艱難汝を玉にす
50歳になったとき、40倍すればキリストの時代、人の一生は感じているより長いものだと思ったことがある。事実、人の一生の間には色々なことができて、色々な出来事がおこる。この間には、脇が甘かったり、楽観的すぎたり、慢心していたり、有頂天になっていたりして、大きな失敗を起こすことがある。荘子は「窮するも亦た楽しみ、通ずるも亦た楽しむ」と言って、辛い目に遭っている人を励ます。「艱難汝を玉にす」と言う嬉しい言葉もある。
東大建築のボート部で名コックスと言われた中野大治は、ボートが隅田川に架かる橋の下を通り抜けるとき、その前までに最大の速度に上げておき、オールを一気に引き上げて通り抜けると言っていた。ここでゆっくり通っていると、橋脚の周りの渦に巻込まれてしまうが、最大速度なら問題なく通り抜けられるとのことだ。
多くの人々が渦のように生き、活動しているなかで、大きな失敗をしたとき、本人が本質を失い、この渦に負けてしまうのでは意味がない。もちろん失敗には反省が必要だが、基本の信念を突き通すことが重要だと思う。友人や後輩が辛い目に遭っているとき、いつもこのように伝えて励ましてきた。このとき、本人や組織が、失敗や過ちを少なくとも反省していることが大前提である。何も悪いことはしていないと主張されると、励ます気持ちも萎えてくる。
3年前の大地震と大津波では21世紀の日本とは思えないとんでもない災害が生じた。亡くなられた18000人のひとりひとりを想うと、長く建築に関わり、耐震工学を進めてきたものの一人として辛くなる。大津波で流されてしまった村やまちに建築を建てたのは僕ではないなどと言って許されるものではない。都市計画の専門家、建築家、構造設計者、許認可に関わった行政、これらを建設した人たち、全員に責任がある。災害そのものの原因を他人ごとのようにしてはならない。
4基の原子力発電所が爆発したことも大問題である。設計にも許認可にも建設にも関係していなかったから、僕は関係ないなどと言うことはできない。原子力発電所は一般の石油プラントなどと同様に、安全基準が改定されると、すべての施設は最新の基準に満足するように改良しなければならない。東日本大震災の前でも、その時点の原子力発電所の耐震設計基準は印刷物やホームページを通して全文が公開されていて、容易に読むことができた。ご存知と思うが、「津波」の単語は最後の章の最後の節に一度しか表れていない。今となって、なぜもっと津波に注意しなかったのか、電源に関わる施設を水から隔離することを考えなかったかなどと、言うことは簡単である。しかし、すべては事前に読むことができたのである。何も言わなかったものの一人として我々には一塊の責任がある。この大事故について関係者全員は大きな反省をしている。この大事なときに、打ち拉がれているわけにはいかない。廃炉への努力、汚染水問題の解決、風評被害の解決が必要であり、次に原子力発電所を動かすなら、安全性の確保をしっかり行うことである。この大事件を他人ごとのようにして批判するのでなく、技術者・研究者の一人として、解決に向けて前向きに協力すべきと考える。
(AW)
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