A-Forum e-mail magazine no.75(12-06-2020)

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「代々木」からのメッセージ
―1964から2020へつなぐ構造デザインの軌跡

「建築技術」(2020年7月号)特集によせて

昨年秋(11/6-13)、建築会館ギャラリーにおいて、恒例となった建築学会主催のArchi-Neering Design (AND)展2019が開催された。展覧会は題して「構造技術が拓く建築と空間」。JSCA30周年記念事業の「変革―建築構造の未来」展(建築会館ホール)と共催の形で同時開催となった。AND展は、来るべきオリンピックイヤーを意識して5つのテーマで構成。すなわち A)構造技術の30年の歩み―「空間構造」と「対震構造」、B)力学からオリンピックへ―学生の考える五輪スタジアム、C)構造デザインの世界―若手構造家の新しいプロジェクト、D)川口衞メモリアル、E)40 Years After ―BSSの軌跡、である。この内B)のテーマについて、構造エンジニア(アドバイザー)と協働した各大学の院生たちがプレゼンテーターとなり、「構造デザインフォーラム」(11/9)が行われた。

今回の特集の企画を具体的にスタートさせたのは、この頃である。AND展で示されたこれまでの構造デザインの軌跡や多くのエンジニア達が拓いたデザインプロセスの有様をリアルなストーリーとして形にできないか。そうした構想が今回、「建築技術」の特集として実現できたことは幸いという他ない。5月29日に一周忌を迎えた川口衞先生へのオマージュも強かった。空間構造やオリンピック施設に特化されているとはいえ、過去の30年、いや60年に近い“構造デザインの歩み”が多様な分野や視点から語られることはあまりないこと。次の議論のステップになればと思う。

特集の主役は国立代々木競技場―「代々木」とした。理由は3つ。第一に「代々木」はその誕生からずっと建築を志す人々にとっての里程標であり夢であり続けていること。筆者自身、おそらく「代々木」なくせば今日の自分はなかったと信じている。人、各々に異なるであろう「代々木」の魅力とは何かをたしかめたい。第二にいうまでもなく日本の構造デザインを本格的にスタートさせたのは「代々木」である。その成果や評価を注視することにより、今日にも継承すべき目標がみえてくるはずである。第三に最近の耐震大改修によって再度の五輪施設としての活用が決まった。大いなるレガシーとして世界遺産登録への期待がにわかに現実味を帯びてきた。それを支援したいとの思いが募る。第四に1964と2020の時代的距離である。かつてコンピューターなき時代につくられた「代々木」を奇跡のプロジェクトとして語ることはあっても、IT時代の今日に「代々木」を置いて議論することはあまりない。いま、「代々木」からのメッセージは何か。それを見いだそうとすることも本企画の主要なテーマといえよう。

思い起こせば、筆者にとって忘れがたい光景がある。前夜の予報では豪雨といわれた1964年10月10日。(旧)国立競技場の上空に飛び来たったブルーインパルスが五色の巨大なリングを放つ。一万羽の鳩と共に、青空いっぱいに描かれた一瞬のパフォーマンスに、仰ぎ見る人々から歓声がわき上がった。その時の「記憶」は年々、鮮やかさを増すようである。

はじめに戦火に消えた1940年の「幻の五輪」がある。1912年(明治45年)に日本はオリンピック初参加(ストックホルム)、1936年(昭和16年)のベルリン大会時に日本開催が決定するも、1938年には戦況拡大により夏季・冬季ともに開催権(1940)の返上となったわけである。そして戦後の1951年、日米講和条約によって独立が認められた翌年、日本は早くもヘルシンキ五輪への参加を果たしている。そして1958年(昭和33年)には、神宮競技場を8万人収容の国立競技場として大改修し、皇太子成婚(1959年)の5年後の1964年東京オリンピック開催が決定されたのである。1964東京五輪については多くの言説がある。そして国際平和と復興日本を世界に示し得たとされる成功体験としての「神話」や「物語」は、今日もなお、日本人を呪縛し続けているともいわれる。1970年代以降、それまで極めて低調であった1964五輪の話題が「昭和」から「平成」へ移った1990年半ばあたりから再び増加に転じてくる。自信喪失を重ねていた1990年以降の日本にとって発展途上の日本を象徴する1964東京五輪が再び呼び戻されてきたとする見方もある。そうした社会的状況を背景にした着想であろうか。2005年、当時の石原慎太郎都知事は「21世紀の東京で再びオリンピックを開催する」と招致運動をスタートさせる。2016年開催は挫折(2009年10月)するものの、東日本大震災から3か月後の2011年6月、ふたたび2020五輪を「復興のシンボル」と位置づけてその動きを加速させていく。そしてついに2013年9月、初のイスラム圏での開催をめざしていたイスタンブールを破り、開催権を獲得したわけである。トップダウン的な経緯や複雑な運営組織は建築界・建設業界にも強く影響をもたらし、時間の空費や計画の見直しなどの大きな躓きもあった。それでも五輪施設を無事、工期内に建設し得た関係者の努力は大いにリスペクトされるべきであろう。

突然、竣工の目標としてきたTOKYO2020は、新型コロナウィルス流行によって「延期」となった。来年の再開を期待する一方で、しばし考え及ぶ時間が生まれた。たとえば「誰のため、何のための五輪なのか」と。この難しい設問に対して吉見俊哉はこう述べている。「未来の日本に必要なのは、“力強さ”を追求したかつての成功モデルの二番煎じではない。そうではなく必要なのは価値軸の根本的な転換である。(中略)1964年とは異なり、人々が2020年に期待するのは、成長への夢ではなく、生活の質の充実や様々なリスクに対する回復力、そして末永い持続可能性への信頼である。大量生産と消費の社会から、文化や知識を含めた循環型の社会への転換を通じ、私たちが愉快に、しなやかに、末永く文化や生活を維持していくこと、これである。そのためにスポーツが大きな役割を果たせることをもしも2020年の五輪が示せないのであれば、この五輪に意味はない」と。1)

1964と2020の2つの五輪をつなぐ立役者は何といっても「代々木」である。五輪のあり方が時代や社会の波に翻弄されても、東京開催の賛否が揺れ動いても、「代々木」は毅然と立ち続けている。歴史・意匠の評価が微妙に振動し、新生国家の単純で明快な力強さや技術がもたらした新しい伝統美になじまぬ人がいるかも知れない。しかし新しきものに挑戦しようとする構造デザインの視点からは、今も学ぶものは多い。

たとえばホリスティックな、と呼ばれる包括的デザイン、先見性と突破力、想像力と柔軟な協調性、論理性と飛躍力。こうした人間の知力と情熱はIT時代の今日にも必要なことである。「代々木」が持つ普遍的な技術や明快な構造原理が建築の個性的魅力を生んでいることはいうまでもない。ここには安全性やコストだけでなく、より高き創造への道程を照らすデザインプロセスや物語があると考える。

「代々木」が放ち続けるさまざまなメッセージ。それをみつめ直すことが本特集に托された期待であろう。

参考文献
1)吉見俊哉「五輪と戦後―上演としての東京オリンピック」(2020.04 河出書房)
2)安田秀一「スポーツ立国論」(2020.03 東京経済出版社)

(斎藤公男)


第32回 AF-Forum
世界遺産への道 ―レガシーとしての「代々木」を考える―


鼎談:レガシーとしての「代々木」を考える―世界遺産への道
斎藤公男
山名善之(東京理科大学教授/美術史家)
豊川斎赫(千葉工業大学准教授/建築史家)

日時:2020年6月17日(水)10:00公開


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