先達はあらまほしきことなり,ただ,基本を忘れずに
2011年に始めた「建築技術」誌上で(規基準の数値は「何でなの」を探る)の連載があり、これらを三巻に纏めて出版された。第三巻の始めの部分に書いた拙文を短くして、ここに紹介する。
数式や数値とその意味
建築の構造設計から施工にいたる技術は,経験・直感によることはもちろんあるが,ガリレオ・ガリレイに始まる静力学・動力学に支えられていることは言うまでもない。その著書『新科学対話』には梁の曲げ強度を表す式として、Mmax=ftBD2/2が示されており,この分母の2は現在使われている弾性設計のための6でもなく,終局強度設計に用いられる4でもない。一見すると大間違いのように思えるが,この式は石材の梁の終局曲げ耐力として導かれたものであり,石材の引張強度は圧縮強度に比べて非常に小さいから,中立軸は圧縮力の集中する断面の縁にあると考えてよく,断面全体がほとんど同時に引張強度ftに達したときに終局耐力を発揮すると考えれば,ガリレオの説でよい。
平面保持の仮定,ヤング係数の発見,断面二次モーメントなどが見つけられるずっと前の江戸時代の初めのことである。材料の引張強度を調べる試験機もなかったから,具体的にftを調べてこの式を用いていたわけでもない。要するに,ft/2は単なる係数といえ,梁の曲げ強度がBD2に比例することを説明したことに意義がある。
未解明なことが多く、可能性は無限
建築の構造設計に関しては,未解明のまま残されている多くの問題がある。例えば,上部構造はこれより丈夫につくった基礎構造に緊結して施工した方がよいと,誰でもが考える。ただし,過去の地震災害報告によると,上部構造が地盤または基礎の上で滑ったり,浮き上がることにより,大被害を免れうることがある。両者が緊結してあった建物でも,地震時に杭基礎が先に壊れたために上部構造の被害が軽減されたこともある。重要な問題であるにもかかわらず,曖昧にされているところである。
地震動は正負3方向の震動である。これを受ける構造物は振動するのであって,静的な力の釣合いでは説明できない多くの現象があり,地震に耐えうる構造には多様な可能性がある。私たちの用いている設計法・計算法の中にはまだ未解明なことが多く,一方で将来の建築構造に多くの可能性があることも忘れてはならない。少なくとも,わかっていないことをわかったことのように規則に定めたり,このことで次の発展を拘束することはあってはならない。わからないが今はこう定めたとして,記録に残すべきである。
層間変形と絶対変位
変形と変位は日本語では似ているので混在して使われているが,「変形」はdeformation,「変位」はdisplacementのように,英語では別の意味としてはっきり使い分けている。耐震設計を行うとき,構造物の損傷やこれらに取り付く非構造部材の変形追随性などに注目して,層間変形に制限を設けている。東日本大震災を受けて,大阪の超高層は片振幅1.5m,新宿や池袋の超高層は1mを超える変位を起こした。東京スカイツリーは工事中であったが,ベテランの鳶の方がすぐに腹ばいになった。しかし,一般の人びとはすぐに腹ばいになる練習は受けていない。1970年代の初めに建てられた三角形のプランの新宿住友ビルでは,中廊下に手すりが設けられている。規則に書かれていないので,その後は誰も真似をしないが,建築の専門家は規則を守る前に,人びとの暮らしや活動を守るために建築を建てていることを思い起こしてほしい。たとえ構造物が倒壊しなくても,中にいる人びとが地震の最中にとんでもない恐怖感に脅かされ,地震後の生活や活動ができないなら,建築を建てたとは言えない。
悩みのない,疑わない技術者
寺本隆幸先生がある席で「超高層を始めた頃,免震建築を始めた頃,関係者はこれでよいか,ああしなくてはいけないかこうしなくてはいけないかと,真剣に悩んで設計を進め決断していた。それから50年近く経ち,悩みは溶け,大事な仕事は次々にルーチンワークになってきた。誰かがこれでよいと言ってしまうと次に続く人はそれを疑わなくなる。コンピュータソフトについても同様であり,規準やマニュアルが整備されることも同じことで,次に続く人の悩みを消している。仕事を効率的にすることに努力することがよいこととは言えない。関係者はもっと悩むべきだし,疑うべきだ。」と言われた。効率を高め,便利にすることで失うものが多い一方,汗水かいて苦労したときに得るものの方が多い。ゼロに戻って考える技術者がいなくなったら,この世は終わりである。
(AW)