A-Forum e-mail magazine no.39(17-05-2017)

勉強してから舞台に登ろう。

2005年の秋に姉歯事件が発覚して、次の年にいろいろな記事を書いた。本記事はそのうちの一つ「構造設計偽装事件について、建設通信新聞 2006年2月7日」であり、少し加筆修正した。

--------------------------------------

昨年暮れに公表された耐震設計に関わるおかしな事件をきっかけに、多くの人が構造設計や耐震設計について真剣な議論をしている。建築の専門家でありながら、「構造のことはよくわからないが」と前置きして問題から相当離れた話題を一生懸命に話される人もいる。法律に従って計算すれば耐震設計ができると思っていること、20日ほど前のこの欄にも書いたが、高さが20mを超える多層建築の耐震設計を誰でもできると思ったこと、関係者は理論を理解していてコンピューターソフトを間違いなく使えると考えたこと、などが間違いであり、「分かりませんが」と言い訳する人には、舞台から降りてもらえば良いだけのことである。

建築基準法に計算によって安全性を確かめることと書かれ、同施行令・関係告示には書き過ぎと思われるほどの条文が並んでいる。一級建築士はこれらの法律を熟知して設計を進め、建築主事や確認審査員は法令をさらに熟知していて、構造設計図や構造計算書が適法であることを確認することになっている。これが実行できていれば、このような事件は起きない。

我が国で最もよくつかわれている許容応力度設計法は施行令82条に示され、「部材に生じる力を求めよ」とあるが「求め方」は書いていない、「保有水平耐力を求めよ」とあるが「求め方」は書いていない。一級建築士に任されているところであり、求め方が決まっていないからいろいろな設計ができて、技術の進歩を促し、素晴らしい書き方であり惚れ惚れする。しかし求め方が書かれていないから確認できない。その結果、建築確認では応力計算や保有水平体力の計算部分を見なくて良いとなるらしい。「羈束」(きそく)という耳慣れない言葉があり、法律に書いていないことを行政は執行できないという。

一貫構造設計プログラムはこの計算をブラックボックス的に処理していて、この手順を国土交通大臣が認定している。これが問題を悪化させたといえる。レベルの低い設計者は計算結果を盲目的に信じ、確認審査員は計算結果を調べる気にもならなくなる。再計算センターが提案されているが、問題はさらに深みにはまるに違いない。構造設計はフィジカルな大きさと形、空間をつくる建築を扱っている。コンピューターにできる仕事ではない。人に頼る方法に戻らなければならない。

応力解析を厳密に行うには「力の釣合い」「変形の適合」「応力と歪みの関係」を満足することが必要である。しかし、「構造物がある荷重を受けても、それほどの支障なく存在し得る」ことを確認するためであれば、そして構造部材がほどほどの塑性変形能力を有しているならば、「変形の適合」「応力と歪みの関係」はそれほど厳密に満足させなくてもよい。重要なことは「力の釣合い」である。与えた荷重が間違いなく地盤まで伝わることの確認はモデル化の仕事も含めて構造設計者の仕事であり、今の仕組みでは確認審査員が確認すべき仕事である。力の釣合いと流れの確認は暗算または電卓で十分できる。設計者の考えと構造図面の対応をよく見ることが重要であり、コンピューターを使った再計算はまったく無意味である。

法治国家の日本で、決められた地震力に低減係数を乗じたインチキ計算と設計を多くの人が見過ごしたこと、関係者全員で反省しなければならない。本当の耐震設計は、設計している建物が大きな地震を受けたときの挙動を、中に暮らす人々のことからその建物が都市の構成要素になることまで、全体から隅々まで熟考することであり、建築基準法を守るだけのことではない。勉強し直してから舞台に戻ろう。

(AW)


第18回AF-Forum
テーマ:高さをつくる心と力

詳細はこちら

我が国では、最初の100mを超える超高層建築が、1968年の霞が関ビルである。その実現にあたっては、大きな力の存在が想像される。アメリカでは20世紀の早くから300mを超える超高層建築が建てられ、かつて限定的であったのに、今や世界のどこにでも見られるようになった。1990年代には、我が国でも産官学をあげて1000m級の建築が具体的に検討された。

建築規制で高さの制限をしているところでは、技術的に可能であっても、その高さを超えることができない。それは、その地域が約束事として高さをつくる心を押さえている状況である。もっとも技術が、失敗したときの社会的波及効果の大きさを想像すると、試行錯誤という形では許されず、国レベルの社会で納得されないと実現できない状況もある。とはいえ、我が国のように、かなり詳細な取り決めの解析技術により安全性を確認することを、法規制で約束ごととしているところは少ないように思う。

五重塔や、ゴシック教会のような高層建築が、宗教の力により、その高さを可能にしたのは、過去の物語である。今や巨大企業が宗教に代わる役割を果たしているようにも見える。その一方で、経済的な力という意味では、過去も今も変わらない。

高さをつくる心、高いものへの憧れ、高さが与える満足感は、人より優れていることを感じる本能によるものもあるだろう。そして、それを生み出す技術力は、その力を発揮するときに、どのような高揚感を与えるか。プロジェクトの成功には、欠かせないものでもある。超高層建築を生む過程の中にいる構造技術者として心と力についての意識はどのようなもので、それは、外から見ている都市計画家、歴史家の意識と共通なものか。

超高層建築は、確立した技術体系となっており、経済的、法的に可能であれば建設される現状にあって、肯定するにしても否定するにしても、個々の人間における、その心や力のあり様についての認識を理解しておくことは、意味のあることのように思われる。

今回のフォーラムでは、パネリストとして、大澤昭彦(高崎経済大学准教授)氏と慶伊道夫(元日建設計)氏をお呼びしましました。大澤氏には「『高さ』に込められた意味~高層建築の歴史から考える~」の題で、また慶伊氏には「『高さ』と構造技術―東京スカイツリーの場合―」の題で、話題提供いただきます。

「高い」ことが人間社会にとってどのような魅力となりえているのか、それを生み出す心や力について、さまざまな角度から意見交換したいと思います。奮ってご参加ください。

参考文献:高層建築物の世界史(大澤昭彦著、講談社現代新書)

コーディネータ:神田 順
パネリスト:大澤昭彦(高崎経済大学)、慶伊道夫(構造設計者)
日時:2017年6月22日(木)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)

参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「18回参加希望」とご明記ください。