金田勝徳
多くの年を重ねたせいか、月日が経つのがとても速く感じられようになった。建築家谷口吉生さんの訃報に接した日から、早くも1年半以上が過ぎていることに気づき、より一層、寂しさが身に染みる。
谷口さんは、日ごろから人一倍健康には気を配り、コロナ禍の間はマスクをはずすこともなく、「密閉・密集・密接」の三密を避けてご自分の事務所にも来られていなかった。その谷口さんが、罹病されたことも知らされないまま、突然亡くなられたことに驚かされ、呆然としたのがつい先日の様に思い出される。
谷口さんとの出会いは、私が事務所を設立するきっかけとなった「酒田市国体記念体育館」の構造設計を、斎藤公男先生から誘われてご一緒させて頂いた時だった。それ以来、37年間に渡って途切れることなく続いたお付き合いの間に、協働させて頂いたプロジェクトは10作品余りになる。
谷口さんは常々、「満足のいく仕事を続けるためには事務所を大きくしてはいけない。設計した建築が竣工するまでの全てのプロセスに直接参加するため、同時に引き受ける仕事は2つまで」を信条とされていた。その言葉通り、谷口建築設計研究所を設立して以来、50年間に設計した建築の数は40作程度という。それだけに、どの仕事に対する熱意も一通りではなく、こうしたことが谷口さんが「完璧主義」と言われる所以でもあると思われる。
谷口さんは子供の頃、しばしば父上の建築家谷口吉郎氏に連れられて建築現場に座り込み、熟達した大工や左官の職人技を飽きずに眺めていたという。「建築は工学と美学の結晶であり、大勢の人と共に創り上げる芸術」とは谷口さんの持論であるが、そうした想いは、この頃の体験によるものだったのかも知れない。後に建築家として世に出てからは、「(私には)子供がいないせいもあって、設計した建築の全てが自分の子供のような気がしている」と言い、「建築を造りあげる現場は子育てのようなもの」との想いで工事現場に通い詰めておられた。
こうした信念から生まれた数々の建築は、人の心を動かさないはずはない。これまでに設計を手掛けた建築の殆んどは、施主から直接の依頼でよるものであった。ご自身は「自分の建築はコンペ向きではない」と決めつけ、コンペやプロポーザルに応募した経験もなかった。例外的に応募したのが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の増改築であった。そのコンペは、世界から10人の建築家を招待して実施されたコンペで、谷口さんは応募を辞退するつもりだったという。ところが、応募辞退の手紙を書き上げたその日の晩に、奥様や先輩から熱心に促されて応募することになったとのことである。そしてご本人が「まるで予想外」だったという当選を勝ち取り、2004年11月に竣工したMoMAは今、NYの名所に一つになっている。
こうした谷口さんのパートナーとして谷口建築設計研究所を支えていたのが、高宮眞介さんだった。研究所のスタッフの方から、高宮さんは図面で設計をする人、谷口さんは模型で設計する人、との評を聞いたことがある。確かに高宮さんとの設計打ち合わせでは、図面を前にして行われ、谷口さんとのそれは、模型を観ながらのことが多かった。しかし模型だけではなかなか設計が決まらず、最終決定を工事現場に持ち越すことも少なくなかった。それでもなお決まらずに、しばしば「早く決めてくれないと工事工程に間に合わない」と現場所長をハラハラさせていた。
ある現場では、鉄筋コンクリート造の柱のサイズが決らないままに施工が進み、柱を除く部分のコンクリートの打設が強行された数日後に、柱のコンクリート打設が行われたこともあった。問われるままに、あらかじめ当該柱の必要最低限の寸法をお伝えしていたので、それ以上の寸法で出来上がった柱に構造上の支障はなかったが、柱コンクリート打ちを後施工するという珍しい工法になった。
全てに完璧を目指した谷口さんならではのことではあるが、いつの頃からか「決めない建築家」と言われるようになっていた。最近、高宮眞介さんから「谷口さんが唯一即決したのは、奥様との結婚であった」との話を伺った。 合掌
2026年7月28日午後4時半頃、熊本県に最大震度7の地震が発生しました。翌29日の朝刊に掲載された被災状況の写真を観れば、被災者の計り知れない苦悩と心痛に言葉を失い、犠牲者のご冥福を心よりお祈りするばかりです。そして東日本大震災、2016年熊本地震、能登半島地震と続いた震災からの復興事業がまだ終わらないまま、立て続けに起きる地震災害に、改めて災害大国日本の宿命を目の当たりにする想いです。
これ等の地震による建物の被災状況の調査結果から、現行の「新耐震設計法」が一定の耐震性向上に寄与していることが明らかに分かります。その状況は、日本の建築物が「新耐震設計法」制定以前の設計なのか、以後の設計なのかよって、2種類に分類されているかのようにも感じられます。一方、制定されてから45年を経てもまだ、「新」なのかとの声も多く、その歳月の長さを顧みれば当然の疑念かとも思えます。
今回のフォーラムでは、「新耐震設計法」制定時当時、建設省建築研究所に所属されていて、その基準案作りに多大な貢献をされ、2026年日本建築学会大賞を受賞された北海道大学名誉教授の石山祐二先生と、「新耐震設計法」に沿った多くの設計実績を持つ構造技術者の貞許美和氏をパネリストにお招きしています。お二人のパネリストと共に、新耐震設計法が目指した方向を再認識し、制定されてから45年経った今、それがどの様な状況にあるか、そして今後のあるべき姿は?などについて、話し合いたいと考えております。今回もいつもの様に、多くの皆様にご参加いただき、活発な意見交換が行われることを期待しております。(金田勝徳)