金田勝徳
大学の建築学科に入学したものの、将来どのような仕事に就くか迷っていた頃、永く東京芸大で教鞭を執っていた山本学治氏の著書「現代建築と技術」(1968年 彰国社刊)に出会った。そこでは日本が1960年代の高度成長期を迎え、様々な科学技術の発展に伴って建築設計にも必然となった協働のあり方が論述されている。
建築が石造、煉瓦造や木造であったころ、構造設計も建築家の仕事であったという。建築設計に建築家と構造設計者との協働が必要になったのは、西欧から鉄筋コンクリート造、鋼構造が導入されてからのことだった。これを契機として日本にもラーメン構造が普及し、同時に構造材の工業製品化が進むと共に、建築構造に関する専門知識が必要になった。建築史家で構造学者でもあった山本学治氏は、その結果生ずる意匠設計と構造設計の分業化がもたらす「弊害」を予感していた。
この本の中で、山本氏は構造設計者が建築家の考えている空間や形に合わせて構造体を考え、構造計算をするだけの受動的な立場から協働関係は得られないという。山本氏が懸念していた「弊害」はこの点にあった。本来、建築家との協働のあり方は、「構造家の立場から設計全体の諸要素を建築家と討議することの中から、それぞれの建築の課題に適合した構造体を決定すべき」としている。
この言葉が、建築設計に関心を寄せながらも、建築家としての素養に自信がないまま建築学科に入学した私に、構造設計の分野で仕事ができるかもしれないと思わせた。それからの50年余り続けた構造設計は、言うまでもなく思うようにいかないことも多かった。しかし設計中は常にこの言葉を頭に置き、その時々に応じた課題解決を目指す毎日であった。
そんな日常を、先日(5/17)開催されたJSCA九州35周年記念講演会でお話する機会を頂いた。このことは、図らずも私の独立以来35年間の仕事を見直す良い機会にもなった。その間、多くの建築家と協働させて頂き、その中の一人である山本理顕さんが、今年のプリツカ―賞を受賞された。私が福岡で山本さんとの協働も含めて話をさせて頂いていた丁度その頃、山本さんは米国シカゴで行われたブリツカー賞表彰式に臨んでいた。なんという偶然だろうか。絶妙のタイミングに感謝しながらの講演会であった。
福岡でJSCA九州の多くの皆様とお会いできた翌日の帰路、浜松に住む45年来の友人と会うために、浜松駅で途中下車をした。これも全くの偶然であるが、私が駅舎を出ると同時に、駅前広場に並んだ大編成の吹奏楽団の演奏が始まった。まさか私を出迎えるための演奏のはずはない。何事かと配布されたチラシを見れば、「音楽の街」を標榜する浜松市が、市内の企業や高校の吹奏楽部のバックアップを受けて毎年開催している「街中コンサート」で、1984年の第1回以来今年は40周年記念の年とのことである。
そのプログラムによれば、コンサートは中・高等学校、大学、社会人の50を超えるブラスバンドが参加して、毎年4月から11月の土曜日の午後、浜松駅北口広場「キタラ」で開催されているという。出演オーケストラの数の多さと多彩さは、さすが「音楽の街」浜松である。たまたま私が聴かせ頂いた社会人オーケストラの演奏は、それぞれ違う立場の人が違う楽器を手にした協働であり、大きな拍手を送り続けた聴衆も加わった素晴らしい協働でもあった。
思いがけずこの2日間は、改めて協働の大切さを実感させられる日々であった。科学技術の進歩につれて、各分野の細分化と専門化が進む中で、ますますその大切さが増すことは確かだろう。そして今、急激な速度で進歩を遂げているAIと次世代の人びとが、どのような協働体制を組むかは、人間の将来を大きく左右する課題のように思われる。
「DXが地域建設業の未来を拓く」
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