ヘンリー・ディヴィッド・ソロー(1817-1862)のことは、ほとんど知らなかった。今年の1月「物質至上憂える人間的視点」の見出しで、齊藤昇が、読売新聞に紹介していたことがきっかけである。飯田実訳の「森の生活」(1995年岩波文庫)を読んで、今必要な言葉が多く語られていることに驚いた。その後、今福龍太の新刊「ヘンリー・ソロー 野生の学舎」(みすず書房)を見つけた。そこでは、さらにその幅が広がり、ソローの哲学に心を砕いている人が、日本にも大勢いることを知った。そして1月から3月にかけてNHKラジオでも取り上げられ、伊藤詔子が「森に息づくメッセージ」を解説している。
自分としては、すまいやまちづくり、法律や森林のことが気になっていることもあってひきつけられた。書きとめておきたい言葉を、「森の生活」から抜き出して、この場を借りて紹介させていただく。10章構成の冒頭の章は「経済」の見出しで文庫本では140ページの長い章である。2年2か月、ウォールデン湖畔に、一人で10mx15mの小屋を建てて住み始める部分である。「われわれは、家を建てる楽しみを、いつまでも大工にゆずり渡したままでよいものだろうか?」(上巻p.87) Shall we forever resign the pleasure of construction to the carpenter? [p.36] と、家を建てる喜びを書き、具体的にお金を払った材料がいくらになったかを拾い上げ、大学の寄宿舎の1年の寮費にしかならないと言う。これは、家を建てることだけでなく、あらゆることにあてはまる。ものづくりの原点とも言える。
住んで居た場所は、村から少し離れたところにあるが、村人との交流は持っていた。人と心を通わせることは豊かさの証明でもある。「いまこそ村々が大学となり、年配の住民は、大学特別研究員となって、生活に十分なゆとりができたならば、余暇を利用して余生を自己の教養の向上につとめるべきである」(上巻p.194) It is time that villages were universities, and their elder inhabitants the fellows of universities, with leisure ― if they are, indeed, so well off ―to pursue liberal studies the rest of their lives. [p.81] 大学が若い学生のためだけでなく、勤め上げた人々の学びの場所になるとよいことは、これからの大学のあり方を考えても言えることだ。
池のほとりに野菜を植えて、自然との対話の自給自足の生活に豊かさを見出している。「私にはほんとうの豊かさが味わえる貧しさを与えてほしいものだ。」(下巻p.48) Give me the poverty that enjoys true wealth. 十分熟した果実の美味しさを味わう喜びを語り、換金のため市場に出される農産物が豊かさを味わえなくしていることを指摘している。
「音」の章では、近くを走る鉄道の音と水鳥の音を対比し、自然から学び、限りない法則を考察する。「より高い法則」の章では、自然の中で生きることを忘れ、金銭や欲望に一喜一憂して 人間の作る法則に慣らされてしまって、何も考えない生活への警句を発している。当時まだアメリカでは奴隷制度が合法の時代である。
「おどろくべきことに、今日、この新しい国においてさえ、木材には依然として大変な価値が置かれている。黄金以上に永続的で普遍的な価値、といってもよい。」(下巻p.143) It is remarkable what a value is still put upon wood even in this age and in this new country, a value more permanent and universal than that of gold. [p.180] 森を形成する木と、人間がどのように共生して行くべきか、我が国では徳川の世に学べとも言われるが、明治期から今まで手本とした資本主義市場経済で見失った、ごくごく基本的な生き方を、自然から学ぶ心を、実践を通して書き綴っているのである。
生誕200年というが、それはけっして昔のことではない。心地よい思索が、アメリカで長いベストセラーであり続けている理由でもあろう。そしてまた、日本でも、ソローの思索の輪が広がることを思う。
(JK)
注:(ページ)は岩波文庫、[page]は、Walden (Or Life in the Woods) Sublime Books 1995による。
ある人物ないしは企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアに批判的なコメントが殺到する現象がネットの「炎上」と呼ばれています。その炎上の発生件数がこの5~6年の間に急激に増加しているとのことです。建築界でも「傾斜マンション事件」、「新国立競技場建設」、「杭打ち工事データ偽造」、「免震ゴム性能偽装」、「豊洲市場の安全性」をめぐって、たて続けに炎上被害に遭っています。そのたびに身近な人たちが懊悩する様を目の当たりにし、察するに余りある想いに息が詰まります。同時に炎上がいつ我が身に飛び火するか分からない恐怖も感じます。
厄介なことに、人々をより自由にするはずだったコミュニケーション技術の発達やネットの広がりが、逆に人の警戒心を強め、自由を束縛していると感じられます。その要因となるネットのマイナス面は、「炎上」だけではありません。しかし、私たちと常に隣り合わせにあって、ひとたび当事者になると直接的に最も大きな打撃を受けるのが「炎上」ではないかと思われます。そこで第17回A-Forumでは、ネットの「炎上」について、その実態を把握し、どのように対処すべきかを考え、話し合うことにしました。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
コーディネーター:金田勝徳
パネリスト:佐々木大輔(日経アーキテクチュア 副編集長)、日置雅晴(神楽坂キーストーン法律事務所 弁護士)
日時:2017年4月21日(金)17:30〜19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円 (懇親会、資料代)