今年の4月18日(火)ギャラリー‘間’で坂茂の“PROTECTS IN PROGESS”展が始まる日、内覧会に出かけた。大盛況の会場で奇しくも2人の“ばん”―坂茂と播繁に挟まれた形で私と3人で写真を撮ってもらった。少し疲れた様子であったが、「未だ頑張りますから―」と微笑んでくれた播さん。その声が今も耳に残っている。そしてその時の写真が遺影になってしまった。
播さんとは生まれ年(1938)も大学(日本大学理工・建築)も同じである。とはいっても卒業年が少し違っていたためもあり、しばらく交流がなかった。1985年頃からだろうか。私が日本理工スポーツ(1985)やグリーンドーム前橋(1990)を手がけていた頃、播さんも国技館(1986)やあきたスカイドーム(1990)といった大空間を完成させた。私は驚いた。「ゼネコンでもこんな挑戦的なものをやるのか。一体誰が居るのか」と。その時、播さんの存在が見えてきた。 1989年、「出雲ドーム」建設の話題が聞こえ始めた頃、突然、播さんから電話があった。「今度のコンペ、一緒にやらない?」と。
出雲ドームは私にとって最も「物語」に満ちたプロジェクトのひとつとなった。当時、日本中をあっ関したドーム旋風の中でもいっそうその独自性は注目されたといえよう。日本で初めてとなる大曲面集成材の大空間への適用、立体張弦放射アーチの提案、プッシュアップ工法の試みといった未知なる技術的挑戦とその成功は奇蹟かも知れない。 カジマデザイン(建築・構造)と技術研究所、設計と施工とが総力をあげたプロジェクト・チーム。その中心にあって、播さんのバランス感覚がおおきな役割を果たしてくれたように思う。
集成材調達のための北米視察、1/20模型によるハイブリッド構造の載荷・挙動と建方実験、プッシュアップの最真中超巨大台風に襲われたこと。いくつかの楽しくも、厳しかった場面が懐かしく回想される。
後年、「建築技術」に播さんが寄稿した「出雲ドーム」の頁をみせてくれた。そこに載ったスケッチに驚いた。コンペで提案した目玉の“もくもく工法”が最終会議で見送られそうとの一報を受け、急遽私が所長の説得に赴いた折りに描いたもの。播さんのサポートもあり、やっと実現を果たしたその最初のメモを播さんが長い間、大切に持っていてくれたのだった。共に戦ったという嬉しさが思わずこみ上げた。
戦友としての播さんの心優しくも力強い姿は私にとって生涯忘れ難い。
(MS)
コーディネーター:和田 章
パネリスト:田村和夫(千葉工業大学教授)、南 一誠(芝浦工業大学教授)
日時:2017年11月30日(木)17:30~19:30
場所:A-Forum
参加費:2000円(懇親会、資料代)
参加申し込み:こちらのフォーム よりお申し込みください。
*「お問い合わせ内容」に必ず「20回フォーラム参加希望」とご明記ください。
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。職務は、●科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。●科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。の二つです。日本学術会議は、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約84万人の科学者を内外に代表する機関であり、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われています。日本学術会議の役割は、主にⅠ政府に対する政策提言、Ⅱ国際的な活動、Ⅲ科学者間ネットワークの構築、Ⅳ科学の役割についての世論啓発です。
日本学術会議の委員会の中の一つの分科会活動の成果として、日本学術会議提言「大震災の起きない都市を目指して」を纏めました。11月30日のフォーラムでは、この提言の執筆に関わった3名から、提言のご説明を行い、これをもとに皆様と議論したいと思います。
多くの方々のご参集を期待いたします。
★お知らせ★
防災を見る、聞く、体験するイベント、 ぼうさいこくたい 防災推進国民大会2017
2017/11/26(日)-27(月)仙台市・仙台国際センターにて開催されます。
日本学術会議公開シンポジウム / 第4回防災学術連携シンポジウムとして以下を開催します。
26日 11:30-13:00 「衛星情報・地理情報と防災イノベーション」 13:00-15:00 「衛星情報・地理情報を防災に生かそう」