第60回AFフォーラム+第3回AND研フォーラム「ポストモダンの時代/ITの普及」

日時:2026年02月25日(水)16:00~
コーディネータ:斎藤公男、松永直美
モデレーター:堀越英嗣(建築家)
パネリストとプレゼンテーション:
「コンピューターの実用の黎明期からの歩み」郭献群(構造計画研究所)
「「構造表現主義」の潮流とその位置づけをめぐって」 田所辰之助(日本大学教授)
「ポストモダニズムとエンジニアリング」倉片俊輔(大阪公立大学教授)

お申込み:https://ws.formzu.net/dist/S72982294/
YouTube:https://youtu.be/QSa5r8c3rNY

1950年頃からの約20年間、コンピューターなき時代ではあったが建築家と構造家との協働は高まり、1970年大阪万博において大きな成果として花開いた。空間構造におけるコンピューターによる実用解析の取り組みがようやくスタートした。
この頃、超高層建築の世界では一歩先んじた形で、1966年には東京海上火災ビルの設計が完了(竣工は1974年)。霞が関ビル(1968)を皮切りに多くの計画が実現に向かって動き出していた。

20世紀を代表する3つの壮大なプロジェクト ―「国立代々木競技場(1964、「代々木」)」、「ミュンヘン・オリンピック競技場(1972、「ミュンヘン」)」、「シドニー・オペラハウス(1973,「シドニー」)」が揃い踏みを終えた頃、建築界の思潮は大きく転回していく。「シドニー」の完成を待っていたかのように磯崎新が発した言説は強烈であった(「構造表現主義の墓碑銘」a+u/1973.10)。ポストモダンは主義=イズムではない、モダニズムに対立しようとする思想ではない、との声を押しのけてその流れの勢いは激しかったように感じられた。本来は過去の蓄積の中から送り込まれ、未来へと発信する意味を持つべき歴史的スタイルが、過度の商業主義的状況の中で、その物語を失った、とも言われる。

意匠優先:構造軽視の時代ともいわれ、空間と構造の融合や構造デザインの言葉も聞かれなくなり、建築家と構造家の協働もメディアの世界から遠のいていった。1970~1985年は謎めいた時代。かつてその実像の解明に迫り、その先を探るために「建築雑誌」(1989.1月号)は画期的な特集を組んでいる。「ポストモダニズムという言葉は、便利であっても、きわめて内容がわかりにく曖昧な用語であるという批判がある。が、その一方で、ポストモダニズムは、建築の世界に完全に定着し、さらに新たなる展開が始まりつつあるという認識が高まりつつある。このポストモダニズムとでも称すべき状況が本当に到来しつつあるのか。そうだとしたら、その建築デザインの展開はどのようなものとなるか。(中略)本特集では今後の建築デザインの展開を担うであろう建築家を国内外から20名を選び、質問に対する解答を期待したい」と。ここでは「デザイン」という言葉が建築家を中心に語られている。

今回のフォーラムではアーキニアリング・デザイン(AND)の視点から1970~1990年の建築界のさまざまな動きもとらえてみたいと考えている。たとえばコンピューターの発展の推移(超高層と空間構造への影響)。構造表現が話題となったポンピドゥー・センター(1977)とファラデーホール(1978)の比較、丹下健三の東京都庁舎(1991)と槇文彦の秋葉台文化体育館(1984)、幕張メッセ(1984)などにみるデザインの理念と手法。ワールド記念ホール(1984)のパンタドーム構法、村田豊のメッシュ・メンブレン(1981)、葉祥栄の小国ドーム(1988)といった技術開発的テーマもありそうである。お招きした2人の史家とITに詳しい構造エンジニアによる多様な「時代の有様」を通じて、混迷の今日にも、そして未来につながるようなメッセージを考えたい。(斎藤公男)