ここに書くということなので、人とは、だいたい構造技術者をイメージしており、仕事とは構造設計を意識している。原著は60年も前のものであるが、ハンナ・アーレント(1906-1975)の「人間の条件」の冒頭に、人間の活動として仕事と労働を区別する議論があって、気になった次第である。読み進めると、ギリシア・ローマ時代の社会通念としては、市民のするのが仕事で、奴隷のするのが労働ということらしい。あるいは、人は、つらい労働から逃れようとする、というようなことも書いてある。 構造技術者は、構造物を安全にすることにその使命をもっている。ところが、十分に、ひとつひとつの条件を考える余裕なく、決められたルールにしたがって設計図書をつくるだけだったりすると、それは仕事とはいえず労働とよぶべきものなのだろう。言われたことは丁寧にやっていたとしても安全かどうかは、自分のあずかり知るところではなかろう。
ものづくり一般でも同じことが言える。ある使用目的をもった物をつくることは、職人の仕事であるが、ベルトコンベアの流れに乗っての作業は、労働と呼んで、仕事と区別して考えるというのが、近代の考え方にもなっているようである。われわれの語感としてもつ「労働」の言葉は、やはりマルクスを起点とする社会主義・共産主義の議論の中で定義されたもので、労働の生んだ価値を投資家が搾取する資本主義社会の構図を思い浮かべる。
人間の本質的な部分として、仕事をすることが社会への寄与になっているとすると、安全な構造物を作ることに対して責任ある対応を果たすと言う意味では、決められたルールに従うだけでは、仕事をしているとは言えないということになる。もっとも労働という形に作業を分解することで、効率よく生産することができるようにしたのは、決して悪いことではないし、いろいろな場面でもあてはまることである。例えば、料理の際に材料を刻む場合でも、ひとつひとつ大きさや形を考えて、完成品の質を上げることを考えながらするというやり方がある一方で、刻むという作業においては、ひたすら何も考えずに刻むということが能率を上げる。そのどちらがプロかと言うとまたわからなくなる。
いずれにしても、概念として仕事と労働を区別し、人間の条件は仕事をすることであると理解すると、改めて、構造計算においてどこまで基準で決めるのか、さらにはそれを法律で決めるのかということが気になってくる。業務独占を与える一方で、計算方法の細部まで告示で規定をした方法にならうことを、専門家のする仕事と言えるのだろうかということだ。それが安全を保証するのだとすると、その保証された安全とは何かということでもある。誰がどのような意味で責任をとることになるのだろうか。
職人が仕事に誇りをもって、責任ある営みが物をつくることは、人間の本質にかかわることである。法律で決めた以上は、すべての人が守るのだとすると、それは安全水準として最低基準を詳細に規定するのではなく、安全水準に対して職人が決定権をもてるような枠組みにすべきだと考える。
「人間の条件」の大半で、仕事と労働が論じられているが、終章では、近代哲学が紹介され、その最後の節のタイトルは「労働する動物の勝利」とある。単に、仕事をすることが人間の条件という話でもなさそうである。
(JK)
コーディネーター:斎藤公男
パネリスト:小澤雄樹(芝浦工業大学)、小堀哲夫(建築家)、萩生田秀之(構造家)
日時:2017年10月2日(月)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「19回フォーラム参加希望」とご明記ください。
「人間の歴史は、ある意味ではテクノロジーの歴史でもある」と、かつてノーマン・フォスターは語ったことがある。この言葉を建築の世界に当てはめれば、「建築の歴史とは、ある面では構造技術の歴史である」となろう。特に柱のない空間(Column―Free Space)をいかに堅固につくるかは、古代より人類の夢であった。人がともに住み、祈り、祝い、楽しむ空間。あるいは人と物の流れをさばき、納める空間。こうした広がりのある横の空間(大スパン建築)の歴史は、都市の経済活動や高密度な住生活の必要から発展した縦の空間(重層建築)に比べ、はるかに古く、そして長い。 大スパン建築の歴史は、たとえていえば「織物」といえないだろうか。Toolとしての構造技術、つまり材料、工法、構法、理論を縦糸とするならば、建築形態つまり造形性や審美性は横糸となる。縦糸の特徴は連続性と普遍性。その糸の数は時とともに増大し、織物=建築の幅を広くするとともに、各々の糸は次第に強靭に鍛えられ、磨きをかけられていく。一方、その時代の感性によって揺れ動く横糸は、時代の移ろいとともにその色も太さも変化する。時代を特徴づける色彩の変化によって、織物は美しい歴史の縞模様を描き続けていくのである。
今回は、具体的な住宅リノベーションの現場の問題に焦点を当てたい。日本は、現在、800万戸の空家を抱え、新たな住宅建設が大量に必要とされる状況にはない。住宅リノベーションの需要がこの間増加し続けてきたのは当然である。加えて、これまでにない観光客の増加による宿泊施設需要のために、既存ストックのホテル転用が急激に行われつつある。こうした中で、古都京都を拠点に京町家のリノベーションに取り組む魚谷繁礼(『住宅リノベーション図集』)、東京を拠点にし、古民家再生やまちづくりに取り組む永山祐子の2人の一線の建築家を招いて、住宅リノベーションに取り組む意義、その手法などをめぐって議論したい。
コーディネーター:布野修司+安藤正雄+斎藤公男
(a) 京町家と都市再生(仮) 魚谷繁礼(魚谷繁礼建築研究所)
(b)リノベーションー場の再編集 永山祐子(永山祐子建築設計事務所)
コメンテーター:長谷部勉、香月真大(未定)
日時:平成29年10月5日(木)17:30〜20:00
場所:A-Forum
会費:2000円
共催:日本建築学会『建築討論』