第18回
高さをつくる心と力


コーディネータ:神田 順
パネリスト:大澤昭彦(高崎経済大学)、慶伊道夫(構造設計者)
日時:2017年6月22日(木)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)

我が国では、最初の100mを超える超高層建築が、1968年の霞が関ビルである。その実現にあたっては、大きな力の存在が想像される。アメリカでは20世紀の早くから300mを超える超高層建築が建てられ、かつて限定的であったのに、今や世界のどこにでも見られるようになった。1990年代には、我が国でも産官学をあげて1000m級の建築が具体的に検討された。

建築規制で高さの制限をしているところでは、技術的に可能であっても、その高さを超えることができない。それは、その地域が約束事として高さをつくる心を押さえている状況である。もっとも技術が、失敗したときの社会的波及効果の大きさを想像すると、試行錯誤という形では許されず、国レベルの社会で納得されないと実現できない状況もある。とはいえ、我が国のように、かなり詳細な取り決めの解析技術により安全性を確認することを、法規制で約束ごととしているところは少ないように思う。

五重塔や、ゴシック教会のような高層建築が、宗教の力により、その高さを可能にしたのは、過去の物語である。今や巨大企業が宗教に代わる役割を果たしているようにも見える。その一方で、経済的な力という意味では、過去も今も変わらない。

高さをつくる心、高いものへの憧れ、高さが与える満足感は、人より優れていることを感じる本能によるものもあるだろう。そして、それを生み出す技術力は、その力を発揮するときに、どのような高揚感を与えるか。プロジェクトの成功には、欠かせないものでもある。超高層建築を生む過程の中にいる構造技術者として心と力についての意識はどのようなもので、それは、外から見ている都市計画家、歴史家の意識と共通なものか。

超高層建築は、確立した技術体系となっており、経済的、法的に可能であれば建設される現状にあって、肯定するにしても否定するにしても、個々の人間における、その心や力のあり様についての認識を理解しておくことは、意味のあることのように思われる。

今回のフォーラムでは、パネリストとして、大澤昭彦(高崎経済大学准教授)氏と慶伊道夫(元日建設計)氏をお呼びしましました。大澤氏には「『高さ』に込められた意味~高層建築の歴史から考える~」の題で、また慶伊氏には「『高さ』と構造技術―東京スカイツリーの場合―」の題で、話題提供いただきます。

「高い」ことが人間社会にとってどのような魅力となりえているのか、それを生み出す心や力について、さまざまな角度から意見交換したいと思います。奮ってご参加ください。

参考文献:高層建築物の世界史(大澤昭彦著、講談社現代新書)



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第18回フォーラムまとめ (神田順)

6月22日は、374年前のガリレオ・ガリレイの宗教裁判の日である。権力と科学の関係を考える記念日とも言えるかもしれない。たまたまとは言え、超高層建築を考えるにふさわしい。建築技術が確立したと言っても、建物も地盤も個々の特性を持っており、まして、日本一とか、世界一とかいうことになると、設計や施工に携わる者にとっても新しい力が湧くことを感じるのではないだろうか。より高いビルを建てるという人類の望みが、権力や科学者の力を借りて、超高層の歴史を作ってきたことは、まぎれもない事実である。

今回のテーマは、そんな超高層建築に関わる構造技術者の心の部分にも触れられないかと、「高さをつくる心と力」とした。「高層建築物の世界史」(講談社新書)の著者大澤昭彦氏をお呼びして、まずは、世界を時代と共に見回して、何が高層建築物を生み出しているかを解説いただいた。 

ピラミッドの高さ150mを超える超高層建築はすでに世界で3500棟にもなっており、その中心がアメリカから中国そしてアラブへと移っている。景観や住環境としてのメリットとデメリットを考えても7つの視点は、これからのあり方を問う上で興味深い。①は人間の本能、未知への冒険心、②は権力、かつての宗教から経済へ、③は利潤追求、事故にもつながるという点で要注意である。④は、国家間、都市間での競争の手段、⑤はシンボル性、⑥は眺望、そして最後に、⑦の景観が挙げられる。最後に大澤氏が紹介したのは、オヴ・アラップの言葉「正しい行いが何かを選択することについては後退してしまった」と、武藤清の言葉「建築の意味は社会的に奉仕すること」。

そして、元日建設計の慶伊道夫氏には、東京スカイツリー設計におけるプロジェクト・マネージャの立場で、主に技術の話を提供いただいた。必ずしも敷地が十分に広くない中で建てることに対して、住民は好意的であったと言う。敷地・環境への影響が大きいと同時に、地震や風に対する揺れの評価と制御の工夫、施工技術は我が国の最高水準のものである。

参加者の意見交換の中で、西尾啓一氏からハウステンボスでのスパイラル1000mタワー・プロジェクトの紹介、大澤氏からは幻の正力タワー、NHKタワーの紹介も、興味深かった。

アラップの「われわれが何をなすべきかについて、エンジニアが発言するのはよろこぶべき」の言葉に関連し、金田勝徳氏から技術の使い方の決定にあって、迷いが生ずることはないかとの問いかけがあったが、斎藤公男先生からは、エンジニアの問題と同時にアーキテクトの存在をどう位置付けるかが大きな問題であり、また、建築物を論ずるのか建築することを論ずるのかも、分けて考える必要がると指摘された。シドニー・オペラハウスの例にも見られるように、大きなプロジェクトにおけるエンジニアの役割や責任についての議論は、さらに深めて行く必要があると結んでいただいた。