本音を語ること
本音を語れることは気分が良いし、楽しい。それで気持ちが通じれば言うことがない。しかし、社会はすべてが自分のために動いてくれているわけではないので、相手の立場も考えた物言いが必要であったり、言いたい気持ちをセーブしたりも必要となる場合はすくなくない。
国会議員との面談とかなると、いきなり本音でも通じないが、建前だけ語っていても通じない。逆に、議員からあまり本音が出て来ると、話す気持ちが萎えたりもする。専門家同士でも、なかなか酒の席にでもならないとほんとの本音とはなりにくい。何か言えば仕事の上での利害が出かねないし、心の友と言うよりは、ライバルだったりもすれば、なおのことだ。
専門家が一般の人と話をしたり、説明したりとなると、また別の意味で難しい。「この建物はどのくらい安全ですか?」「最大級の地震でも、びくともしませんよ。」建前で言うにしても、「最大級」の定義や「びくとも」ってどういう意味か、自分でも十分にイメージしていないとすると、真意が伝わらない。「あなたが、なるべく安くなんて言うから、震度6くらいでも少しくらい不具合が出るかもしれませんよ。」などとは、なかなか言えない。「経済設計と言われてはいますが、震度6程度の地震に対しても基準法の規定で大丈夫なようになってます」などと、建前を言って、お互いわかったつもりになるのでは、困ったものだ。
相手がどの程度の知識を持っているか、自分がどの程度の知識をもっているか、それによって本音も建前も言い方が変わってきたりする。相手のことを考えて、なおかつ、自分のやりたいことや、良かれと思ってやったことの魅力を伝えるのは、建前では通じない。どのようにして、本音を気持ちよく語るか、その場の雰囲気にもよるが、専門家の間で、本音で議論できるのは、楽しい。
(JK)