建築分野で、偽装問題が起きると、技術者も昔はそうでなかったとか、仕事に誇りを持っていないのか、などと嘆く声が聞こえてくる。建築学会でも、20年くらい前から倫理綱領を定め、あるいは技術者倫理教材を出版したり、大学でも工学倫理が必修科目になったりということは、建築に関わる者が倫理に向き合う社会になっていることを示しているように思う。
一方で、倫理ということの理解をどれだけ深めても、それだけではだめで現実の場面でそれがどれだけ意味をもっているかが問われる。最近の建築学会の倫理委員会では、実践倫理が話題の中心となっている。
杭施工、免震ゴムやオイルダンパーの偽装問題は、いずれも会社の責任という形で問われており、企業倫理の問題とも言えるのであるが、つきつめると企業においては法令遵守の枠の中での経営の問題であり、経済論理はあっても企業倫理なんてあるのだろうかいう議論もある。倫理はあくまで人の心の問題であり、組織体に果たして倫理が存在するかということである。
もちろん、企業に社会性や環境対応を求めることはあるし、それを企業倫理と呼んで、そういうことが企業価値にも影響することで会社としても営業成績が向上するとすれば良いことである。いわゆるCorporate Social Responsibility(CSR)であり、その説明には倫理という言葉も含まれることが多い。
気になるのは、技術者の側の問題を問うだけで解決につながらない状況である。時間とコストが限られるなかで品質を求められるとき、決定権を持つ者が品質をわかっていれば時間を延ばす、コストをかけるということになるのであろうが、そもそも構造にかかわる品質は外からだけでは見えにくく、しかも微妙な数値的な差異であったりするから、なおさらである。
すべてを個人の責任でなされているときには起きにくい問題が、組織としてなされると初めて実現するときには丁寧に作られたものが、効率化やコスト削減という掛け声により、さらには複数の人がかかわることによりお互いの干渉を避けるようになると、品質に目をふさぎ時間とコストの流れが止められないということが起きるのではないかと分析する。
質の確保されたものを期待する一方で、そのことを経営者がどれだけ理解できているかこそが重要であり、一見倫理の問題として見えることを、コミュニケーションや企業論理の中での捉え直しがないと、個人の資質だけでなかなか解決できるものではないと感じる。技術者倫理をいろいろな視点から論ずることは意味があると思うが、答は容易ではない。
(JK)
コーディネーター:金田勝徳
パネリスト:神田順(東京大学名誉教授)、五條渉(日本建築防災協会 参与)、土屋博訓(日本設計 技術管理部 シニアマネージャー)
日時:2019年2月13日(水)17:30~
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「第26回AF参加希望」とご明記ください。
現在の建築基準法の前身ともいえる市街地建築物法が制定されたのが1919年でした。以来今日までの100年の間に、名称を「建築基準法」と変え、大きな変貌を遂げながら現在に至っています。その間、改正のたびに施行令、告示、技術基準等々、構造設計の際に準拠すべき規定が増え続けています。
構造設計者は、それらの規定を設計荷重やクライテリアを設定する際の拠り所にしている面もあります。しかし、構造体のモデル化から応力計算、部材設計の方法と、その適否の判断にいたるまで細大漏らさず規定され、それに適合させることが義務付けられていることに、設計の自由を奪われた様な羈束感にとらわれています。そして、これらの規定が日々留まることなく進む設計の多様化や技術革新などの変化に対応できているかについて、しばしば疑問視されています。
一方、これ等の建築基準法や関連法規定は、個人の財産権を保障する憲法29条のもとに定められた法律であるため、生命・健康・財産の保護を目的とする建築物が持つべき最低基準を定める範囲を超えることができないとされています。このことから、基準法が建築物、都市の安全を守る目的に対しては不十分であり、それを補うものとして、学会をはじめとした様々な団体による基準、規準、仕様書、指針の類が重要な役割を果たしています。
今、設計の自由度を確保しながら、最低基準を超える建築の性能を発注者と設計者との間で決める設計方法として、仕様設計から性能設計への移行が期待されています。しかし、それがなかなか普及しない原因の一つとして、当事者間で性能設計の核となる要求性能の内容を共有し、それを満たすための設計条件を設定するのに必要となる相互理解可能な共通言語が、まだ十分用意されているとは言えないことが挙げられます。もう一つは、建築基準法で言う「最低基準」のレベルが性能的にきちんと明示されていないことにあると思います。こうしたことから、設計者自身が、安全性確保のための判断を任され、その結果責任を負うことに伴う負担増を恐れて、積極的に性能設計に踏み出すことをためらうことも否めません。
そこで今回は産・官・学の各分野からのパネリストをお招きして、話題提供を頂き、皆様と一緒に現在の構造設計に大きく影響する諸規定の問題点と、それらを解決・改善するために目指すべき方向、そしてその実現に向けた課題は何かを考えてみたいと思います。多くの皆様のご参加を心よりお待ちしております。
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男
プレゼンター:成瀬弘 (Team Zoo Atelier Kaba)
コメンテーター:小野田泰明(東北大学)、大野秀敏(東京大学名誉教授)、相坂研介(相坂研介設計アトリエ)
A-Forum A/B研究会は、発注者・設計者・施工者を含む広い社会的基盤の中で建築ものづくりの諸問題を考える場を提供してきた。とりわけ大きな関心を払ってきたのは、及び腰の(公共)発注者と好むと好まざるとにかかわらず「業者化」しつつある建築家(設計者)の間に宙吊りにされた「よい建築」、「望ましい建築」をいかにして取り戻すことができるかという問題である。これに対して、A/B研究会は、新国立競技場建設にともなって前景化した問題を検討することから出発し、公共コンペを巡る諸問題とこれらに対する挑戦を取り上げ、さらには発注者支援の必要性を唱えて議論を重ねてきた。前回第13回においては、視野をいったん広げ、受発注者間あるいはデザイン・チーム内のリスク分担のあり方やBIMなどの影響を受けてグローバルに変貌しつつある建築設計の業務と職能を概観する目的で、英米における今日の設計業務の位置づけを検討した。今後2回の研究会では、公共コンペに再び焦点を当て、仏英の建築家(設計者)選定・委任プロセスを題材に討論を進める。建築家選定における発注者の役割と責任の確認がキーポイントの一つである。
第14回のプレゼンターにお迎えするのは、長らくフランスで活躍し、数多くのコンペにも参加してきた建築家、成瀬弘氏である。フランスにおいては、公共コンペに際して若手建築家に門戸を開くことが義務付けられているという。また、フランスの建築生産システムには建築家の伝統的職能と重なる独特の業務遂行主体〈maître d’oeuvre〉の定義がある。公共コンペのあり方に関する社会的合意の形成に、こうした社会システムの成立がどのように関与しているのか。この問題に深い関心を抱く3人のコメンテーターをまじえ、議論が深化することを期待したい。
いわゆる知的生産者(一般に言う設計者、デザイナー、コンサルタントなどの専門家)の仕事を、経済性の観点だけで測り、規制する日本社会の体質はどこから来ているのか。それは国際的に見ても偏芯していないか。現代イタリア思想における政治への思考を起点として、これからの専門家活性化の方法を探る
登壇:神田順、連健夫、大倉冨美雄、山本想太郎
日時:2019年2月26日(火)18:15~20:00
会 場:JIA館1F 建築家クラブ(東京都渋谷区神宮前2-3-18)
参加費:一般1000円、学生500円(飲み物代を含みます)
持ち物:なし
定 員:50名。申込多数の場合は先着順。
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お申込み:http://atyam.net/jia.html
*A-Forumでは申し込み受け付けを行っておりません。