東日本大震災で多くの犠牲者を出した石巻市内の二つ小学校の遺構保存整備事業プロジェクトが、2021年度の完成を目指して進められている。設計者は、それぞれの学校ごとにプロポーザルで選定され、筆者も双方のプロジェクトに僅かながらお手伝いをしている。
二つの小学校の内の一つである旧門脇小学校は、石巻市中部の海沿いに位置して、近くには石巻漁港、石森漫画館などがある。当時の記録によれば、地域住民は指定避難場所であった門脇小の校庭に避難していたが、校庭に津波が上ってきたため、校舎屋上に避難場所を移した。その直後に流されてきた自動車や家屋が校舎に激突し、車が炎上した後一気に校舎が猛火につつまれて、地域住民は命の危険に曝される状況となった。しかしその時既に、津波と火に覆われていた校庭を通って、別の場所に避難することは不可能であった。そこで教職員が教室にあった木製の教壇を2階の窓から裏山の斜面に架け渡し、地域住民はその教壇を渡って辛くも裏山に避難難した。
避難した地域住民は、「山の上から観た門脇小周辺の市街地は、黒い海水に沈み、火と煙に覆われて、まるで地獄絵図だった」と証言する。そのようにして門脇小では奇跡的にも、いち早く高台に逃れた300人の児童と学校に避難してきた約40名の地域住民全員が避難することができた。
この旧門脇小学校の保存計画は、本校舎両サイドの教室を解体して、最も火災被害の大きい中央の6教室分の校舎を耐震補強して保存し、火災を受けなかった特別教室棟と体育館を改装して展示スペースなどに利用することとなった。そして遺構として残される校舎に隣接して、校舎の内部を観察するための観察棟が新設される。
一方、石巻市北部の北上川河口近くにあった大川小学校では、全校児童108人の内の73人と10人の教職員が犠牲となった。石巻市内で校舎が浸水した24校の小中学校の内、学校の管理下にあった児童に犠牲者が出たのは大川小学校だけだったという。
亡くなった児童うちの23人の父母たちが、一人当たり1億円の賠償を求めて2014年に仙台地裁に提訴して、「津波は予測できなかった」と主張する市側と争った。仙台地裁は「教員らの避難誘導に過ちがあった」と認定し、仙台高裁も適切な防災体制を築いていなかった市側の落ち度を認め、今年の10月に最高裁がその判決を支持して原告側の勝訴が確定した。
震災時に大川小で小6の長男を失い、自宅で両親と当時高校生であった二人の娘さんも亡くした今野浩行さんが、原告団長として裁判に臨んだ。最高裁判決後、今野さんは朝日新聞のインタビューに答えて、「(事実を隠蔽して)閉鎖的だった教育委員会から我が子の最期の状況を知るには、裁判を起こすことしかなかった」という(朝日新聞2019年11月27日付朝刊)。
こうした状況の中で進められた遺構保存プロジェクトの仕事は、二転三転する方針に翻弄され困難を極めたという。校舎・管理棟の地盤の沈下状況調査、耐震診断、構造部材の強度・劣化状況の調査などの結果から、津波で流されずに残った施設を遺構として保存する上で大きな問題はないと判断された。加えて床板の津波水圧による盛上がりや倒壊したRC造の渡り廊下に、被災当時からこれまでの経年変化はほとんどないことも分かった。これら調査結果から、今後とも経年変化に対する観測、測量を継続し、明確な立ち入り禁止区域を設けることを前提に、倒壊した渡り廊下も含めた構築物に何も手を加えずに保存し、周辺を公園化して公開されることとなった。
裁判の原告団長だった今野さんは「大川小には今も全国から多くの先生が訪れ、(中略)自分が大川小の教員だったら何ができたのかを自問自答してくれている。そうした先生が一人でも増えることで学校現場が変わっていくことを信じています」という。当時の危機管理マニュアルは、「大川小に津波被害は発生しない」という震災前のハザードマップに従って校庭を一時避難所とし、その次の避難所を「近くの公園や空き地」としか示していなかった。そのため、次の避難所に移動するまで校庭に留まった空白の約40分間が、多くの児童と教職員の命を奪うこととなった。「救えた命」と結論付けた判決にも癒えない遺族の怒りと悔しさと悲しみを想えば、涙が溢れる。
旧門脇小学校と旧大川小学校の命運を分けたのは、マニュアルだけに頼らない状況判断の確かさの違いだった。私が駆け出しの構造設計者だったころ、「構造設計は人の命を預かる仕事」と先生や先輩たちから繰り返し言われていた。ともすれば細かな規定に縛られているうちに、構造の安全はその規定に守られていると錯覚しそうな昨今、改めて私達構造設計者の役割を考えたい。
参考資料:地震当時の現地の被災状況に関する記述は、資料によって異なる部分も有りますが、当時の「河北新報」掲載記事を主たる参考資料としました。(K.K.)
★写真のボタンをクリックすると写真が展開されます。コーディネーター:神田順
パネリスト:大倉富美雄(大倉富美雄デザイン事務所代表)、松井健太(東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 学術支援職員)
日時:2020年2月17日(月)18:00~★開始時間が通常と異なります
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第31回AF-Forum」とご明記ください。
イタリアン・セオリーとは、岡田温司の同名著書によっているが、現代社会の生き方を考察するイタリア哲学の思考を指している。建築基準法が膨大な規制の集合となって建築設計における知的生産の足かせになっている面が指摘できることは誰も異論のないところと考えるが、なかでも構造設計が創造的行為となり難い現状を、広い視点で論じ、専門家活動としての活性化の道を模索する。
類似の試みは、過去に2回実施されている。最初は、2015年11月9日に、日本デザイン協会とインダストリアルデザイナー協会の共催で、「Turning Pointに差しかかったデザイン・建築・環境について語り合おう」ということで、議論がされた。神田から建築基本法制定を議論する中で、イタリアン・セオリーが現代社会の根本的な問題を解き明かしており、専門家が専門家たりうるための鍵となる旨の発言をした。その後、2019年2月26日に、日本デザイン協会と日本建築家協会関東甲信越支部デザイン部会との共催で、「日本型規制社会と知的生産―イタリアン・セオリーから学ぶもの―」と題して、建築家を中心にトークイベントをもった。
建築基本法制定の議論が建築の構造技術者を中心として始まったこともあり、過去2回の議論を構造技術者も含めたものにしたいということが、今回のフォーラムの趣旨である。パネリストとしては、前2回のコーディネータである大倉富美雄氏と、イタリア現代建築歴史を専門とする松井健太氏をお呼びして、イタリア、建築と政治、法規制の役割などをキーワードとして活発な議論を展開したい。