かつて、「建築構造パースペクティブ」(1994年)を日本建築学会から刊行したときに、「構造は美しくあるべきか」という拙文を載せた。そこでは、今はない日本IBM本社ビルの鉄骨構造が立ち上がったときに、美しく思ったことから構造設計を志したというような趣旨を記した。そもそも構造は美しいのでそれをCGで表現したら構造の魅力が伝われるのではないか、というような趣旨である。そうは言っても、中には、構造が、これは美しくないというように思われるものもある。その場合、構造というよりは、もともとの計画の問題だったりする。美しい構造もあれば、美しくない構造もある。
ここでは構造設計者あるいは構造エンジニアから、構造を美しくしようと思うか、あるいは、構造を美しいと思うのはどんなときか、という問いかけへの対応を聞いてみたい。ひたすら合理的で無駄のない形を美しいといえるか。美しくすることが倫理性に外れることはないか。合理的であるべきとするころに倫理性を感じるか。
柱梁で骨組みを構成するときに、階高とスパンの比や、柱断面、梁成の適切な寸法をどう決めるか。全体のバランスが大切だとして、そこに形態としての美しさを組み込むために、構造合理性から少し離れるときの決断をどのようにするかは、設計者個人の技のように思われる。出来上がった形の美しいものは、多くの人が美しいと納得するように思う。もちろん、中にはそうでない場合もあることは承知しているが。
新幹線の、両端に跳ね出し梁の連梁の橋脚の設計にあたり、跳ね出しを柱間隔の2分の1にすると、全体が均等間隔となる。しかし、梁端部の曲げモーメントを考えると柱スパンの3分の1より小さくする方が合理的であったりもするときの、設計判断の問題である。また、日本で一般的な柱の断面は、ヨーロッパ、アメリカなどに比べて大きい。これは耐震性を持たせるための理由と考えられるが、そこで一般的な柱断面より、意図的に細くすると、美しく感じられると判断する場合などもあろう。これらはほんの一例である。
パネリストとして3名の構造エンジニアに具体的な構造を対象にして話題提供をお願いし、その後で自由討論の場としたいと考えております。大勢のご参加をお待ちします。