A-Forum e-mail magazine no.81 (13-01-2021)

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もっと話そう、建築のことを

昨年の12月は日頃モノグサで出不精な私にしては珍しく、見学会、展覧会、映画を立て続けに楽しむ機会に恵まれた。

見学会では、日本銀行の本館とそれに隣接する3号館の免震化の成果を見ることができた。1896年(明治29)竣工の本館と、1938年(昭和10)竣工の3号館を、地中の深さの異なる地下基礎部で連結一体化して基礎免震化しているのだから、気の遠くなるような難しいプロジェクトであったに違いない。そこでプロジェクトの設計から施工期間を通して、当A-Forumのコアメンバーでもある和田章先生が技術顧問として参画し、工事を成功に導いている。

ご存知の様に日本銀行本館は、日本初の建築家と言われる辰野金吾博士の設計・工事監督によるものである。ヨーロッパの重厚な天然石の組積造建築の影響を強く受けた辰野の設計は洋式建築とも呼ばれ、それ以降、日本各地に多くの洋式建築を生むきっかけとなった。この洋式建築の潮流が一段落する大正時代に入ると、鉄筋コンクリートの普及に伴って野田俊彦らが「建築非芸術論」を唱え、地震災害や火災が多い日本の建築は、意匠より質実剛健な構造を重視すべきとの風潮が高まったと言われている。

日銀の見学会と前後して鑑賞した展覧会は、この「建築非芸術論」に強く反発して結成された「分離派建築会」の「100年展」であった。日本初の建築運動とされる分離派建築会は、東京帝国大学建築学科卒業間近だった6名(後に2名が参加)の学生によって1920年(大正9)に結成され、1928年(昭和3)に散会している。その8年に渡る会の活動は、日本の建築界に鮮烈なインパクトを与えたとのことである。

分離派建築会の結成時の宣言文には「我々は起つ。過去建築圏より分離し、(中略)新建築圏を創造せんがために」とある。そして彼らは「建築は芸術か?」、「構造の合理性と建築の美しさは一致するのか」など、建築の本質に迫る問いに葛藤する。京都国立近代美術館の本橋仁氏は、「分離派の活動は若気の至りと捉えられがちで、専門家の間でもまともに知られてこなかった。しかし藤本壮介氏や妹島和世・西沢立衛氏など、いま世界的に評価の高い日本の建築の特徴とされている繊細さの中には、彼らの影響がきっとある。(だから)分離派建築会は、日本の現代建築のご先祖様なんです」と言う(朝日新聞20年10月6日夕刊)。

続いてその妹島和世さんが主役の映画「建築と時間と妹島和世」を観た。「大阪芸術大学に『丘』が建つまでの3年半の記録」と上映チラシにある通り、大阪芸術大学アートサイエンス学科新校舎の設計から竣工迄の3年間を記録したドキュメンタリー映画である。ご存知の方も多いかと思うが、キャンパス内の森を背にして自由曲面のRC版を3枚重ねるようにして、3階建校舎を構築している。

もともとこの映画は、大阪芸大が建築学科などの教材用の映像として記録することが発端となったと聞く。そのため映画の監督・撮影は写真家のホンマタカシさんで、ドキュメンタリー映画でありながら、妹島さんの生い立ちと妹島作品との関係を見せるようなことはしていない。

設計当初のスタディー模型やスケッチを前に、設計に込める思いを語り、建設現場で何人もの屈強な現場マンの先頭を歩く華奢な妹島さんの映像が続き、その最後近くで、妹島さんは「薄明るい空間をずっと作りたかったんですが、(この建築で)やっとそうゆうのが作れた」と言っている。興業的な派手さとは全く無縁な映画であるが、観る人に建築の設計について改めて考え直させる力がある映画と思える。

いつの頃からだろうか。ひと昔前に比べて、建築関係者が社会に向けて発信することが多くなったように感じられる。不幸にも人間生活と最も強い繋がりを持つはずの建築が、これまで「無用な箱物」、「コンクリートジャングル」、「莫大な維持費を要する粗大ごみ」などと揶揄され、果ては「コンクリートから人へ」という言葉が国の政策として掲げられたこともある。ようやく近年、建築に関与している側から積極的に情報が発信される兆しに、明るい光を見ることができる。

ちなみに冒頭にご紹介した日本銀行見学については、インターネットで「日本銀行本店見学」をクリックすると、見学予約サイトがありますので興味のある方はどうぞ。

(K.K)


日本学術会議主催学術フォーラム・第11回防災学術連携シンポジウム

東日本大震災からの十年とこれからー58学会、防災学術連携体の活動ー
“10 Years Memorial and Beyond Great East Japan Earthquake Disaster” 58 Academic Societies and Japan Academic Network for Disaster Reduction

2011年東日本大震災の甚大な被害から十年が過ぎる。この期間にも日本の各地で多くの自然災害が発生した。これらの災害について、多くの学会は調査研究、記録、提言、支援などを続けてきた。大震災後10年を迎えるにあたり、防災学術連携体の各構成学会と防災減災学術連携委員会の委員が、東日本大震災の経験とその後の活動への展開を振り返り、今後の取り組みについて発表する。同時に、防災学術連携体の前身である「東日本大震災の総合対応に関する学協会連絡会」の30学会共同声明(2012年5月)を振り返り、今後の防災・減災、学会連携について議論する。

詳細はこちら 日時:2021年1月14日(木)10:00~18:30
会場:オンライン 東京医科歯科大学 鈴木章夫記念講堂
主催:日本学術会議 防災減災学術連携委員会、土木工学・建築学委員会、防災学術連携体(58学会)
参加費:無料  

第35回AF-Forum

「日本の木造建築と林業」

コーディネーター:金田勝徳
パネリスト:大橋好光、稲山正弘、榎本長治

日時:2021年2月18日(水)18:00
会場:オンライン(Zoom)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第35回AFフォーラム参加希望」と明記ください。


日本における近年の木造建築の隆盛ぶりは、まさに爆発的と言えそうです。建築関係の月刊誌には毎号多くの木造建築が掲載され、各種の建築賞受賞作品の中に、必ずと言ってよいほど木造建築が含まれています。しかしその木造建築の歴史は決して平坦な道ではなく、木材供給事情や社会情勢の波に翻弄され、波乱万丈の様相を呈しています。

近現代における木造建築は、先の大戦の戦中・戦後に渡って繰り返された都市部の大火によって甚大な被害を受けました。このことから1950年に衆議院で「都市建築物の不燃化促進に関する決議」がなされ、同じ年に制定された日本初の建築基準法では、高さ13m、軒高9mを超える木造建築が実質的に禁止されました。それに追い打ちをかけるように、1959年の伊勢湾台風による木造建築の甚大な被災体験から、日本建築学会が「建築防災に関する決議」の中で火災、風水害の危険が著しい地域での木造禁止を提起しました。こうしたことを背景にして、日本国内では戸建て住宅以外の中・大規模木造建築が激減した時代が続きました。

一方で、森林資源が第二次大戦中は軍需用に、戦後には復興住宅用に大量消費され、森林の乱伐が繰り返えされて山林の荒廃が日本中に広がりました。そして甚大な水害・土砂災害が各地で頻繁に発生し、木材の不足も顕著となりました。そうした事態を改善すべく、国は様々な名目の補助金を支給し、伐採跡地への大規模な植林政策を推進しました。その結果、1946年当時4万haだった全国の人工造林が、8年後の1954年には43万haと約10倍の広さになりました*1)

ところがその時期に植林された森林資源が、木材として市場に出回り始めた1980年代には、木造建築の激減や、円高による外材と国産材との価格逆転などで国内の林業が衰退し、日本経済の足を引っ張る存在になってしまいました*2)。その対策のため、国は木造建築に関する法整備を進めると共に、2007年から国産材の「木づかい運動」を推進しています。さらに2010年には、「低層の公共建築物は原則全て木造化」を基本方針とした、「公共建築物等における木材促進に関する法律」を制定しました。この法施行を機に、公共に限らず、民間の木造建築が一気に増えることになりました。

しかし日本の林業の衰退に歯止めがかかり、成長産業になるにはまだ数々の問題があるようです。一つには国や自治体による各種の補助金で木材の生産は拡大しているが、その利益が生産コスト分に達せず、国の地方交付税や補助金体質がますます強くなっていると聞きます。また林業技術の水準が国際的に高いとは言えず、外国産木材との競争に勝てないのでは、と危惧されていると聞きます。 この様に、現在の木造建築が爆発的とも言えるブームとなっている反面、それを支える木材資源の供給の問題がしばしば言われています。そこで今回のフォーラムでは、日本の林業の健全な発展と、現在隆盛を極めている木造建築が一時的なブームに終わらせないために、私達建築関係者に何ができるのか、また何をすべきなのかを考えることにします。

皆様のふるってのご参加をお待ちしております。

*1)「木材利用の促進に向けて」 林野庁林政部木材利用課 ㏋

*2)「絶望の林業」 田中淳夫 2019年 新泉社刊


第19回 AB(アーキテクト/ビルダー「建築の設計と生産」)研究会
建築生産を支える専門職(サブコントラクター)の世界

コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男

日時:2021年3月27日(土)15:00〜18:30(予定)
会場:オンライン(Zoom)
概要・趣旨説明:中村良和
プレゼンテーション:
1.「瓦職人(屋根仕上業者)の世界」:(株)坪井利三郎商店 代表取締役社長 坪井 進悟
2.「鉄加工建材メーカーの世界」:カツデンアーキテック(株)  代表取締役社長 坂田 清茂

参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第19回AB研究会参加希望」とご明記ください。

戦後、日本の建築・住宅の供給構造は部品化を中心とした工法革新が進展し、住宅生産の性能向上と生産効率向上を両立させてきた。

現在その供給構造は既存の量産部品化がベースとなっており、一般の建築設計や生産現場に対して、構造、デザイン、デティール等の自由度喪失や技術能力低下といった影響が顕在化している。また、前回(第18回)のAB研究会では蟹沢先生から改めて職人不足を中心とした問題の現状と深刻さが報告された。

このままだと、行き止まりの袋小路に行き詰った状態のまま、建築・住宅の供給構造は停滞して行き、顧客も含めた全てのプレイヤーに未来が無いように思われる。

設計・部品生産・建築現場・品質保証といった一貫・連続していながら、それぞれがもっと顧客・地場に近く、自由度が高く且つ経済合理性が高いサスティナブルな供給構造に変革させて行く可能性はあるのだろうか。 そこで今回は、建築設計者があまり直接接触していない協力事業者(専門工事店や建材メーカー)に注目したい。

専門職(サブコントラクター)はBtoBということもあり、建築規模的にもエリア的にも小から大まで比較的に広範囲な事業展開をされています。その中でも専門職人・技術者の育成等も含めて事業継続性を克服されている事業者トップに現状と課題や取組み等をお聞きして、専門職(サブコントラクター)の世界を垣間見ながら、代替わりの秘訣や新しい職能ネットワークの可能性等について議論を展開したい。


第1回 アーキニアリング・デザイン・アワード 2020
一次審査通過作品発表

2020年12月19日に応募作品55点について一次審査をおこないました。厳正なる審査の結果、12点が一次審査通過となりました。

受付NO    応募作品名

05    スケールの異なる複層空間とハイブリッドな屋根構造 <福井県年縞博物館>
07    木頭の家
19    文化財の復旧過程を見せるための構造手法-熊本城特別見学通路-
24    TBM PROJECT - CLTを用いた折板構造V字梁 -
25    自然の力によって波打つ天板
32    LUCERNE FESTIVAL ARK NOVA  東日本大震災の被災地を巡回する移動式仮設空気膜構造
33    CLTと鉄骨によるフィーレンディール構造  鳥取ユニバーサルスポーツセンター「ノバリア」
35    垂井町役場
36    White Tubeーサークルパッキングのアルゴリズムを利用したトンネル空間で、来場者に憩いの場を提供ー
44    細く短い木材を シンプルにつないで スパン70mを実現する 大空間屋根構造  昭和電工(大分県立)武道スポーツセンターの屋根構造における「構造形態」-「部材構成」-「接合ディテール」のトータルデザイン
52    CRANKS
54    洗足学園 STAGE ON THE LAWN

以上12点

⼀次審査通過者は2021年2⽉6⽇(⼟)の最終審査会でプレゼン(プレゼン時間4分程度+質疑応答6分程度、プレゼン⽅法は⾃由)を⾏い、公開審査(Youtubeライブ配信)により最優秀賞、優秀賞を決定します。

神田 順  まちの中の建築スケッチ 神田カトリック教会—まちのアクセントとしての教会建築—」/住まいマガジンびお