関西の言葉で、「賢い人やなー」と言う言葉があります。賢いと言っても、英語では4つの単語、Intelligent(理解力がある)、Clever(頭の回転が早い)、Smart(頭がいい)、wise(思慮深い)があり、少しずつ意味が異なります。
この中のCleverとWiseの違いを述べた諺「Yesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself」がありますが、自らを振り返って、できれば Wiseな人になりたいと常々思っています。
構造設計の分野でも、建築基準法・施行令、各種の告示、日本建築学会や多くの協会から発行される規準や指針の使い難い設計式やルールが次々に出てきて、自由な発想ができなくなると、社会や法体系を変えねばならないと考える Cleverな人が多いと思います。一方で、法律はもちろん守るし、学会や協会の規準は参考にするが、設計はこれだけでできるわけではなく、物理学、力学に基づき自らで考えて設計していると言う Wiseな人もおられます。より良い社会を求めて Cleverな活動を続けることは重要ですが、既存の社会の流れには慣性力があり一朝一夕に変えられません。ここで、Wiseな人は社会が変わるのを待っていられません。
例えば、2003年9月の釧路空港ターミナル、2005年8月の仙台のプールなどで起きた、大きな天井の落下問題があります。これより前はもちろん後にでも、指の力で曲げられるほど弱いクリップを用いて留められる天井は日本中に作られてきました。このような天井は、一部のクリップが外れると破壊は次のクリップに連鎖的に広がり、全体が落ちてしまいます。天井が落ちても、設計当時の法律や学会規準を満たしていれば、残るのは道義的責任だけです。Cleverに法律や許可の仕組みをより良くする必要がありますが、これには時間がかかります。Wiseな人はこれらの天井落下被害をみて、自らの過去の設計、これからの設計を自発的に直そうとします。
1975年頃、日本建築学会関東支部の構造部会の活動の中で、構造設計者の立場が社会できちんと認識されないのはなぜかという議論があり、講師として弁護士をお呼びし、お話を伺ったことがあります。非常に簡単な回答なのですが、「災害や事故が起きたとき、構造設計者は弁償能力がないので逃げてしまうでしょう、社会は大事なときに逃げてしまう人を信頼しない」と言われました。
生涯収入の何十倍、何百倍の大きな仕事をしていて、被害の全責任を取ることはできませんから、構造設計の仕事は非常に責任が重いと思います。そのため、Wiseになって、独自性を発揮するのには非常に大きな努力が必要であり、どうしても基準や規準に頼ることになりがちです。しかし、基規準に従順に従って仕事するのにも、自由がないという別の大きなストレスがあります。ここに、より良い社会を求めるCleverな活動が必要になります。
構造設計者は、Cleverな社会活動を支援しつつ、Wiseになって安全な建築を明るく自由に設計するように頑張っていただきたいと思います。
(AW)