近未来を描いた映画『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督/1982年)の一場面、酸性雨が降りしきる退廃的未来都市に立ち並ぶ高層ビル群の一角に、遺伝子技術者JF・セバスチャンが住む高層アパートがある。装飾過多な高層ビルのファサードに異様な太さの柱が建ち並び、エントランスを暗く重苦しい空間にしている。この高層アパートのモデルとなったのは、ロサンジェルスに現存するブラッドベリ・ビル(1893年竣工)である。映画の撮影では五階建ての建物を超高層に見せるため、実際の柱周りにセットの柱を付けたしている。そのため、階高に比して異常に短く奇態な太い柱が林立し、ディストピア的な雰囲気を上手く創り出している。
JR御茶ノ水駅の「バリアフリー整備等」工事中ホーム (上りホーム幅6,300〜6,700mm/下り5,500〜6,000mm) に出現した、乗降客の行く手を塞ぐように立ちはだかる直径1,500mmの円柱状の柱。これらは,JF・セバスチャンの高層アパートのアンバランスで異様な太さの柱を彷彿とさせる。中央線と総武線の乗換駅として混雑する、狭隘なホームになぜこのような場違いとも言える太い柱が出現したのか?
東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)は、駅ナカ(ソト)商業施設エリアを設置するため、ホーム上に二階建て建築物を建てる工事を進めている。その結果、橋脚の円柱状のブリッジのような太い柱が林立することになったのである。なお、御茶ノ水駅は、三階建の建設許可を取得することができないため、JR東日本は、ホーム階を地下と申請し土木事業部で設計を行っている。計画では、ホーム階上の一階部分にコンコースエリアと駅事務室(800m2)・旅客トイレ・店舗(100m2)を設置する。二階部分は駅事務室(1,000m2)・店舗(900 m2)となる。当工事では,新たにエレベーター・エスカレーター・階段がホームに設置され、前出の太い柱が林立するために、工事終了後のホーム面積は現在よりもさらに狭くなる。また,狭隘な当駅にはホームドアの設置が義務付けられているため、ホーム面積はなお一層狭くなる。設置工事は、現在中央線にグリーン車を設けるなどの計画があり、乗降位置を確定できないため駅ナカ(ソト)およびコンコース建設工事完成後からホーム柵の設置までに1年から2年のタイムラグが生じる。昨年、ホームドアのないメトロ銀座線の駅で起きた視覚障碍者の線路への転落死亡事故が記憶に新しいが、中央線と総武線の乗換えで混雑する御茶ノ水駅でも同様の事故が起きる危険性が増すことになる。
2006年12月に施行された「バリアフリー新法」は、高齢者障碍者,妊婦や子供連れの移動等の円滑化の促進に関する法律である。また、施設や製品等について新しいバリアが生じないよう誰にとっても利用しやすいデザインにするというユニバーサルデザイン浸透を踏まえた「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進要綱」がすでに制定されている。JR東日本の「バリアフリー整備等工事」は、要項の「エレベーター・エスカレーター・ホームドアの設置」は充たしている。また,ユニバーサルデザインの一環として、弱視の方が柱に衝突しないための色彩計画、見やすいサイン計画、照明環境および自動音声案内、音のかぶりの問題等の検討を行っていることは評価すべきことである。
しかし、JR東日本が乗降客の安全のために最優先すべきは、狭隘かつ乗り換え乗降客の多いホーム面積を可能な限り広くすることである。そのためには、ホーム上を二階建てではなく一階建てとすることで幅1,250〜1,500mmの柱を可能な限り細くし、面積を最大限広くとる設計に変更することが望まれる。現在、JR東日本が進めている工事の完成は、高齢者,障碍者だけでなく健常者にとってもあらたなバリアを作り出すことになることが懸念される。
JR御茶ノ水駅は、当駅が所属線となる中央本線と、当駅を終点とする総武本線(支線)の分岐駅となっている。2015年度の一日平均乗車人員(降車人員は含まない)は、10万4,890人であり、JR東日本管轄中、35位にあたる(JR東日本 2015)。当駅は、大学病院や総合病院の日本大学、順天堂大学、東京医科歯科大学他、杏雲堂病院、神尾記念病院、三楽病院、浜田病院、井上眼科病院などの規模の大きな単科病院が集積するエリアにある特殊な駅である。一日2万人以上となる病院に通院する人たち(その多くが高齢者であり非健常者)がいる。また、周辺地域における再開発および総合病院や大学校舎の高層化によりさらなる乗降客数の増加が見込まれる。御茶ノ水のように病院が集積する特殊な地域では、駅ホーム使用者の安全が最優先されるべきことは明らかである。
鉄道総研報告特集構造物技術の『駅の階段とホーム狭隘部における混雑時の歩行安全性評価』1)につぎのようにある。「都心の駅構内では、大規模な旅客流動が日常的に発生する。特に、朝夕のラッシュアワーには、旅客が集中し、 駅構内のホーム・階段は混雑した状態となりやすい。また、輸送障害などに起因する列車遅延が生じた場合には,駅構内に滞留する旅客が増加しやすい他、運転見合わせなどに伴う振替輸送が行われた場合には、迂回先となる他の路線や駅に通常時を上回る旅客が集中することもある。さらに、災害の影響で都市全域にわたって運行を停止していた鉄道が、運行を再開した直後も、一部の駅に多数の旅客が一斉に押し寄せ、ホームや階段が混雑する場合がある」このような条件下にあるホーム上のボトルネック(人の流れが急に悪化する場所)は、混みあった電車のドア、ホームの階段、エレベーターのドア付近、エスカレーターの乗降部分などがあるという。これらの場所に一度に多くの人が集中してしまうと黄色い線(誘導ブロック)の外となる線路側に旅客が押し出される危険性がある。このようなボトルネックを旅客が速やかに通過するための対処法がJR東日本では検討されている。例えば,エスカレーターは条件によって分速 30〜45mまで速さを変えることができるという。しかし、速いエスカレーターは、高齢者や妊婦や子供が乗り降りするときに転倒する危険性があるため、使う人・場所・時間帯を考えて速さを決めることが何よりも大切と指摘している。病院に通院する乗降客の多いJR御茶の水駅では、エスカレーターの速度を速めることは危険性をともなうため十分な検証が必要であると考える。
JR東日本は、千代田区主催「駿河台地区まちづくり協議会」において、朝のラッシュ時に乗降客をホーム上のコンコースにエスカレーター、エレベーター、階段を使用して常に流すというシミュレーションを作成・発表し、改装後のホームの安全性を強調し、工事を進めている。しかしながら、机上のデータ作成だけでなく、非健常者を交えた被験者による混雑時のホーム狭隘部などでの通過実験等、出来る限りの研究・実験を行った上で狭隘な駅ホームの設計プランを作成する必要がある。鉄道総研報告特集『混雑時および非常時における駅の旅客流動評価方法』2)では、ホーム柵(可動式ホーム柵)もボトルネックの一因となると指摘している。「電車から降りる人の中には、ドアの近くに乗っていた人で、降りる人のため一度電車を降りて出口を譲ってあげる人もいます(ここでは再乗車と呼びます)。ホーム柵があるときには、この再乗車の人が乗り降りの時間を長くしてしまうと言われています。(中略)電車の出口付近では、進路を広く空けて、全員の乗り降りをスムーズにすることが大切です」。ここで指摘されているように、ホーム柵がJR御茶ノ水駅に設置された場合、より広くホーム面積をとる必要が生じることは明らかである。
前出の鉄道総研報告における実験では、ホーム上の安全確保は、優先度の高い転落防止や触車防止に着目し検討している。特に、ホーム狭隘部(階段や事務室等とホーム端に挟まれた空間、以下、狭隘部) は危険性が高く、混雑時でも、旅客が狭隘部を安全に通過できる条件を把握する実験を行った、とある。実験の結果、ホーム狭隘部では、特に対向流において安全な歩行範囲(黄色い線内)をはみ出し、転落や接触事故が起きやすいことから、乗車待ちの状態と幅員の関係により評価指標を求めることができ、通過に必要なスペースを十分にとることで、はみ出しを抑止できる可能性があることを明らかにしている。JR御茶ノ水駅の場合は、狭隘部における対交流が起きる頻度が高いと考えられる。高齢者、非健常者、杖歩行の利用者は、電車を降りてからエスカレーターやエレベーターを探したのち利用するため、ホーム上を人の流れに反して移動しなければならない場合があるからである。この場合,当然狭隘部の密度は増し、乗降客や電車待ちの利用者が黄色い線外にはみ出す危険性が高まる。
「バリアフリー整備等工事」終了後のJR御茶ノ水駅では、直径1,500mmの複数の柱、エスカレーター、エレベーター、階段との間に乗降者が滞留する狭隘部が現況より多く出現することになる。
リドリー・スコットが描く未来都市の高層アパートにある奇態な太い柱は、映画のセットであり、丸物(立体的な大道具)部分は撮影後に壊されたが、2017年JR御茶ノ水駅に出現する太い柱群は半世紀以上狭隘なホームに立ち並ぶことになる。
参考文献
1) 山本昌和:混雑時および非常時における駅の旅客流動評価方法,鉄道総研月例発表会講演要旨,2011.11
2) 山本昌和,石突光隆:混雑時および非常時における駅の旅客流動評価方法,鉄道総研報告 特集構造物技術特集,2013.1
松永直美(レモン画翠代表取締役)
…高さをつくる心、高いものへの憧れ、高さが与える満足感は、人より優れていることを感じる本能によるものもあるだろう。そして、それを生み出す技術力は、その力を発揮するときに、どのような高揚感を与えるか。プロジェクトの成功には、欠かせないものでもある。超高層建築を生む過程の中にいる構造技術者として心と力についての意識はどのようなもので、それは、外から見ている都市計画家、歴史家の意識と共通なものか。…今回のフォーラムでは、パネリストとして、大澤昭彦(高崎経済大学准教授)氏と慶伊道夫(元日建設計)氏をお呼びしましました。大澤氏には「『高さ』に込められた意味~高層建築の歴史から考える~」の題で、また慶伊氏には「『高さ』と構造技術―東京スカイツリーの場合―」の題で、話題提供いただきます。…「高い」ことが人間社会にとってどのような魅力となりえているのか、それを生み出す心や力について、さまざまな角度から意見交換したいと思います。奮ってご参加ください。
参考文献:高層建築物の世界史(大澤昭彦著、講談社現代新書)
本シリーズ第1回目、2回目では、新国立競技場建築プロジェクト、そして東京オリンピック関連施設を例にとり、デザインビルドあるいは設計施工一括方式を巡る諸問題について議論した。第3回では、「日本の住宅設計生産と建築家」をタイトルに、町場における建築家の役割をめぐって議論した。さらに、第4回は、木造住宅の設計と施工の問題に焦点を絞って議論した。第5回では、すまい、まちの再生というテーマを念頭に、松村秀一『ひらかれる建築―「民主化」の作法』の提起をめぐって議論をおこなった。第6回は、建築行政の経験者を招いて、発注者の問題に焦点を当てる。
設計完了後、それに基づいて施工の契約を締結するという「伝統的」なプロジェクト運営に代わり、昨今、主にコスト・工期の問題に対処する必要性などから、各種のデザインビルドやCMを通じたECIの実現等プロジェクト運営の多様化が進展している。一方これらの運営形態ではプロジェクトのもう一つの重要な要素である「設計の質」が確保できるか?との懸念も存在する。今回は、発注者、マネジメント、設計サービスの提供等それぞれの立場からインプットを受け、この問題にどう対処していくべきかを議論したい。
コーディネーター:安藤正雄+布野修司+斎藤公男
(a) プロジェクト運営の多様化:平野吉信(広島大学名誉教授)
(b) 公共発注の諸問題:森 民夫(前長岡市長)
コメンテーター:小野田泰明(東北大学教授)、森暢朗(建築家)
日時:平成29年7月7日(金)17:30〜20:00(終了後会場にて懇親会を行います)
場所:A-Forum
参加費:3000円