ、構造体としては大きな損傷を被ることはなかったが、膜の破断という状況を生じ、張り替えることとなった。責任の所在というよりは、想定外の状況が起こりうることと、それにどう対応できるかという問題として説明された。  次は日建設計の向野聡彦氏。責任についての分析は、法的(外的)と倫理的(内的)という問題や、建築主に対する責任と社会に対する責任をわかりやすく説明した上で、現状で構造計算書に過大な要求がされていることの問題提起がされた。設計性能と実性能の違いも論じた上で、実性能こそが重要で、設計者としてもそれを確認したいという思いを常に持っているということで実際の経験例を示した。箱型断面済溶接の変形性能確認実験を始め、実大部材の実験により性能確認をさまざまに行っている。

実性能に関する例としては、1.緩やかな傾斜地に建つ建物の地盤調査が、十分でないために生じた地盤改良工事。予め指摘していたために責任を問われなかった。2.片持ち梁の施工手順の誤りにより地震時に先端部のガラスが破損。ガラスに応力がかからないようにするためには工事手順が重要になるが施工者との意思疎通が不十分であったと分析。3.二次的な間柱は軸力がかからない設計になっているが、これも工事手順によって鉛直荷重がかかってしまって地震時に座屈してしまった。決定権のあることに対しては責任を意識するとともに、責任の取れる仕組みにさまざまな課題があるとまとめられた。

最後は、大成建設の篠崎洋三氏。33年間の構造設計者として携わった実際に気になる例を挙げて、担当者としてあるいは管理者として、どのように責任を感じつつ仕事を進めているかを示した。事例1は、杭に対するネガティブ・フリクションが過小評価で倉庫の土間に亀裂が発生し問題となった。事例2は、壁の配筋の乱れが後の診断で判明したが耐震性能上問題ないことを説明することに多大な労力が必要となった。事例3は、超高層建築の中間層のメガトラスの施工において、施工手順により過大な変形が残りジャッキアップと部材挿入で解決。事例4は、高支持力既製杭の先端支持条件の確認の難しさ。いずれも、施主、設計者、施工者と責任の分担に差はあるが、設計者がどこまで責任を持つか難しい。ある妥当な信頼性や確率での判断というようにならないと解決しないのではないかと結んだ。 意見交換においても活発に議論が交わされた。西尾氏からは、不具合が発生したときに設計料の何十倍もの損害賠償が請求され、そこまでの責任を負うべきかと問題提起。設計時点での契約条項に、設計料を超える損害賠償の責は負わないということが入れられないかとの議論になったが、アメリカでは現実になされているが、日本では難しいのではないかとの意見が多かった。

鴇田氏からは、RC梁の貫通孔補強においても、補強筋の位置が少しずれるだけで取り壊しになるなど、実性能がどうかという視点で構造技術者の判断を尊重すべきなのに、設計図書と合わないから取り壊すとなるのは問題だという見解が表明された。

金田氏からは、向野氏の設計者が監理をしないと責任が取れない事も多いという考えと、現実には組織として設計監理を他者に任せることが多いことについて、どのように考えるべきかと問題提起された。

柴田明徳先生からは、設計された性能と実際の建物の性能には差があるとの認識を新たにするということに対して、神田から1級建築士による既存建物のインスペクションが社会の中で有効に育つと良いと補足した。

斉藤先生からは、構造設計者が責任を取れる態勢をつくるために職能団体の役割が大きいとまとめられた。

構造設計者の責任をどう考えるかについては、実践倫理における組織と個人の葛藤など、今回の議論を超える問題もさまざまにあり、今後も引き続き扱いたいテーマである。 (文責:神田順)