本シリーズは、建築を大きくは町場と野丁場、住宅と公共建築に分けて、その設計―生産の今日的問題を議論してきた。そうした中で、大きく浮上してきた問題として、デザインビルにおける設計者の役割の問題、在来木造住宅のシステムと担い手の問題とともに、発注方式の問題がある。今回は、公共建築の発注方式、特にプロポーザル・コンペの問題に焦点を当てる。この設計コンペの問題については、2段階・公開ヒヤリング方式と設計者選定委員会=建設委員会方式(竣工まで解散しない)の提唱を軸に、様々な具体例をめぐってシリーズ化したい。
第6回「発注者」の責任―プロジェクト運営の多様化と設計の質http://touron.aij.or.jp/2017/11/4504において、森民夫前長岡市長(「公共発注の諸問題」)が指摘したのは、市町村自治体における企画力の問題である。そして、第5回「建築家の終焉!?―「箱」の産業から「場」の産業へ」http://touron.aij.or.jp/2017/06/3969では、第3回で再確認された建築家のあり方について、そもそも「箱」としての建築をつくってきた建築家の概念そのものが無効ではないか、場所をつくっていく、まちづくりに建築を拓いていく新しい職能が必要ではないか、という提起があった。A-Forum・AB研究会は、「コミュニティ・デザイン機構―市町村建築・まちづくり支援センター」あるいは「日本コミュニティ・デザイン・リーグ」(仮)といった任意団体の設立をも視野において、その構想を煮詰めていきたいと考える。
今回は、守山中学校(滋賀県)の設計者に選定された石原健也氏(デネフェス計画研究所・千葉工業大学)の応募から竣工に至る経緯についての報告をもとに手法などをめぐって議論したい。
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男
主旨説明:公開ヒヤリング方式 布野修司(日本大学特任教授)森:森です。17年間市長をしていました。
布野:今後の課題については森さんの存在が大きいのです。先ほどの1枚目の資料の第6回目をご覧ください。一言でいうと、いま市町村には企画力がないということです。下世話に聞こえるかもしれませんが、森さんが市長会の会長を務めていたので市町村をサポートするようなことに参加させして欲しいという発言をされたのです。そこで安藤先生と私でどうにかできないかと考えたのが第一回目の始まりです。今日は若手が来ていますが、若手の方と議論したときに一番に言われるのが公共のものに参加したいというときに参加の仕掛けが少ないということです。ということなのでまずはコンペの在り方について議論することが趣旨の一つです。もう一つはゲストでお呼びしております石原さんの滋賀県守山市での守山中学校のプロジェクトについてお話をお願いしています。その後に私が国交省に対して色々仕掛けた話を紹介しながら、若手中心で行う日本コミュニティデザインリーグといった感じの任意団体を作れないかという議論を行いたいと思います。
それでは早速石原さんにお話をお願いしたいと思います。
石原:デネフェス計画研究所の石原です。よろしくお願いいたします。私は設計することと作ること、それから研究することが一体となるような活動がしたいということを考えております。今日はコンペから5年ほどかかった守山中学校のプロジェクトの報告ということで、コンペ提案から設計でどのようなことをしたのか、また入札で苦労した話とスーパーエコスクールについて写真を添えながら説明したいと思います。
まずは、コンペから竣工までの5年間についてですが、2012年10月に公告されてから一次審査が11月にありました。決まってからは10ヶ月で設計をおわらせなければならないというタイトなスケジュールで、同時に付属施設や校舎を発注しなければいけませんでした。そのため完成目標が16年の3月だったのですが、予定より遅れてしまい17年度のスタートに間に合わず完成は1年後になってしまいました。次にそれぞれのフェーズごとにご説明します。最初は守山中学校のコンペの段階の話です。まず、基本的に建築の設計というものの中でコンテクストやプログラム、それから、ものとしてのテクトニクスやエネルギーを考えることを意匠軸とします。環境工学や構造はエンジニア軸としこれらを回ることで設計が成り立つと私は考えています。そこへの取り組み方として、あるコンセプトをもって上からねじ伏せるようなやり方とそれぞれと対話しながら総合して進める方法があるかと思いますが、建築家によってスタンスの幅はあると思います。
石原:私自身はできるだけ一つ一つの対話の中からそれぞれのプロジェクトテーマを見つけて統合して進めたいと思っていました。この守山中学校案では一通り達成できたのではないかと思います。それがコンペ案でのプレゼンに繋がっています。こちらが守山中学校の敷地です。京都から20分くらいで行ける距離にある町で人口、住宅数ともに増え続けています。守山市は昔ながらの宿場町がある地域で、琵琶湖が近くにあるため風が常に吹いているそうです。
次に2次プレゼンのお話に移ります。全109案のなかで2次に進むことができたのは私を含め8案でした。2次審査提出は11月から1月8日の期間で、A2用紙サイズパネル10枚での提出だったため正月休みはありませんでした。そして1月10日の第2回プレゼンテーションでは今使用しているスライドでさせていただきました。建築計画には倉斗先生で構造は佐藤淳さん、環境シミュレーションをアラップさんに協力をお願いしました。先ほど守山市の紹介をいたしましたが敷地の情報を収集しているときに出会ったのがこちらの歌川広重の守山市の絵です。琵琶湖からの心地よい風が吹いているという情報をもとにこの絵を見ると、快適に生活している人々の様子が浮かび上がるようで、そんな風景を継承できないかと考えたのがこの案の入り口でした。
こちらが2次のプレゼン模型です。開放的につくりながらも全体的に繋がっているような校舎にしたいと考えたので、守山中学校の敷地はとても広いのですが校舎はコンパクトにしました。校舎の中に入ると小さな場が繋がっていて、多方向にアクティビティが広がるという町のような状況が内側にあることを目指しました。まず、このコンパクトな校舎の意味について説明します。守山中学校の敷地の隣には市民球場と運動公園、そして立命館というオープンスペースが多いです。こちらは50年前の旧校舎の写真ですが、単純な機能主義的に真南を向けて日光を当てるという周りの環境と関係をもっていません。そのため私は、守山駅から校舎に向かう先にあるT字に広がる部分を町に開くオープンスペースだと位置づけ重視しました。そして校舎をコンパクトにすることによって校庭を大きくし、オープンスペース同士をつなげるように提案しました。オープンスペース同士をつなげる一番のメリットは、開放的な校舎をつくるにあたって近隣の交通量が多い道路から距離をとることができることです。距離をとったうえで開放性を担保するということなので、ソフトボールコート4面分のグラウンドを手前に確保してオープンスペースにしつつ奥に校舎を収めました。他にも正門から球場につなげるルートを考えたのですがそれは実現しませんでした。このようにスポーツゾーンを隣接する球場につなげてランドスケープをつくっていきました。
石原:次に建築計画ですが、8、4、8のリズムでつくることが1つのポイントになっています。どういうことかと申しますと、8は8m×8mの64㎡の教室を指します。このとき倉斗先生に64㎡の教室は狭く、教室の1/4はロッカーコーナーとして必要になると助言をいただきました。そこで2つの教室合わせて4m×8mのロッカーコーナーを間に挟みました。これにより8mと8mの間に4mがきて全体に8、4、8のリズムを生み出すことがプランニングの1つの仕組みになりました。
建物全体は50m×100mとなっているのですが、普通教室を外周側に、多目的教室と特別教室類は中庭(光庭)を囲うように配置しました。それから昇降口の周りに校長室や職員室を配置して教室までの通り道にすることで地域とのコミュニケーションの場にできるのかなと考えました。
こちらは二次審査で使用した昇降口からラウンジを見た模型写真で奥に図書室があります。ちなみにこのときの模型は1/50で作りました。図書室を設計するにあたって隣の中庭の光が入り込みさらに奥の中庭が見えることによって開放感があればいいなと思いました。また、既存の職員室は完全に閉じている状態だったので新しい職員室は生徒たちが寄ってくるコミュニティの場にしたいと思いました。そのため、授業が終わって教室から出てきた生徒がテントのかかるような空間に集まるイメージでつくりました。それから環境についてですが、聴竹居のようなパッシブでその場の資産を使う計画にしたいと思いこの波上の屋根にしました。琵琶湖が守山市にもたらす風を湖陸風と言います。この風を校舎の中に風の道をつくり通すことで、快適でありながら省エネルギーにすることを目指しました。
コンペ段階からシミュレーションを重ね、風の流れが中庭を有効に使いながら通るよう工夫しました。他にも屋根の起伏が風をキャッチしていることが分かりました。また、前守山中学校は明るさを確保するために、南側に大きなガラス面がありました。そのため暑さを抑えるためにカーテンをし、照明を使うという何ともちぐはぐなことをしていました。そのためこの案では庇を設けました。実現はしませんでしたが、太陽光の熱は傾斜屋根を用いて暖気に変えて吸収しようと提案しました。逆に、基礎を使って新鮮な空気を取り入れてそれを地中の熱で冷やすというクールトレンチは実現できました。ちなみに地中で3℃ほど空気を冷やすことができます。
石原:次に駐輪場ですが、守山中学校の生徒の95%は自転車通学のため駐輪場が非常に大きいです。この駐輪場は既存のものを残して屋根だけ改修しました。新しい 屋根はギザギザの凹凸になっていて太陽光パネルを設置することで0エネルギーを目指しました。
最後に構造ですが、建物の真ん中は市場のテントがかかるような軽やかなイメージにしたかったので佐藤淳さんと相談しながら考えました。図書室上空の吹き抜けの幅は36mあるのですが、屋根は鉄板にして吊り構造がいいのではないかと考え、厚さ12mmの鉄板をカテナリー状に設置しました。またフラットバーは鉛直の力に耐えるためではなくあおり止めやサッシの方だてとして建てました。そのため断熱材含め15mmの鉄板で耐えている構造になっています。あとは既存校舎がありましたのでそれに対する仮設校舎をどうつけていくかというフローリングの提案もしました。という形で最初に建てた4つの項目に則して与件なくできたと思います。つくっていただいた作品集の中にはプリッカー賞の建築家など色々な方がいるなかでよく選んでいただけたなと思いました。
布野:少し言いますと一番は敷地の使い方だったのですよね。北側には既存の校舎がある
なかで多くの案が北と南側を使うもので分かれていました。しかし、石原さんの案だけが東側を使っていて、私たち選定委員会や市は想定外でした。そういう可能性もあるということで1次審査は通ったと思います。
石原:なるほど、配置が評価のポイントになったということは書かれていました。先ほど申しましたが案を10ヶ月以内で仕上げなければならなかったので厳しいなりにまとめました。エネルギーに関しては力を込めてプレゼンしたので相当シミュレーションを行いました。アッラプさんと研究を重ね、春分から秋分までの間に内部へと直接光が入らないようにしたかったので屋根の重なり具合を考えました。コスト面もありましたのでコンペ段階ではおおらか屋根がだんだんと寝るように低い建物になってしまいました。ハイサイドライトも直射光が入らないように重なりとズレ具合を調整しながらシミュレーションで決めました。また地中熱の取得やトレンチの熱の伝導をどうするかなどの様々なところもシミュレーションしながら屋根を作るとコンペ案よりも低く重なりが微妙なものになりました。そういったものを合わせながらさらに部分的に色々なところに光が入ると特定の時間に光が入るという情報を元にそれぞれにルーバーを手前に設けたり、図書館は二層吹き抜けなので手前に4メートルの屋根とルーバーをかけて直射光を二層分の高さが入らない様にしたり、一番南側のルーバーが必要になりますが、それから西日を受けるためのブリーズのようなものを段々全体に、まつ毛が伸びるように生物的にボディに対して育っていきました。このようなことを設計中にシミュレーションしながら ここは穴が空いていて直射光が入らず、間接光だけ入る部分ですが、構造的にはつながっている必要があるので穴で対処している場所です。そのようにしてシミュレーションをかけながら照明を合理化しました。構造なのですが鉄板構造で設計は一旦終えています。その時ポイントになったのが、こちら側がコンクリート造でここが鉄骨造で佐藤淳さんとしては、全体が鉄骨造ならば何も問題なくできる話でしたが、僕はこの建物は両側がコンクリートで洞窟的な空間で間が鉄骨でテント的な空間である意味建築の原型というか始まりに近い2つのタイプが一緒になるのが私的にはテクトニックで良いのではないかと意匠側として思ったのでコンクリートでやりたい、ここは鉄骨で、鉄板でやりたいという事になりました。その時に問題になりましたのが熱の収縮です。その事によって先ほど棟を下げたものですから、ここをこう引っ張る力が大きくなるので、佐藤さんが悩み、考え出したものが板バネというここで伸びる縮むという調整をして、コンクリートの破壊に至らないようにここで影響を及ぼさないようにして、かつここの内部張力によって伸びても縮んでも変動しないものを編み出しました。そして建築確認、計画通知を通しています。これは京都大学の審査会を設けて、何回も呼び出されて、京都大学の名誉教授の方と総合建築試験に4,5回行いました。そして佐藤さんに了解を得て確認を取りました。
コンペから設計を終えた模型がこちらの写真です。そして設計を終えました。
次に発注です。ここで最初の設計を終えて、報告準備や年度内発注をする為に、クラブハウスやテニスコートなどの付属のものは順調に発注できまして工事が始まり、僕たちの管理が始まったのですが、校舎がその勢いでいけるはずが、第一回、第二回、第三回で不調になり、最終的に一年掛かりました。そのあたりの説明をしたいと思います。最初の予算が18億でした。これは建築だけの単価です。坪単価は68万で入札者がなしでした。
布野:同時期に仕事されていたらだいたい分かると思いますが、震災がありました。職人がおらず会計の人に聞くと年度末にはなんとかなるのではないかという状況でした。
石原:それで一回、国交省の方にも色々ありまして、不調はこれだけではなく、いろんなところで頻発しておりまして、まず単価を実勢価格に直しなさい、ヒアリングをして実勢価格に入れなさい、その他にも仮設をしっかり見なさいそのようなことをやり、いろんな単価ヒアリングをしました。それから18億から20億に議会承認を得たのですが、これでも入札者なしでした。なぜ無しになってしまうかと言いますと、このように予定価格を出しますとこれより高いものに入れると、意味がないと言いますか、入札する意味も無いですし、できないということで、全然これではできないということが、ゼネコンさんの意思表示だという事になって、3回目までの議会が紛糾し、この屋根が問題なのではないか、非常にポイントにされまして、ちょうど同じ頃新国立の問題がありまして、森山さんの新聞記事が出たりして色々ありました。
布野:ゼネコン出身の市議の方がやたらと詳しかったです。
石原:前日の夕方に質問書が届き、翌朝までに回答を返せという、僕らも国交省の方と同じ立場で回答を返すことをしながら、ではここでどういう対応をしたかと言いますと、まず施工者に対して屋根構造の説明会をしようという、図面では伝わらないことがあるだろうということで、説明会をしつつそこで意見を聞こうということをしました。具体的にはこの屋根はこういう風に排水を考えていますだとか、それから鉄板は具体的にこうですとか、原寸で模型を作り、どのように考えているか、ここを溶接で、ここが一つのパーツで、〇〇さんができると言っています。などそのような説明会をしました。でこの鉄板の中の構造まで、模型で作って見せた。そのような努力をして、説明会を終えたのですが、3回目では予定価格を上回っても入札できるという会社が一社だけ入札していただけて、それが20億円の予算に対して29億でした。その後各社さんにヒアリングに出かけに行き、どういったところで、このような高値になるのか、また辞退になるのか理由をヒアリングにかけました。そこで各社さんから言われたのが、施工時のリスクと施工後のリスク、要するにちゃんと作れるのか、それはあなたたちに実績があるのかということを問われるところと出来上がったときにこんなに雨漏りしそうなところばかりでこれを本当に責任を持てますか?とそれをお金で担保してくれるのならば、出せますがということでした。リスク解消の条件としては、屋根を鉄板ではなくコンクリートで、金属板葺きではなくメンブレンの防水をしなさいという、それからサッシは立ち上がり300、これくらいの条件がなければ、中々取り組めませんよということが各社さんの意見でした。屋根構造の設計変更の決断をしました。この間で、建設委員会の先生方に一回ごとに来ていただいて、私どもに対して、客観的ではありながらも設計者を守る意見を言っていただきました。それがなければ設計者として孤立し、身動きならなかったのではないかと思います。そして最後に設計変更を決断しました。決断したのは私自身でしたが、その決断自体も良いのではないかという支援を頂いたわけです。
布野:要するに市長が耐えられなくなり、議会と当時新国立でテレビにてよく喋っていた同じ森山さんが市長に吹き込んで、僕が呼びつけて怒ったのですが、市長が耐えられないので建設委員会としての設計変更はやむを得ないという決断をさせられました。
石原:どう変更したかと言いますと、カテナリーの考え方は変えたくなかったので、これが鉄板構造の構造計算のモデルですが、これをそのままフレームにしてしまうことはできないだろうかという問いかけを佐藤さんにし、2メートル各でもモデル化されていたのですが、100角のH鋼でできないかと聞きますと、それは1メートル各にしなければいけないと言われ125のHを使い、それで構造の考え方は同じで、厚みが増えるということで、H鋼が間に挟まり、上に70ミリのコンクリートが打ち、外断熱をし、防水をかけてそれから天井を張るということで、150ミリが、320ミリという、厚さとしては少しぼてっとしてしまいますが、これで間に非常に太い柱が立つ普通のものではなく、吊る形で力の流れは変えずに、実現できるという目処が立ちました。ここのジョイントは同じように使っていまして、これで全体のコンクリート量はライノで正確に水勾配を取りながら、算出して、それで変更しました。このことによって、立ち上がりが300までだと光が入らなかったところもあったので、これを200でカバーして、勘弁していただき、入札順に臨んでいただいて、20億がその間で国交省がスーパーエコスクールの認定の補助金が増え、それを載せて頂いて、22億5千万で入札をかけた時に3月5日に21億9千万で落としていただき、他には24億の会社さんもありました。そしてなんとか着工できるようになりました。繰り返しますが、建設委員会が無ければ、僕らはこの辺りで解任されていたかもしれません。
布野:3回目の落札した会社とは違う会社ですか?
石原:違う会社です。この時に途中のヒアリングまで来て頂いて、辞退されたのがその会社さんです。もう責任が取れないので、という理由でした。
それで校舎棟の着工となります。
写真の手前の倉庫はもう出来上がって、既存の校舎を半分解体して、この校舎を建てる。コンクリート工事が始まっているところから見て頂きたいのですが、両側のコンクリートがカッコイイな、と思います。それで間ずっと鉄骨造になっていて、両側に普通教室が配置されています。
布野:大体みんな現場がカッコイイって言います。
だんだん良くなるっていうのが村野先生のやつですね。
石原:で、間に先行してコンクリートがあり、間に鉄骨がこれから入って行きます。このような形で建ち上がり、さっきのフレームが梯子状にして釣り込んでやって行きます。佐藤さんが建て入れを見ているところです。125で置いているのですが、これが板バネです。内側からデッキを貼られていたところを見て、こちらには戸建てが建っているので、こちらからは36メートルの凄さが分からないのですが、この8メートルが125ですので、こちら側は凄い引っ張られているので構造が持っています。このような形でどんどん工事が進みます。300ミリと厚なったのですが、外側の見えとしては、この200ミリぐらいにして、内側の天井を元々のイメージのテントのように白くしています。このようにしてサッシがつき、建物に木を使い、ルーバー状から光を教室に落ちるように考えています。このようにして全体が完成しています。ちなみにお金がなかったのでここの図書館の家具は隈さんが設計されて、今、着工している改築する図書館のお古を頂いて守山中学校の美術部と生徒と一緒にワークショップで所員と一緒に塗ってそれを照明を組み込んで図書館におく、ワークショップをやりました。これがまだ外構ができていない時に市長がとにかく今の三年生を入れろということで新校舎に入れることをしました。まだ何もできていませんでしたが開校することで市民のオープニングになりました。かなりの方が来て頂いて、嬉しかったことが、屋根の意味が中には入ってわかった、とおしゃってくれたおじさんがいたことです。そしてもうひとつ嬉しかったことが、この見学に来てくれた不登校の子が『私、来る!』と言ってくれたことです。この写真は向こう側に比叡山と比良山地があり、琵琶湖があり、そこに連なるような形の風景です。ここには中庭とテラスがあって、間に空気の抜けがあってこのような形で出来上がっています。これが既存の駐輪場の上の送電線です。もともと想定していた道からの風景がこのようにできて、倉庫棟と一緒に全体で200メートルぐらいの長さで、一つの景観を作り上げています。この写真では土ですが、今ではクローバーが育ちエントランス周りのコミュニケーションの場になっております。昇降口とテニスコートは南側にあり、雨水を循環して利用することもしております。連なる屋根は当初より厚くなりましたが、なんとなく最初のイメージはキープできたのかなと思います。テラスがいろんなところにあるのはお金がなければ無駄なのではないかというように言われましたが、構造が一緒なのでなくせませんという理由でキープできました。そのような意味で屋根下の面積に入らない空間が相当あり、それは子供達にとって良い居場所になっているのではないかと思いました。昇降口から図書館やラウンジです。二層分の図書館が学校の中心の場所になっています。まだこういったところに家具が置けていないので、居場所としては少ないですがこのような空間ができました。設計中に先生方はとにかく閉じることを要求されていました。職員室は全て壁にしろとずっと言われましたが、これだけはずっとガラスにして、ダメだったら何か貼ってくださいと提案しました。すると以外にも出来上がったら全然気にしないで仕事を始められていて、職員室がものすごく生徒が張り付く場になりました。前はこのようなコミュニケーションは全然見られなかったのですが、このようなコミュニケーションが発生していることが嬉しかったことと、あれだけ閉じることを主張していた人たちが平気で授業をオープンにしていることが嬉しかったです。
布野:廊下が4メートルなのは広いですよね?
石原:6メートルです。なので今後椅子でも作り、ワークショップをして居場所づくりをできたら良いと思っています。
そのように先生方が考えを組んで授業運営をしてくれています。休み時間はこのような場所で人が溜まっていたりします。
これは音楽室です。音楽室以外にもパート練習でこのような場所を使っています。この学校は吹奏楽部の活動が盛んなので、放課後はいろんな場所でいろんな音楽が聞こえて来る内部になっていて、大体このようなコーナーには部員の子がいるという学校になっています。続いてエントランスですが、ちょっとしたベンチを作ることで人の溜まり場になることができました。ここで本当に建設委員会がバックアップして頂いたおかげで、実現した校舎です。
布野:続いてエコスクールの話に参りたいのですが、ここの校長先生が物凄く立派な方で市長にも指示を出せるような方でした。
そして推奨されたこのエコスクールですが、現在スーパーエコスクールという制度ができており、是非お話を伺いたいです。
石原:スーパーエコスクールという文科省の認証がありまして、応募したら認められました。学校を環境建築として作るだけではなく、運営が大事ということで、運用が異なることでだいぶ異なってしまうので、運用をどうするのかということと、それを教育に結びつける。つまりそれを生徒の環境学習の一環として行うことを一体として行う取り組みを支援するものです。佐藤エネルギーリサーチさんというところにお願いして取り組みました。この中でまず先生方に光、風、熱の体験をしてもらうというところから体験してもらいます。そして先生方に意識を持ってもらうことが入り口でした。それをしながら実際に体感していき、光の明るさや熱の問題やそのようなことを先生方に体験してもらうことで節約するやり方を覚えてそれを生徒に伝えていき、それが教科になっていく、つまり校舎自体が教材になりいろんな物理現象を学んでいく、そのような取り組みでやりました。この教室の照明の切り替え方において、外側からこちらの列をつけることや真ん中だけつけることや照度計をもとに計算しながらそのような取り組みを設計中、建設中を含めてやり、出来上がった後は生徒に授業としてやっていくということです。ヘリウムガスが入った風船が夏に校舎のいろんなところに立っていて、風が流れる様子を視覚化したりしています。
布野:これは総合学習の時間にやるのですか?
石原:はい。いろんな教科の先生と一緒にやるということです。それから風を使いながら、窓の開け方や、ロッカールームをどう使いながら空気を取り入れるというような話を、みんなで話し合いながら決めていき、そのためには断熱性や輻射熱の体感をして、その上で先のロッカーコーナーと教室が外と内の温度差でこちら側は閉じここは開けるという空気の取り入れ方やここからダイレクトに入れるパターンをみんなで勉強して、それを実際の運用に生かそうということにした訳です。それを実際に通常運用からエコスクール運用として運用されるとどうなるかというシミュレーションをやっています。あくまでも自主的な評価ですが、CASBEE評価のSにギリギリいけるところになりました。
布野:どのくらいの建設費で上乗せがありましたか?
石原:2億弱くらいです。そのような形で学会でも報告させて頂いて、学校のようなもともとエネルギー消費が低いものは、環境建築を作ると、元より高くなることが普通ですが、そうならないように運用をしっかり組み合わせなければ、もともとよりかエネルギー消費が高くなるという実態がある中で、それを下げていくことをみんなで考えます。つまり元々の校舎は冷房がないので、これだけですが通常の場合、あの建物でもこれくらいかかるものを1450万に下げ、かつ送電を太陽光で行うことでかなりの0エネルギーまではいかないですが、そちらに向けた取り組みを学校でもできるということをここで示した訳です。以上です。
布野:それではちょっと仕組みの件を補足して質疑応答をして、意見が大体出そろったあたりで、お酒を入れて次の講談に入りたいと思います(笑)
(会場笑い)
布野:地図のある資料で、一枚目めくって頂きますと、本日、深尾先生がいらっしゃるとは知らなかったのですが、皆様のお手元に届いていないかもしれませんが、学会の建築雑誌の二月号に私のインタビューの隣に深尾先生のがあると思います。読み比べていただくと多少面白いかもしれません(笑)
深尾:僕のはつまらないと思いますよ(笑)
布野:あの、スタンスですね。冒頭に言いました二段階公開ヒアリング建設方式みたいなことをしゃべっています。それでその裏からですね、まあ資料があるんですけどこれ(スクリーンに表示されている資料)の説明書だけ全文用意してあります。それで、四角く囲ったところに、ポイントみたいなものを私が書いています。これの意見をぜひ皆様からお聞きしたいのですけど、まず、事業の目的というところ。これは必ず私がこういったものに参加するときは、首長さんに必ず聞きます。「何が作りたいのか」と、要するに「お前がちゃんと書きなさい」ということを要求します。守山の市長にもそういったんですけど、あんまり言っちゃうと影で下(の人に)に回してしまうので。長岡の市庁舎は森市長自ら自分で書かれたわけですけど。ただしその具体的な要項にこの四項目(紙の資料)挙げているんですよね。それで、三項目目に省エネというエコをすごく謳っていまして、これの提案がかなり焦点となったことがあります。要するに、コンペをやる場合には、ここをしっかり記し、何のために作るかっていうのを大事ですよというのが一点目です。それで、しかもよく再検討とかディティールに当たっては、採点表作って、出して0.1点でも上ならっていう話ではなくて、狙いをきちんとまず書いておくという事ですね。それから仕組みですけど、これはたまたま僕が関わったところでは実現したんで、次に全国でやりたいというのが、今の建設委員会へ移行して最後まで少なくとも見届けるということ。本当はその後に設計瑕疵があったり、問題が起こったりすることもあるかもしれないけど、それも含めて最後まで審査・選考委員は責任を取る。実は、滋賀県でやった四つ目の事例。これは県でやったやつですけど、今、暗礁に乗り上げています。SANAAが獲った。SANAAはそこらじゅうで問題を起こしますけど(笑)。新生美術館というのが合わなくて不落でしたけど、それを勝手に事務局とSANAAの妹島さん・西沢さんとで調整して、選考委員会で一番評価したエントランス部分を取ってしまって(笑)。それでいいのかと議会でクレームがついてしまい、今、宙に浮いています。そうなってしまったので、もう一度選考委員会を徴集して、そこでオーソライズするのが一番いいのではないかとアドバイスをしているなんですけれど、そういうことが実際に方々で起こりますので、これは全国でしたほうがいいのではないかと声を上げたいなと考えています。今斎藤先生がやられているのは愛媛県でしたっけ?
斎藤:香川ですね
布野:香川ですね。斎藤先生は香川県でやられていますけど、そのような形にもっていっていければと思います。それから、審査委員会のディティールに入ります。みんなに公開ヒアリングやるんだけど、皆の目の前で決めるのかっていうと、これはやってもいいんですけど、決定は審査委員ですよ。という事を原則にしてやってきているんです。僕は何十年か前にやった時ですけど、宮脇壇先生が(市民による)投票で決めますよ、とかなり言われた時期があるんです。実際にはここ(紙の資料)に書いてありますけど、政治的にもめた敷地だったり、反対がいっぱいあったりするようなプロジェクトの時にはそういう問題が(投票結果に)起きますので、審査委員会はクローズで、その代わりに説明責任を果たすという風にやってきているんです。それでいいのかどうかという事がありますね。えーと二段階あるというのは、いろいろ問題があるかもしれませんが、その意欲のある建築家がいることが前提で、それはただでも提案してくる、知恵をいただく。そのためには資格要件をできるだけ下げる。ただ、一級建築士であるという事などいろいろ必要な県があるので、それは考えますけどできるだけ多く全国から、或いは国際的にも提案していただきたい。できるだけ議論の必要性を求める。それから、これがなかなか大変で同じく浮気保育園というものをやった時の話です。可能であればやっぱり専門家が過半という事はずっと言い続けて来たんですけれど、これがなかなかできない。で、浮気保育園の場合は市長が勝手に保育関係の人を審査委員会にいっぱい入れていまして、露骨に言いますとそこで談合されていて、藤本壮介に決まったんです。終わってから聞いたら「藤本壮介さんだけが私たちに挨拶をしてくださったから。」みたいなことを言われて。まあ無駄話はたくさんあるのですが、これはたぶん議論でして、実は建築学会の古谷会長も特別委員会を作って設計者選定の問題をやるんだそうです。残り一年ですけど。それから深尾先生は幹事ですけど、建築雑誌で藤村委員長は全号で設計者選定問題をやる位のことを言っていましたけど、今学会を挙げてそういう、学会がやることかどうかは別ですけど、大体組織でやるとうまくいかないというのはわかっていますので、ここが舞台となってそういう声を上げていったらどうだと今のところ考えています。それと今、最大の問題は、全体スケジュールの期間ですけど、これはできるだけ長く取れというようにやるつもりなんですけど、企画が遅かったり、予算の締めがあったりしてなかなかうまくいかない。それで、結局は設計者に迷惑をかけてしまうことになってしまう。結果的にはその時間の中でやりきる労力を持った人が獲っていくというのがあるんだろうと思います。今回の場合は、若い人たちへの感想ですけど、やっぱりシミュレーションが出来たりですね、そういうツールを自在に扱えないと、これからはなかなか作れないような気がしましたけれど。それから、あとはまだ問題がたくさん残っているんですけど、こういう事例を市町村が参照できるようなドキュメントにして、長岡の事例とか、守山の今日の事例とかをみんなが見れるような形にしていったらどうだろう。(このA—Forumには)ウェブサイトがありますので、そこで見れるようにしたらどうでしょうか。公開ヒアリングは写真とか撮らせてくれなかったりするのであれですけど、後程懇談会の時に1、2枚写真が用意できると思いますけど、本当に下手なシンポジウムよりも面白いです。壇上に設計者がいて、審査員を反対側に並べて、やりあっている様子をみんなが見るというのは、時間の短縮にもなるし、なにが評価基準になるのかというと、市民がプロジェクトについて理解をする場所になるので、これも蔓延させたいという風に思っています。資料に着けていますけれど国交省大臣官房が配っているもの(プロポーザル制度)を声を出して下ろさせたい。という風に思っています。よく見ると「手間暇をかけないほうがいい」とか「実績で選ぶ」「質の高い設計を可能にする」「人を選びます」とか書いてあります。これをいちいち反論したほうがいいと思います。県の人たちはこれを盾にして「僕は玄人ですから、そんな要求してはだめです」といいますが、いや、敷地に対するアイデアだけではこちらは判断できない。という事で委員としても闘争しながらやってきている。私が今までやってきたことは結構ありますが、よくよく考えてみたら資料にエスキス・ヒアリング・コンペ公開審査方式と書いてありますが、これは島根県の加茂町文化ホールという渡辺豊雄さんが獲ったんですけど、あんなものは誰が作ったんだ、前に交通事故が起きたと批判されていたんですけど。非常にいいホールで、これが最初でした。こういうのが全国で出来ないかと。それで若手に参加してもらい、ちょっとやる気になってもらう、もうちょっと働いてもらう。ここでコメンテーターから意見をもらいましょう。
森:市長の立場から言うと、議会との関係をどうするかっていうのが最大の課題となりますね。アオーレ長岡の場合ももめまして。具体的に言うと、市議会の議場が一階のオープンスペースの一番いい場所で、そこに議会は反対をして。そこがガラス張りになっていたのでもう大反対で。そしてついに隈研吾さんがはじめて議会に出て答弁をしまして。
布野:それは、田中康夫知事が都庁舎で…
森:いや、そうではなくて。議員さんは基本的に秘密主義ですから、先ほどの職員室のガラス張りに抵抗があったのと同じですよ。基本的にガラス張りには誰もが抵抗すると (笑)。私も市長室が三方向ガラス張りだったので。私は設計が下手で、隈さんの先輩にあたるものだから僕が口を出すとその通りにしちゃ悪いと思って、最後まで設計図書を見なかった、任せました。そうしたら出来上がって三方向ガラス張りで、しまった、と思いましたね(笑)。もう出来上がってしまって。まあ大分誇張の部分はありますけれど(笑)。まあそういうことです。でも、そういう革命的なことをやりますと必ず反対が出る。先ほども話にありましたけれど、市長が議会で責められますと非常に困りますからね。やっぱり音を上げることもあるんですよ。その時に、長岡の場合はコンペに近い方法をとりましたけれど、委員会はさすがに残せませんでしたから、結局設計者である隈さんが、説明責任を果たすという形になりました。議員が隈事務所まで押しかけていって、直談判までしましたが、まあ隈さんに丸め込まれて帰ったみたいで(笑)。何を言いたいかというと、もめた時に市長の味方になってきちんと議会なり、あるいは市民にも、時々すごくこだわりがある人もいますから、説明をする仕組みはすごく大事になります。設計思想といいますか、例えば、波の屋根の設計の説明を市長にしろと言われても、市長には出来ないです。だから誰かが変わって説明しなくては。だからその仕組みが本当に大事なんだろうと思います。
布野:宮本市長は一応建築を経験されていますので、途中まで「自分が理解しないと。」という調子でいましたけど、ぎりぎりで「だめだ。」って言っていましたよね(笑)。
(会場笑い)
森:去年守山まで行っておにぎりをごちそうになった義理がありますのでカバーしますけれど(笑)、彼は彼なりに頑張ったんだとは思うけれどね。やはり一人ではだめですよ。市長一人と議会でやりあった時には負けますから。バックアップしてくれる組織があったという事はすごくよかったと思います。それが一点で、二点目は、今回の場合東日本大震災の影響があったと思いますが、やはり今の日本の設計だと実際の発注前後でコストが合わないという事が必ずあると思います。それは止むを得ないと思います。長岡の場合でも、結果的に地下の駐車場の台数を減らしましたからね。これは結果的に周辺の駐車場を使うという事でうまくいきましたけれど。コストコントロールの時も、委員会があって、きちんと説明するなり解決策を提示するという事が非常に大事になると思います。三つ目、まあこれがすごく大事なのですが、コンペにしても何にしても、評価基準というのが完全に具体的にあって、だからこれが選ばれたっていうのが非常にわかりやすい事例が、長岡の市庁舎の事例でした。隈さんと私が先輩後輩だからってたくさん言われましたけど、あれは誰が見ても最初に提示した建物の狙い、理念、建築計画的な目標をしっかり読むと、他の案と比べた時に、彼の案が選ばれるのが当たり前だ。という事がわかるという事これがすごく大事ですね。これらの三点が私にとって非常に大事ですね。最後に言えば、私もこの委員会を残して、私の後ろで弁護してくれたらよかったと改めて思いましたけれど、まあ後の祭りという事で(笑)。
(会場笑い)
布野:議論だけしていてもあれなので、やはり具体的にここで何かをやりたい。特に若い人を交えて。そうすると、そういうのにふさわしい首長を呼んできて、「こういうことをやりたいんだよ。」みたいなことをやると、この会場中で手を挙げて立候補、みたいなことをやりたいんですけれど(笑)。そうするとみんなここに登録してくれるんだよね。ここに来ればいいものが作れるぞってね。
森:いいモノを作りたいっていう首長はたくさんいますよ。いるのですが、どうしていいのかがわからない。一般的にはどういうことなのかというと、私みたいに建築出身だとか、顔が広い人間という人は数いませんから、普通の首長でしたら、地元の大学の先生に相談する。それから、過去の設計者に相談をするというケースが非常に多いです。地元の大学の先生が非常に造詣が深いとは限りませんから、そこが問題ですよね。一番いいのはコストコントロールが作れるっていうのがあったら、本当に飛びつく人は多いと思います。今僕にはいませんけれどね。
布野:今、そういう集団と組むと。
森:それを、旗を挙げてお手伝いしますよと、後押ししますよという姿勢だと思います。いろいろな意味で悩んで、議会に追及されたり、あるいは蓋を開けてみたらコストが三割増えたりとか、そういう苦い思いをした人がいっぱいいると思います。我こそは助けるぞというような旗を挙げるものは面白いかな、という事です。
布野:廣田先生からは計画委員会のメンバーにはこういうの全部周知できませんか。ここに結集するように。コミュニティアーキテクトにやるように。僕の時には出来なかったんです。それじゃあ質問。じゃあ、安藤先生。
安藤:守山小学校という実に素晴らしいものが誠意をもって作られたという事がよくわかりました。それから、この二段階方式というか、建設委員会までの流れであるとか、そういうことがあの、昔から教わっていますけれど、まさにその通りだと思います。若手の建築家を助けたい、それから建築家の立場を守っていきたい。そういう気持ちを持っていると申し上げておいて、私が疑問に思っていることが二つありますので、聞いていただきたいと思います。私は、いろいろなやり方があっていいと思いますけれども、設計者選定という事で、企画だの基本計画だのを設計者に任せていくやり方一つだけではもうまくはいかないだろうと思っているんですね。それと01番の発注者の目的が大事だというけれど、外国なんかで言うと、設計者だけでなくて、何の業者でもいいんですけど、発注をするときにはリクエスト・フォー・プロポーザルというものを出させるんですよね。普通2段階になっています。基本計画をきっちりと作るために、まずはコンサルタントを雇って、それをもって発注をするという。例えば企画力がないところのですね、というのが発注者の責任ではないかと、それは正道ではないかと。例えば、国立競技場もプログラムが全くできていないのに国際コンペにかけた、しかもプロポーサルだったというわけのわからないものだった。これらの二点があると思います。いい設計者を選ぶためのという視点もあるのですが、同時にどういうものに、どういう設計者なのか、その辺をグローバルなスパンで整理するのが必要と思います。二番目はプロポーサルという言葉に関してなのですが、日本は間違えていますよね。普通はリクエスト フォー クォリフィケーション。関心のある人が登録してくださいと。それは、以前の実績とかその他で総合評価しますよね。RFQというものが必ずあってそれで一段階目の選定をやる。あるいは指揮をする。それで、リクエスト フォー プロポーザルを受けて、それは設計の提案だったりなんなりするわけです。だから用語が第一間違えていて、クォリフィケーションがちがうなら、それに近い言葉を使う必要がある。その辺はグローバルなスパンに合わせて、言葉も少し整理していかないと。そういうところが日本の少し特殊なところなんですよね。そこも含めてちょっとお願いします。
布野:一件目については、県は二、三年かけて委員会を作って有識者を作ってコンセプトメイキングをしているんですよ。それから守山も中学校を作る時に色々な卒業生とかのヒアリングをしたりとか、周辺の市会連合の意見を吸いながら有識者入れて作っていきます。ただ問題はそれが平気で選考委員会に来た時にぜんぜん変わっていたり、コンセプトが十分に生かされていなかったり、その間に首長が変わっていたりすると、簡単にひっくり返る風土があるのが日本の場合は問題だと思います。
安藤:ちょっとついでに聞きますけれど、基本計画的なリクエスト・フォー・プロポーザルに対して、それよりもっといい全然違ったものが出てきたという問題もあると思うんですよね。
布野:それだと、その部分をコンテクストにするだとかそういったことが考えられますね。二番目については、まだ二段階のもうちょっとフォーマルにするとそういうことになるかもしれない。けど、基本的に日本でプロポーサルと言っているのは、「人を選びます」といった時に、人っていうのはその人の実績であったりするはずなんだけれど、組織の実績で勝負されると、まあ僕がいつも言うんですけど、「そうしたらいつも日建が獲っちゃうんじゃないの。」と。だから参加チーム(構成員)の実績を出しなさいだとか、いろいろな言い方でやっていますけどね。組織に何の実績もないことが線引きになるという事を気にしています。まあ議論ですから、ぜひこの会でぜひですね、ヨーロッパやアメリカの例を経験されたことのある方をこの場にお呼びして、議論したいなという事は斎藤先生とも話はしていますので、ぜひその企画をお願いしたいと思います。それじゃあ斎藤先生。難しい顔をされていますが(笑)。では、何か質問を。
斎藤:事業の目的のところ(紙の資料)で、「上記の施設整備の方針を満たす最適な設計案とするため、技術的にも功を奏した設計提案書を選定するコンペ方式」であるようですが、一方で設計者を選ぶという表現もある。だから、設計案と言いながら設計者を選定するコンペ方式であるようなんですよね。一言でいうとこの方式は何方式なんですか?
布野:これはコンペですね。
斎藤:コンペと言っちゃっていいんですかね。タイトルにもありますが。
布野:これは事務局がプロポーザルという言葉を知らなかった。
斎藤:布野さん的にはどう見ているんですかね。
布野:コンペはコンペですよ。
斎藤:設計コンペでいいんですか。
布野:そうですよ。
斎藤:じゃあ設計者を選ぶと言う文言は入ってていいわけですか。
布野:それは私のチェックが行き届いていなかっただけで、どこかからもってきたときに残っていたわけなんじゃないかという訳ですよ。
斎藤:となるとそのタイトルはコンペ方式と。
布野:はい。それで県の美術館をやったときは、僕が言うと「先生がおっしゃっているのはコンペです」と線を引く、県はプロポーザルでないといけないというわけです。それで根拠はさっきのですから、県は人を選びます、と言う訳です。
斎藤:それはおかしいね。
新井:布野さんちょっとよろしいですか。
布野:どうぞ新井さん。
新井:僕は30年近くコンペやプロポーザルといった設計者選定を自分で手掛けてきたので、今回のお話は石原さんの選ばれ方や、布野先生が今までやられてきたこと、この資料でポイントとして囲った部分や森さんがおっしゃったこともよくわかります。で、名称についてなんですけども、プロポーザルかコンペかといった、不毛とは言っては失礼ですが、今のような議論が沸き起こるんですよね、人とか案だとか。だからできるだけ使わないように僕はシンプルに設計者選定としています。
布野:いずれにしても随契ですよね。
新井:それは法律上の問題で。まあ随契にはなりますよね。
布野:ということですけどね、マニュアルといってはあれですが努力して作って撒きませんか。市町村宛てのものですけど。
新井:こう言っては身も蓋もありませんが森さんもおっしゃっていた通り色々なところの首長さんなり、職員の方もどうしたらいいかよくわからないと思うんですよ。そもそもどうやったいいかという疑問すらわからないかもしれません。プロポーザルというのがあるらしいといったり、他にどういう方法があるのかもわからないのではないかと。じゃあそう言った人たちにどこがどういう風に声を届けるかだと思うんですよ。これがまたまた悩ましいんですがJIAあたりがやっているじゃないですか。JIAは職能団体ですし実際役所もやりにくいじゃないですか。
布野:JIAは置いときまして。森さんがまず10人くらい首長さんを連れてきて議論をここでできないかと思うんです。そのためにマニュアルみたいなものができないかと。僕も充分年ですけれども若い人たちに奉仕できないかとちょっと思うわけですよ。
森:建築の皆さんがよく考えられていることと市町村長の考えていることっていうのはギャップがあると思いますね、私は。市町村長は一言でいうと後ろ指をさされなければいいというタイプが多いです。ですからプロポーザルだろうがコンペだろうがどちらでもいいっていう。で、手間がかからない方がいい。営繕部がまとめているものはそういった市町村長の意向に沿っているのかな。だから建物の目標、言葉を借りて言えば建築計画的にしっかりとした計画で立てているものはほとんどないですから、計画の部分もお願いしたいという感じが多いと思いますね。そうすると、この土地でどんなものを建てたらいいですかっていうものも多いんです。今回はその点で中学校っていうはっきりとしたものですからいいですよね。長岡市役所の前は文化総合フォーラムの案だったんですよ。文化総合フォーラムとは何ぞやという、だれもそれな何かわからない状態だったんですよ。前の市長がコンペだかプロポーザルかでやって選んだんですよ。
布野:で覆したんですよね(笑)。本当によくあるんですよ、そんなことが(笑)。
森:ですが実際に実施設計で3億円を払っているんですよ。相当文句は出ましたよ、だけど僕は建築出身だからひっくり返すにあたってはちゃんと払いますと。無駄になった実施設計もいただきました。まあそれは置いといて(笑)、何が大事かっていうとどんな建物かっていうことは市は何も考えていない、名前だけなんですよ。
廣田:よくそれで議会通りましたね。
森:議会はそのレベルなんですよ(笑)。そこをどう克服か考えると、僕はやっぱり建築計画出身ですから少なくともどんなコンセプトでどんな建物を望んでいるかっていうものをちゃんと作れよと言いたいわけ。できない人には手助けしてあげればいい。プロポーザルっていうのはこの敷地でどういったことをやったらいいかってことを提案してもらってから、それを選んで設計者は設計すると。
布野:違う違う、プロポーザルって今言っているのはまず人を選ぶっていう。
森:だから人を選ぶっていう時に企画がないと。建築計画レベルの企画を持ち込んでから設計者を選ばないと。提案を選ぶ方は設計者を選ぶときに人柄で選ぶんじゃなくて、提案された企画内容で選ぶでしょ。(プロポーザルでは)設計者を選ぶんだけどその提案された企画内容で選ぶんですよ。それは僕の言葉でいうと建築計画を選んでいるんですよ、プロポーザルは大抵。そこが一番足りないのが問題なんですよ。
布野:そしたら石原さんの守山中学校について何か質問とかありますか。
深尾:ちょっと一点だけ、いや言いたいことは山のようにあるんですけれども(笑)。石原さんのプレゼンテーションに対して。入札の1回目の不調あたりで、国土交通省の助言をいただいたっていう説明がありましたよね。
石原:助言というよりか、各市町村に単価は年度でしか考えられていないので、当時のような実勢価格の反映が遅れてしまうので、それに関する通達が出たのでそれをもとに。
深尾:単価に関する通達なのですね。助言があるとすれば文科省のはずなので、だけども文科省には能力というか意欲がないので不思議に思って。
森:OBとして言いますと国交省が決めて文科省はそれに倣うんですよね。
深尾:国交省も役所のなのかで全然違いますし。
布野:いや、全然それはなくて唯一文科省系のスーパーエコスクールについて市長が情報を持っていてそっちに行ったってことですよね。
石原:そうですね、はい。
深尾:わかりました、ちょっと不思議だなと思ったので。
布野:他に質問どうぞ。
宇野:市長さんと首長さん、設計者のお話になるんですが、例えば県市町村レベルで言ったときに土木が中心の公共事業を担当する行政職員が専門職でいらっしゃいますよね。そちらが自治体の公共事業と公共施設に責任を長年みていられる自治体が少なからずありますよね。で、今日の議論って建築のことをしっかりわかっている方が設計者も選定委員会、首長さんもっていうお話なんですが、そういう自治体っていうのはほとんどないじゃないですか日本には。そういう意味で特に石原さんに質問なんだけども非常に恵まれたともいえる特殊なケースなんだと思うんですよ。あれだけの精度と密度であれを作り上げたっていうのはシンボリックな意味はとてもあるんだけれども、どういうことが今後されていくと一般化していくと思いますか。一般化する実体験からコンペのしかたとか行政職員とか、あるいは首長や一般メディアにリクエストするだとか。
石原:少なくともあの1年間発注を繰り返した中で考えたことの1つは設計者と施工者の間の分断、公共建築はそれが激しいですよね。民間だったらもう少しネゴシエーションの中で技術のやり取りもしながら最後の値段をネゴしていける段階が民間だったらあるけれど、ああいうパチッと本来は設計者はゼネコンと一切連絡すら守秘義務からできないような分断がありつつ、だけどそこへある技術を調達しなきゃいけないと。そこにすごく悶々としました。で、ヒアリングに行くとやったことあるのかと言われるわけですね。ですから本当だったら部分的にモックアップ費用とか、制作と設計の間の部分でそういう予算化があれば、と。そういったのを先にやったうえでできないかとか。
布野:それは大きいところで。
宇野:やっぱり今みたいなモデルプロジェクトとして一辺には無理でも学校でもなんでもいいんですけれど、全国で5~10個くらい実際にやってみるっていうことを例えば内閣府が実験的にモデルとしてやるとか。そうすれば今みたいなことが実現できるんじゃないかな。そうじゃない限り本当に有能な人たちが努力と誠実さをもって初めてできる素晴らしい建築、だけど二度とできないみたいな。
布野:ちょっと踏み込んだ話をするとね、例えば設計見積もりを要求します。そうすると鉄骨関連でもある程度設計者側でヒアリングをするじゃないですか。ある程度そこはできますよとか。特に震災の復興期は特に鉄がないなとかある程度めどをつけているのに対して、それに応札してくるゼネコンレベルの話が問題のポイントとしてあるんです。
宇野:それは2つあってね、さっき土木のことに触れたんですけど土木の発注は20兆くらいですけどそのうち公共事業が90%くらいなんですね。建築の方は30兆前後で推移して、ちょっと減っていますけど。ほとんどが民間事業ですよね。会社は株式会社が多いから市場っていうのは民間で動いているわけですから、そこのところのルールがそもそも復興から高度成長の時代の枠組みがそのまま残っているから矛盾が生じているわけですよね。価格コントロールも実際はできないわけですよ、その仕組みがある限り。だからそこのところを専門家がこれだけ集まっているんだからうまく緩めることが自治体にとってのリーズナブルな価格でよりいいものを作る。それから公共施設を実際に作ってしまった後の方が20年30年お金がかかるわけだから、ライフサイクルも含めて何かもうちょっといいモデルを作らないと。この議論はもともと矛盾を含んでしまっているからなかなか解決するのが難しいかなと思っている。
安藤:土木はそもそも設計があって数量がちゃんと出る世界ですから、設計の進行している途中で色々決まっていく我々建築独特のものとは素性が違いますよね。
宇野:違うにもかかわらず土木の発注の基準で(建築でも)設計と管理を分離してしまいましたし、姉歯があったり。それで自治体も高度成長の時代に財源もないなかでね、行政職員も本当に苦しんでいると思うんですよ。そういうなかで森さんにお伺いしたかったのは、それでもよりいいものができた、それがシンボルになって一つのモデルになってそこで人が育ち地域がそれを大切にすればいいと思うんですね。だけれどもそれを一般化するときの定義案として理想状態を追求するだけじゃなくて現実に即しながら何かうまいやり方がないものかなと。
安藤:そのモデルは状況、環境や時代に応じて一つじゃないでしょ。
宇野:そうするとね、地方公共団体が日本では自治がほとんどないわけで、国交省がモデルを作って全部を一律なやり方でやるってことそのものを緩めないとなかなか難しいんじゃないですかね。地方公共団体が自分たちの実情に合わせて差配できるように、それから県外業者さんが入ってくるわけだから、それに対して議会が反対するのは当たり前で。それを論理的に調整できるかが話の一番根幹なんじゃないかな。
布野:土木と建築の発注に関する議論は、じつはこの会の2回目に安藤先生・古阪先生をお呼びしてやったことがありましたので、今回はこれぐらいで。そろそろ飲みながらとも思うんですけど若手の方とか何か質問ありますか。
渡辺:すごく魅力的な作品だと思うんですけども、やはりこの方式だと選定委員会が今後重要になってくると思います。選定した責任を持つ人であったりフォローしてくれる人がいないと実験的なことをやるときに孤立してしまう状況があると思うので、今後案を選ぶときに選定委員会がアフターケアする仕組みが重要かなと思いました。で、コストについて質問なんですけれど、予算はどれくらいでしたか。一回目、二回目の入札の話がありましたが、これは建築だけですか。
石原:そうです。全部分離発注です。
渡辺:分離の部分の設備だとかはどういう扱いなんでしょうか。あとはコストの状況とか教えていただけますか。
石原:設備電機は完全分離発注で建築と同時期に分離で発注されて、一発で落札されました。ですが契約が未締結で、いつまで有効かみたいな話になっていました。それからコストは当然ながら基本設計で概算をやっていまして。その段階で我々の概算でも1億円くらいはオーバーしていて、一回VE提案をしたうえで18億ならギリギリどこかやってくれるだろうと思っていたのですが全く甘かったです。それから先はとにかくヒアリングはこちらからかけなければそういった情報は得られないとわかりました。ですから情報収集をしながら仕様を決めましたね。
渡辺:ありがとうございます。
布野:あ、では斎藤先生お願いします。
斎藤:今日は本当に濃密なプレゼンで、すごく色々なことをもっと聞きたいなと思っているんですけれども、布野さんの書いた建築雑誌の「公共建築は実験しなくてはならない」、この実験という意味では各々のとらえ方をされたと思うんですが。まあ今回は少しエンジニアリング的なことからいうと、大変実験的でドキドキするような、テントがどうなるかだとか。まあザハの時もそうでしたけれど、テント的なイメージっていうのは軽量構造のファイナルなイメージじゃないですか。一般的な建築にかかわっている人からすれば代々木のオリンピック競技場だとか長野のエムウェーブは全部吊り型ですけれど半剛性のつり合いでやっているわけじゃないですか。そうすると軽い屋根だとやっぱり強度よりも剛性の問題が必ず出てきて、変形するんじゃないかと素人の方は思うわけですよ、いや私も心配なんですが(笑)。それは我々にとっても興味があるし、ものすごく実験的、挑戦的な。それも含めてぜひアーキニアデザイン発表会に(笑)。建築と設備も全部融合してやっていますからその証としてぜひ発表してもらえれば。
石原:おっしゃっていただいた指摘はすべて審査委員会ですごい質疑応答があったんですけれども。内輪の話ですけど実は佐藤さん忙しいので5回のうち佐藤さん1回だったんですよね。僕はスタッフの横でずっと聞いていたんですけれど本当に専門的なやり取りの中で最後は専門の先生でも確からしさっていうか、体感的な納得感というか。そこが大事なんだなっていうのがよくわかりました。
布野:僕が審査委員長だったから周りが布野にいじめられるんじゃないかって心配していましたよ。
斎藤:可能性っていうのはあると思うんですよね。ただ非常にイノベーティブだから、プロセスとしてはどこかでもっと小さいのをやってからだと良かったんだといと思います。
布野:斎藤先生ね、公共建築は実験的でなければならないっていうのは僕が言ったのを藤村さんにタイトルにされただけでね。その心はルーティーンなことをやるならコンペはいらないよと。それはですね、実は大谷先生が言っていた。公共建築は全員が使うんだから先進的なことをやってみんなで技術を共有すべきでどこかの楚姫式が独占的なものにするのはおかしいとおっしゃっていて、その気が強いんですよ。だからやってみて使えるのを全部オープンにしなさいっていう意味です。
森:ちょっと解説しますとね、小中学校ですと通常はもう決まりきった発注になってだいたい地元の設計事務所さんが順番に取るようになっています。実験ということが正しいかはよくわかりませんけども新しいことをやらない限りコンペをやる意味はないんですね。長岡の事例を言いますと通常は全部地元です。ほとんど決まり切っていますから多分設計する側も相当効率がいいし儲かるんでしょうね。長岡は災害がありましたからいざという時に避難所としての機能を十分に発揮できるような中学校を設計したいという風に思うと、そんなのはあまりないから新しい挑戦だということでやっぱりコンペをやりましたけれども。そういうことじゃないかと思いますね、実験というのは。
布野:はい、それではいったん休憩です。
布野:最初に喋ったんですけど、アーキテクト/ビルダー研究会としては今日の問題をシリーズ化して追求したいと考えています。次回3月末に違う事例として群馬県の話を、邑楽町みたいの問題をふくめて新井さんにお願いしたいと考えています。それでもうひとつ話題提供です。建設委員会が意味あるという話について。浮気保育園のときは、藤本壮介がワークショップやって選定したやつをあとで変えたんです。非常にフレキシブルに空間使える案を我々が選んだのに、保育室単位に全部閉じちゃった。それは僕と市長で怒って元に戻させた。建設委員会と維持するっていうのは案のどこを評価して選んだかを説明するのかというのもあります。この写真は新生美術館の公開審査の様子の写真です。これは面白くて、パネリスト同士で言い合えるようになっている。選出されたある案にこれはメンテにものすごい金がかかると言ったら、別の案に対して地下掘っているから高くなるだろうと、また、それに対してその辺はちゃんと計算していると言い合ったり。プログラムがおかしいって言われたので、委員長としては聞き捨てならない(笑)ので、全員反論してくださいって言ったりして面白かった。下はホールでこんな風に議論して、必要な情報はここで全部公開する。
布野:それで今回お見せしたいのがこちらのスライドです。2007年の国土交通省で山本理顕さんが座長して、コミュニティアーキテクト制度の法制度ができかけたのですが、東日本大震災があったのでできなかった。その以前には森さんが国交相でアーバンアーキテクト制度というのを仕掛けて、建築文化景観主事みたいのができかけたんです。そういうものをもう一回できないかという話です。コミュニティアーキテクトってイギリスですけどそういうのがあったりして、アーバンアーキテクト制度の時は梅野さんが住宅局長で、やりますよってところまで行ったんだけど、阪神淡路大震災があって、これもパーになった。そんなことやっている場合じゃないと。まずはちゃんと建築をしっかりしないと、となって第三者機関がやるみたいな話になって、姉歯問題が起こってみたいな流れがあって、こういう制度があったのです。(画面を指しながら)僕は日経アーキテクチュアに呼ばれて、アーバンアーキテクトでつくる街っていう話をしていて、直前まで進んでいたのです。それをもう一度できないかという話をしたんです。それでこの会でやろうと思うんですが、イギリスのCABEってご存知ですか。あれ潰れたみたいなんですよ。解体されたみたいです。ですがそれにはレビューシステムがあるんですけど、コミュニティアーキテクト制のシミュレーションとして色々なグループが各地域を担当してやっていますよ、というプレゼンテーションです。これ(画面を指しながら)を招集してやっていたのは住宅局長だった和泉洋人です。実現させますよって言っていたんだけど、東日本大震災があって流れて。それで制度的には変な制度になっちゃって。
布野:お手元の資料のMORI PROJECTって書いてあるものが今回提案したいお話です。90年代初頭に森さんが色々な人を集めてアーバンアーキテクト制が出来そうになったんですけれども、阪神淡路で潰れる。そのあと、和泉洋人がやろうとしたけど東北震災があってパーになる。そういう経緯があります。それでここのメンバーの岡さん、まちづくり支援センターみたいなものずっとしてきた、都市計画コンサルティングをやってきた方なんですが、経験から、そんなもんいっぱいあるからやってもしょうがないよって言われて、ちょっと思いついたのが「日本コミュニティデザインリーグ」。それは森チームは市長村長を集める。あとは地域ごとに、例えば資料の1番下に書いてある吉祥寺建築会のような地域で活躍してくれそうなグループを徐々に集めていく、コミッショナーは斎藤先生、という構想です。こういうのを議論していってほしい。有能な若手が、ちゃんと趣旨文とか書いてくれればって思っているんですけど(笑)、資料を作って市町村に見せるとか、必要なら来てもらってしゃべってもらう。国交相のような全国一律はやめて、良いものが1個でも2個でもできる仕組みができないかなぁっていうのが今日の問題提起です。
布野:ということで資料を一応つけてあって、引っ張り出してきたんですけど、例えば1994年にマスターアーキテクト制について(熊本アートポリスコミッショナーだった)磯崎新さんと対談したりとか、そのあとアーバンアーキテクト制ってのは日経アークテクチュアが取材に来たりとか、そこら中でインタビューされまくったんですけど来たけど全部潰されてる。それで和泉洋人のアーバンアーキテクト制がどうなったかというと、住宅マスタープランに関連して3億円あったんですがそのうち1億5千万をこれに当てて、300万ずつを50コンサルに配りますっていう制度にしちゃった。それが2年で潰れたのは東日本大震災があったから。という経緯でした。以上話題提供でした。これで若い人がやる気になってくれればいいなぁと。
宇野:僕たちの世代と今の世代と全く違う時代と社会を生きているわけで、こちらの若手の方から発言を聞いてみたい。
香月:公共施設やりたいとかそういう憧れはあるんですけど、実際プロポーザルとかでは参加するのは難しくて、設計のフィーなしで100案200案の中から選ばれた1等だけに支払いがあるという、他の国では考えられない制度になっているっていうのがある。
布野:他の国というのはたとえば(笑)。
香月:(笑)ある人が言うには、パリとかではプロポーザルはある程度は公募で、実績で選ばれて参加する制度となっているので、フィールはちゃんとあるらしくって…
布野:あやふやな情報ばっかり(笑)。ちゃんと研究して情報あつめていかないと(笑)
香月:なので公共のプロポーザルに参加すること自体に、懐疑的なところがあるんです。
布野:だから僕が関わると、ちゃんと理屈を付けて作業を本気でお願いするときは金払えって市長なり市に要求しますよ。だけどそうじゃない場合も多くて。
香月:そうじゃない場合は、落ちたらどうするみたいな(笑)。
宇野:例えばだけど、東京だとものすごい数の公共の発注があって、全部入札するわけでもなくて。例えば公園の公衆トイレとかも地域からクレームが付けば直す。それは順繰りにやっている。一定の予算があるから確実にその仕事はある。その時に例えばちょっとしたことだけど、それこそプロポーザルを地域の人たちと一緒に行えば役所からすればありがたい話だって言って、それが実現するんですよ。でもそういうのを一切しないのよね、建築の人間は。それが土木の人たちから見ると、なにか欲しがってばかりで、自分の作品ばかり作りたがっていて、あいつらなんだって言う風に思うわけ。反対に建築の側から見ると受付の人はデザインのことわかんないし勉強してないし、あいつらなんだみたいな悪口言い合っているっていうのが実態でさ、日本の世界ではね。それはもう昔の時代だってことでさ、みんなはもうちょっと町場から入っていって、役所の人たちも困っているんだから、現場の職員や首長さんたちは。だからみんなで提案してみたらいいんじゃないかな。その時に団塊の世代の上がっちゃった人たちに、昔はよかったねーみたいな話をして頼っちゃうのがいけないと思うんだよね(笑)。
相坂:今の話に便乗させてもらって(笑)。公共建築に関連して3つのことをやっていまして。JIAの関東甲信越支部の幹事をやっているんですけども、自分でも公共プロポーザル出しています。小さい実績をわらしべ長者的に保育園から小学校、小学校から中学校って広げられたと思っていて出したのですが、ダメでした。2つ目はまさに公園の緑地課がもっているような公衆トイレの改修とかポリスボックスとか小さいのがあるだろうって思って、東京都に行きました。住宅局長とかに話つないでもらって、公園緑地課に話してもらって、今年の予算でできるか分からないけど、運営費の中からちょっとずつなら出せるかもしれないから訊いてやるって言っていただいたのですけど、1週間から2週間ぐらいして建設局長クラスからは、完全にお前ら要らんって言われました。だけど東京って強いなぁって思ったのは、地方だったら人がいないから助けてくれって言われるのでしょうけど。JIAを通じてわざわざやっているのは、ピンで言いに行ったら陳情になってしまうので、そういう組織にはこういう人たちいっぱいいるので、持て余しているんで使ってくださいって言いに行ったわけです。それで入札だけで落ちているようなものが使いづらいって言われるぐらいだったら、こっちは作りたい、ユーザーはありがたい、公共は手が減るってことで三者三徳なので提案はしています。これは継続していきたいと思っています。3つ目は発注者支援で発注者って建築についてわかっている人が首長の自治体では幸運なのですけども、そうじゃないところが99%だと思います。で、高齢化が進んでいる建築業界で、自分たちではつくらないけれども若手に道を拓いてやろうとか発注者を支援してあげようという方がいらっしゃれば、モチベーションとしても、担い手がいっぱいいらっしゃるので、発注者支援組織をオーガナイズしていくような、これは士会と日事連と一緒になってプロポーザルやコンペを見守っていくようなことをやりたいとおもっています。
布野:それに可能性あると思いますか。僕ね、半世紀もJIAとか士会がやっているけど、その攻め方はちょっとダメと思う。貴方は一生懸命やっているから、以前協力するよみたいなことを言ったけど。たとえば今、六鹿会長にしたって組織事務所の人じゃない。組織事務所の論理とは(違うのでは)。今の実態としてやろうとしているのは民進党みたいなもんだよね。分かれないといけない。僕は東京都はえらい田舎だとわかったの。滋賀県が一番田舎かと思ったら東京都がもっと田舎だったってわかったけど。ちょっとそれはね連合しても住宅局が持っていってもダメという気がしていて。別のやり方が出来ないかって思っていて。
相坂:ではそれはあとで話しをさせていただきたいのですが、僕はその組織事務所を巻き込むのはそれほど悪手だとは思っていなくて。それというのも組織事務所は今困り始めていて、デザインビルドで自分たちの畑がゼネコンに食われ始めているので危機感を感じ始めているから。彼らは僕らを利用して、お前らの仕事を教えろって、やっと僕たちに手を差し伸べてきたって感じがするんですよね。
布野:それはちょっと違うかな(笑)。デザインビルドと組織事務所の問題はあるけど。でも一方で例えば久米設計は3億以上の仕事じゃないと合わないんだって。設計は住宅でもなんでも作業量は対して違わない。そうするとそれ以外はこぼれてくるんです。だから(組織事務所とアトリエの仕事には)補完関係はできている。
相坂:補完関係でもよくで、我々はコバンザメでも良いんです(笑)。
布野:柿木さんとかはどうなんですか。
柿木:自分はプロポーザルをどんどん出していきたいんです。ただ出せるものが極端に少ない。結構つらい。あれも実績でほとんど出せない。
相坂:しかも例えば守山中学校もそうですし浮気保育園もそうなんですけど、この前八幡浜のプロポーザルで533の応募があったんです。1つの市区町村の小さい3億行かないくらいのプロジェクトに。
布野:宇野先生はそうは言うけど、年寄りの役割だと思う、機会をつくるのは。
相坂:なので先生方には地方自治体に津々浦々忍び寄ってもらって、システムが出来れば寄り添うって言っているんです。
布野:だから森さんが俺は全国の市長に顔が利くから、俺を使ってくれって言うからこの発想をしているわけで。本当は森さんに演説して回ってもらうのが一番いいんだけど。それについていけばいいじゃん(笑)
相坂:我々は自治体に陳情に行っているわけじゃなくて、自分たちをこういう使い道で使えるっていうことを理解してくれる人を自治体側に増やしていきたいと思って行動している。そういう人が増えないと我々が行っても、どうしても仕事が欲しいんだろうなぁって思われちゃうところがむすかしい。
布野:業者扱いだからね。
渡辺:先ほどプロポーザル方式っていうのは、組織事務所が自分の仕事を取るためにできたシステムであると考えています。組織事務所では、公共施設はゼネコンではなく設計事務所がやるんだっていう、ゼネコンより上位っていう意識が強くて、僕はそういう感じで教えられたんです。その論理が、タダで手間暇かけないでやるんで、実績はいっぱいありますんで、人で選んでくださいと、その後はいかようにも変えられます、というもので、プロポーザルはその組織事務所の論理で回っている。今、若い世代とか実績が無くても、その辺を担保していただけるっていうか一緒になにか作っていくていうのであればありがたいと思う。先ほどの選定委員会みたいな、アイデアはいいけど実績ないよねってときに後ろ盾として選定委員会がフォローします、みたいなことがあると多少、役所としてもやりやすいし、いいかって話になるかもしれないという感じがしています。
布野:僕が書く暇ないからやらないけど。僕が書くと、それこそオールドパラダイムになるから、若手がちゃんとやったのをチェックするぐらいだよね。
相坂:布野さんとか新井さんのピンの力に頼っていたら長続きしないので、方法としてはありがたいんだけど」
渡辺:繋ぎとか最初の足掛かりみたいなのがあると助かるなっていう、こっちはつながりがない世代なので(笑)
相坂:助かるな、なんて行っていちゃダメでしょ(笑)。
村上:ここは割と計画系の先生方が多いんですけど、やっぱり建築家をもうちょっと使ってほしいっていうのがある。この土地あるけれども何やったらいいかなって考えるところに実は1番役に立つ人材がいっぱいいるのに、そこの策定方法のところに建築家がちっとも関われない。頼みたい人がいてやりたい人がいるのに、ちっともマッチングしないので、出会いがないっていうか、お互い探しているのに上手くいかない。これを何とかすればいいのではないか。
香月:最近観光コンサルと一緒に有形文化財を活用したまちづくりの仕事やっているんですけど、それもたまたまコンサルの人と仲が良かったからお仕事がきただけで。
村上:いや、先ほどの国交省のプロポーザルのこれ、これほど悪いことはないと思うんですよ。
布野:賛成、賛成(笑)
村上:これが出たときのこと、まだ覚えているんですよ。その前ってやっぱり設計者はしっかりコンペで選ぶって風潮があって、コンペのたびに1社当たり300万から1000万を払うのが当たり前だったって時代があった。ちょっと景気が悪くなったらどうやって安くできるかってところから、人を選べば案出さなくていいから、お金も出さなくてもいいだろうってことになったんですよ。たしか都庁のコンペの時は1000万ずつ出ていたんですよ。
渡辺:だいたい20年前ぐらいでしたよね。
新井:95年ぐらいだったかと。
布野:僕が東京にいたころは健全でしたけど、東京都にも選定委員会あったし、埼玉県も選定委員会あったし……なんでこうなったの、四半世紀ぶりに帰ってきたら、なんだこれはってなっていて。
村上:なんでプロポーザルって言葉になったかっていうと、コンペだとお金払わないといけないけどプロポーザルって言ったらお金払わなくていいんだなぁって。
布野:アイデアだけでいいでしょみたいなね。
廣田:だけど自治体のほうはプロポーザルって言っても、ちゃんと案作らなかったら相手にしてもらえないですよ。
村上:最初はそういうコンペと区分けするためのプロポーザルだったの。それがいつの間にか一人歩きしてこんなものが出ちゃったから、みんなこれをみてプロポーザルの案作って、そのうち案出してくれなきゃわかんないからってコンペと同じぐらいになっちゃった。
布野:それ言えないでしょ。家協会のなかで。それを問題にしてよ。
村上:だからこれをもっと家協会のなかで問題にしなきゃ、ってさっき思いました。さっきみたいに一言「職業団体」で片付けられるちゃうんだなあって。
布野:だから、それでアーバンアーキテクト制が潰されたのは普及協会に登録制を持っていくっていうので修羅場になったんです。だからここで勝手に登録してもらうよと、実績にね、こういう仕事したよって。それでこっちが意欲のある市長村長を登録してもらって、うちはこういう仕事が欲しいって言ったらぱっと打って(送るジェスチャー)。それをここでやりたい。
深尾:だけど住宅設計分野ではそういう団体がいくつもあって、設計者紹介します、登録してくださいっていう。
村上:あれは民間搾取だから(笑)
深尾:それと同じことで、かつそれが公共の仕事だったら、もっと中立性と社会の認識がないと機能しないから。
布野:だから大相撲協会と同じで、コミッショナーは斎藤先生で、そのーあのー、ね。
深尾:その発想が古い(笑)相撲協会とおんなじってのは。
村上:さっき布野先生がおっしゃったように、一番最初はとりあえず誰が参加してもいいよって文句があって、あとは意欲でいいからっていう1枚の案内があれば。
布野:誰かフォーマット考えてよ、1枚の。
廣田:今、布野先生が提案されているのは、僕、おととい一昨々日と東北の方を回って来たんですけど、どこに頼んでいいかわからないっていう首長さんがたくさんいるんですよ。そういう時にコンサルに頼んでいて、当たりが悪かった時ってすごい悲惨な状況になっているんですよね。で、あそこでは成功しているけど、ここでは失敗している、っていうところがたくさんあって、それは、コンサルはお金取るからそうなんでしょうけど。たぶんここの会はアドバイスはそんなにお金がかかるものじゃないから、そういう1段階としては機能すると思うんですよ。そういういい意味での組織になれば。
宇野:今の首長たちと少し懇談会やって、いきなりやるのではなくて、こういうやり方があるんだって意見交換を重ねれば、おのずからなんかやってみようかってなるかもしれない。最初から登録制とするのはどうかと。
布野:最初は口コミでいけるよ、多分。
安藤:以前吉祥寺で若手と飲んだ時に、今、供給が過剰で需要が少ない時、今はもう業者もみんなそうですけど、そんな時にね、供給側にこんなに能力がありますがって話をしてもね、意味がないんですよね。そうじゃなくて、今、廣田先生がおっしゃった様に、デマンド側にもっと責任を持ってちゃんとした選定をしてくれ。知識がないならこれこれがサポートしますよっていう、そういう話じゃないかと思うんですよね。で、結局は供給の側をさらに狭めている組織事務所からなんとかいいことも結果として起こると思うけど、基本はそういうことじゃないのかな、そういう発注者支援だよね。
森:さっきおっしゃったみたいにね、市町村に1800があるわけでしょ?全部持ってくるわけには行かないからね。
布野:そんなこと考えてないよ(笑)。
森:で、3つか4つのモデルを作ればいい。それでね、3つか4つのそういう意欲がある市町村長をここに持ってくることはできるけど、その時にはとりあえず、リーグでもなんでもいいから、まちづくりコンサルタントとは違う、もう全くNPOで、組織は必要なんです。見え方も大事なんですよ、斎藤先生とかね(笑)。なんかコミッショナーがいて、もう儲ける必要がないからもう本当に世の中の為に働いてもらう、それで相談に乗りますよっていう組織。それは株式会社じゃない。でもこれだけのメンバーがいればなんか知恵出ますよ。でも僕が言っているのは正式な組織じゃだめですよ。JIAは駄目だっていうのを僕が弁護をすれば、高級過ぎてえらい設計料はられるんじゃないかっていうふうに思われるので。
相坂:布野先生が言われているのはそういうCABEみたいなサポーターはもっといっぱい、複数あっていいってことですよね。
布野:違う、僕はいいものを1個でも2個でも3個でも実現できるよう、若い人たちにちゃんと仕組みだけはクリアにつくって…
森:大雑把に言えば功成り名遂げたコミッショナーのようなのがいて、その下に世の中のためにボランティア精神でやりますっていうようなペーパーがあれば、僕はまわれるんですよ。そうすると市町村も気楽に頼もうかなってなるんですよ。ここの場所はそういうものを作ったらいいんじゃないですか。布野は同級生だからね、俺が集めてこいって言うけどこっちの人はそう簡単に行かない(笑)。営業に行きますよ(笑)。
新井:本気になっているところに水指すようですけど、そうやって森さんが営業に出ている間はいいと思うんです。自分がコンペやりましょうってやってきたことだから。でも、それがもうちょっと広がるかなと思ったら、全く広まらない。俺が言わなくちゃやらない、結局、森さんが声かけないとやらなっていう状況にどうやったらしないかっていうことを考えてかないと、これどう育てるかっていうことを。
廣田:それは次回に(笑)。
森:僕もそんなにできないから、今の発言大賛成(笑)
安藤:村上さんの発言でちょっと思ったことなんですけど、もちろん今、公共施設を作ることについてどういう新しい回路とかできるかっていう、それでいいと思うんです。ただ、コミュニティアーキテクトっていうと、例えば空き家問題とかがあるので、それはやっぱり地方の首長はそういうものに関心持っていると思うんだけど、そういうものも扱うの?
布野:もちろん。ニーズに答える。
相坂:担い手が必要で、需要と供給のバランスがって安藤さんおっしゃるんですけど、仕事をほしいっていう側が多ければ、供給過多になっちゃうので、仕事を回す側に、もう充分やった人達とかが、需要を欲してる側のバランスを供給側にまわして、そうすると発注者サポートにもなりますし、組織事務所の延命にもなりますよっていうことで、組織事務所と共同していけないかと思うのですが。
布野:それは誰が差配するかっていうことが問題になるのでは。空間の配分っていうのは、決まっているわけ、こうこう…決まっているっていうかビックデータみたいなんですよ。安藤先生は違う意見を持っている様ですけれど。
安藤:私が思うのは、もう買い手の市場になっている時に、売り手が何か言ってもほとんど通じないので、買い手にこそ言わせないと駄目なのではないでしょうか。
相坂:買い手への囁き手っていうのがもっと増えていけばって思うのですが。
宇野:でもね、現役の大学で教えているから言うんだけど、景観とか意匠とかに行こうって人が激減していって、例えば、ものをつくろうって人も減っている。でね、この30年間くらい大学で教育をしてきた挙げ句に、みんな設計者になりたいとか、綺麗な仕事だけやりたいって人だけになっちゃっている。実際に建設をする人達をもっと応援しないと、全部が空洞なんだよ。そこはちょうど中間の世代もやれるから、サプライヤーになるんじゃなくて、コンサルタントになるっていう。困っている人はいっぱいいるんじゃない。そういう人達が、なるほどこの人たちは頼りになるな、っていう風なアクションを起こすしかなくて、そのときに作る人のことも相談しながらやらないと。
布野:じつは想定外にこの盛り上がりが続いているんですけど(笑)。フォーラムが2ヶ月にいっぺんしかないというのではもったいないので、ちょっと若手でワーキングを作って…斎藤先生いいでしょ、ここを使わせてもらって。ちょっとそういうことをやってもらいな。
東京って広いから若者っていってもいろいろ文化圏が違うみたいですし。藤村龍至一派にも声かけてあったんだけど、あれは本命でやるので(笑)。深尾先生が顧問格でついています(笑)。じわっと連携できればいいんじゃないでしょうか。
深尾:あの会はすべてがコンピューター上で物事が決まっていくので、ついていけない(笑)。
布野:僕の想定以上の議論ができました。タネはまけましたので、以降は懇親会で。
石原健也(デネフェス計画研究所、千葉工業大学教授)
森民夫(前長岡市長、筑波大学客員教授、近畿大学客員教授)
新井久敏(群馬県)
深尾精一(首都大学東京名誉教授)
宇野求(東京理科大学教授)
渡辺詞男(メタボルテックス)
香月真大(香月真大建築設計事務所)
相坂研介(相坂研介設計アトリエ)
柿木佑介(パーシモン・ヒルズ・アーキテクツ)
村上晶子(村上晶子アトリエ)
布野修司(日本大学特任教授)
斎藤公男(A-Forum代表、日本大学名誉教授)
安藤正雄(千葉大学名誉教授)
廣田直行(日本大学教授)