第1回
専門家として建築主に安全をどう説明するか
サブテーマ1:どのような地震に耐えることを安全と言うか。
サブテーマ2:どれだけの建築主が、自分の建物に責任をもてると考えているか。
コーディネーター:神田順(東京大学名誉教授、日本大学特任教授)
パネリスト:
江尻憲泰(江尻建築構造設計事務所取締役、長岡造形大学教授、日本女子大非常勤講師、千葉大学非常勤講師)
高木次郎(首都大学東京 准教授)
日時:2014年4月21日 15:00 – 17:00
場所:A-Forum お茶の水レモンⅡビル 5階
参加費:2000円 (懇親会、資料代)
当日の配布資料こちら
第1回動画はこちら
第1回AF-forum総括 (神田 順)
第1回フォーラムということで、今もっとも気になっているテーマ設定を試みた。パネリストには、構造家の江尻憲泰、首都大の高木次郎のお二人をお呼びして、事前にテーマをお伝えした上で当日資料としてのメモもまとめていただいた。また、参考資料としては、同じ江尻氏のエッセー「定性的な安全性の確保」(建築雑誌1月号)と、元竹中工務店技術研究所長、筒井勲氏のエッセー「リスクと発生確率、期待値」(NPO団体PSATS会誌vol.59, 2013年)を事前に示した。参加者として総勢21人でフォーラムを開催することができた。3人の主題解説とパネル討論、そして全体討論までの2時間の内容を基にして総括記録としてまとめておくこととする。必ずしも議論の順を追うものではなく、また筆者なりの解釈のもとでの構成にしていることをお断りしておく。
そもそも安全をどう語るかということは、多くの内容を含んでいる。建築主の側も事前の知識の幅があり、議論の前提としてそのことを承知しておく必要がある。いきなり破壊確率や再現期待値というような言葉は、拒否反応を生んでしまう。もちろん、世の中に絶対安全などないことは承知の上で、誰しも自分の建物は地震で壊れないようにしてほしいし、同時に無駄なお金をかけたくないと思っている。
建築主と言っても、いろいろな立場があるが、ここでは、自らが住むための建築の設計や診断を専門家に依頼する状況を想定する。そうでない場合についても、全く別の条件になるわけでなく、最終的には、使用者が売買や賃貸の関係で建築時点の建築主と結ばれるので、応用問題として考えうるのではないか。また、専門家の定義も必要であるが、ここでは、構造設計者とする。建築主からみて、意匠設計者と区別しないことが多々あるし、意匠設計者が考える構造安全性と構造設計者が考えるものとは異なる場合も少なくないので、同じ立場にたって設計に臨むということは、専門家側の課題でもある。
サブテーマ1として「どのような地震に耐えるか」をあげた。一般的な表現としては、建築基準法を満足するということを、例えば「震度6(400ガル)に対しても倒壊しない」というような表現に言い換えることになる。それが一般的であり、そのようにして作られた建築群を見たときに、兵庫県南部地震の神戸市の事例を見ても、大破や倒壊した建物は、それほど多くなく、まずまず十分な強さの地震動を想定して設計していることと説明できる。現実に倒壊した建物は、地震強さの想定が不十分であったというよりは、計算におけるモデル化の不正確さや、施工における欠陥あるいは、老朽化が要因であるという説明がなされている。しかし、それで建築しようとする人に安全を十分説明したことになるだろうか。
一般の人にとっては、壊れるか壊れないかが問題になる。それは、人命を対象とするともっとはっきりと、死ぬか生きるかが問題であって、確率で判断したくないという、専門家に対しての無理な要求を持つことを、否定しない。それでも、どこまで同じ土俵で安全概念を共有できるかということである。建物が倒壊した場合でも、設計で想定した地震動が小さかったからという説明は一般になされにくい。それは、600ガルの地震動が作用したと思われる地域でも倒壊した建物が1%程度だとすると、残りの99%は倒壊していないので、その建物が倒壊した説明にならないからである。しかし、600ガルの地震動で設計すればおそらくは倒壊の確率をさらにその10分の1に低減できるであろう。そのような状況までの理解を共有することができれば、もはや法律に任せておけばよいという「思考停止」からは、少なくとも脱することができるのではないか。
地震ハザードが、すでにいろいろな形で、一般の人の目にも触れるようになっている。防災科技研のマップはネットで誰でも見られるし、建築学会の荷重指針でも再現期間に応じた地震動強さは読み取れる。そして、それらが、建築基準法における設計条件と一致しないことをどのように説明するかについても工夫がいる。品確法における性能等級についても地震動強さと対応させて説明することは可能であるが、その敷地と周辺の地震環境・地盤条件の関係やさらには、構造計算の方法でも、安全性能の尺度として等級が同じなら安全性も同じと言えないので、専門家の間でそこをどのように扱い、理解するかが問われる。このことは、まさにISO2394で定義されている信頼性指標などのような、安全性能の尺度が必要であると考える。その尺度と整合する地震動強さの説明がなされるべきであろう。
サブテーマ2としては「建築主の責任の意識」を取り上げた。ある意味では、民法上は管理責任を伴うので責任をとっていることになるとも言えなくもないが、建築基準法20条が「政令で定める方法で確かめたものを安全」と言っているので、そうなると、既存不適格建築も含めて基準法上の責任は問われない。あるいは、法適合という十分な注意を払っているにもかかわらず、想定を上回る地震動によって壊れたので建築主に責任は問えない、という言い方がされることになる。
しかし、ここで問題にしたいのは、若干のお金を出すことで、さらに安全にすることができ、それが社会の豊かさに寄与することになることが説明可能であるとすれば、専門家として、そのような説明をする責任があるとは言えないだろうかということである。車の安全性をパンフレットや資料から、購入時点でいろいろ考えるほどに、建築時点で、耐震安全性をどこまで考えているかというと、建築主の安全に対する意識が、専門家任せ、法律任せになっているということは指摘できるように思う。JSCAもパンフレットを作成しているがなかなか十分に活用されているとは言えないという。
生産施設などでは、変形や加速度が明確な設計条件になるので、再現期間としては使用性を対象とした10年や50年と言うような、安全限界に比べると小さな地震動に対してのグレード設定がされるようになっていることや、投資対象の建築物に対しては50年に1度の地震動に対しての損害発生をどの程度に抑えるかという確率的な尺度(PML)がすでに実用化していることなど、一部では建築主の間にも、先進的な性能要求が常識化している。
構造設計者が建築主と直接の対話の機会が増えたということは、近年の望ましい状況であると考えられるが、現実は、建築基準法通りの設計と丁寧に管理された施工を行っておけば、十分な安全性が得られるという説明までで、そこからさらに、自分の建築物の安全性の最適水準を一緒に考えてほしいというようなところまでは至っていないのではなかろうか。少し先読みをすると、そもそも、設計業務とは何か、構造設計業務の範囲はどこまでかということが、専門家集団の間でも明確にされていない。今後、書面による設計契約については、さらに充実する方向になったとしても、そこがあいまいだと、業務上の過失を問われた場合のよりどころが持てない。
建築主は建築物が社会資産としての役割を持つことを認識したうえで、その耐震安全性に対しての責任は、十分に専門家からの情報を理解したうえで判断して初めて達成される、といような社会通念が形成される必要があると考えている。それには、教育とか法律面からの援護も必要であろう。構造設計者の責任逃れと言われることのないだけの信頼感を建築主との間に築くことが不可欠であると同時に、取れる責任には限度があることも事実である。そのためには、十分な対話こそが専門家としての信頼性の鍵を握る。建築基本法の議論も欠かせないが、専門家の間で、自らの役割をどのような形で位置づけて業務を実践するのか、さらに機会を設けて議論を深めたい。このフォーラムがそのきっかけとなることを期待する。