イタリアン・セオリーのこと
イタリアの魅力を少しばかり哲学的にしてくれたきかっけは、井上ひさしの「ボローニャ紀行」である。描かれた姿は、国をあてにしないまち、職人たちが生きている社会だ。そして法律と社会制度を考えているときに、1年前に出会ったのが岡田温司著の「イタリアン・セオリー」である。確かに18、19世紀以降ドイツ、イギリスに多くの哲学者が排出、20世紀になりフランス、そして今、イタリアと言われると、なるほどと思った。
そこには、聞いたことのない名前が次々現れた。ネグリ(1933~)、アガンベン(1942~)、カッチャーリ(1944~)、エスポジト(1950~)などが、21世紀に入って大活躍していると言う。そして、彼らの出発点にあるのが、フーコーの「生政治」の概念と言う。民主的なはずの政治や法律が20世紀になって「どう生きるか」ということに強くかかわるようになった。アガンベンの弁によれば、今や神ではなく経済活性化が侵してはならない聖なるものとなり(主著は「ホモ・サケル」)、ネグリの弁によれば、国を超えたグローバル市場経済が世界を制覇している(主著はハートとの共著「帝国」)。
ヨーロッパの人々は、その限界を知りつつも戸惑って経済政策に四苦八苦しているときに、現代イタリア思想家たちが示唆を与えているというのだ。もちろん、市場経済を否定することなどできないし、生活の多くが大量生産の恩恵に被っているのが、現代である。しかし、経済成長が格差を生み、補助金が豊かさを生むものでないこともわかっている。貨幣によらない生き方の価値をどのように共有していくのか。自然共生と持続可能性、土地の固有性と人々の多様性、市場経済や大量生産と対局にある、われわれにとっての大切なものを、これからも生活の中でどのように育てていくかが問題である。
建築や住宅は、まさに生活の器であり、貨幣経済や法律ですべて決められてしまわないためにこそ、専門家が存在すると思う。考えることと実行することは、ともに大切であり、その共通認識としてイタリアン・セオリーを置くことにより、何か見えてくるのではないか、などと思いを巡らせている。
(JK)
第9回フォーラム開催
テーマ:大屋根が動くということ
コーディネータ:
斎藤公男(日本大学名誉教授)
パネリスト:
未定
★開催後の動画公開は行いません。ご了承下さい。
日時:2015年8月27日(木) 17:00-19:00
場所:A-Forum レモンパートⅡビル5階
フォーラム終了後に懇親会
会費:2000円
詳細は決まり次第お知らせいたします。
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