第10回
基準と法律


コーディネータ:
神田順(日本大学特任教授、東京大学名誉教授)
パネリスト:
久田基治(構造設計者)
富田裕(弁護士)

日時:2015年10月15日  17:00-19:00
場所:A-Forum お茶の水レモンⅡビル 5階
参加費:2000円 (懇親会、資料代)


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構造設計の実践において、基準の存在は欠かせないことと、社会の安全を実現するために法律の存在も欠かせないことは明らかであるが、いずれも技術の実態や社会の構造に依存するものであり、時代と共にそのあり方について見直す必要がある。今まで、フォーラムにおいても第1回では、構造安全をどのように説明するか、第8回では、耐震偽装事件を振り返って、基準のあり方についての議論をしてきたが、改めて基本から考える機会としたい。
建築基準法は、基準であり同時に法律であるが、一般に基準は、必ずしも法律とは限らないし、性格も異なる。基準が基準として認められるには、それなりの権威づけ(専門家の総意としての認証)が必要であり、しかるべき手続きを経た上で出版されることが一般的であり、専門家の判断の拠り所となる。
 法律の場合は、国会の審議を経るが、その運用にあたって、施行令や告示が作られる。それらは同等な規制力をもち、一律的な解釈や判断は行政に委ねられることとなり、一般に専門家による独自の判断を許容しない。
以下に、より具体的な形で、複数の論点をあげる。それらの論点をきっかけとして、専門家の総意が反映されるしくみをどう形成するか考えたい。

論点1:法律に、どこまで技術的整合性が期待できるか。
論点2:基準を正しく使うことを、どのように保証するか。
論点3:法規制は、市場競争円滑化の手段となり、結果として経済格差を広げる。
論点4:国の責任、自治体の責任、専門家の責任をどう分担するか。

参考:
神田 順 安全な建物とは何か 技術評論社(2010年)
黒木正郎、高木次郎他 成熟社会の建築・まちづくり 日本建築学会叢書9 p115~
佐藤淳他 エンジニアリングにふさわしい制度の模索 建築雑誌2015年8月号 p16~
趣旨説明とパネリストの紹介が神田からあった。論点について若干の補足を記しておく。法規制が市場競争の円滑化の手段となっているという真意は、事前確定ルールは、企業としては便利であり、地域性や環境影響など、協議すべきことがらも場合によっては無視できることになり、力のあるところがより優位に立つことになる。法規制が無くてよいという議論はないとしても、どこまで決めることが必要かという視点は重要。建築雑誌8月号の特集では、佐藤氏が、「規則は少ない方がよい」というスタンスで議論が示されている。第3の論点の、基準を正しく使うことをどうやって保証するかは、難しい。透明性や説明責任ということになると思うが、これは誠実な仕事の積み重ねしかないとも言える。そして、役割分担は、国にどこまで決めさせて、自治体でどこまで決めるか、さらには、設計者がどこまで責任とると言えるかという課題がある。

まずは、久田氏より主題解説がされた。建築の法制度に関する提言を進めるために、今何ができるかという視点で、具体的な事例を挙げつつ法規制はあくまで最小限の主張にとどまるべきとした。
 実際のところ、法令の構成は複雑で、それだけではとても設計できない。現状にあっては、建築基準法の解説書(黄色本)が法令相互の関係を理解するための役割を担っている。その情報を用いることで、現状の複雑な構成は、もう少し単純化できるとの説明があった。
 また基準法に関する問題として次の説明があった。最低基準であり完全な財産保護の保証がないにも関わらず、目的に財産保護が含まれる事や、大地震動に対しては建物種別によって建物損傷レベルが異なってしまう実情についての記載されていない事が、建築主の耐震性能への理解を妨げている。

 すでにある建築が構造として合法か非合法かの判断がなかなか困難というの問題を受けて、神田から日本不動産学会誌(No.113, 2015)に掲載の富田の論文「既存の建物利用における法適合性リスクとその改善策に関する考察」の紹介があり、次に富田の主題解説に移った。建築の自由の問題から原理的な法律と経済の説明がされた。公共の福祉が自由の制限のための例外として位置づけられ、他者の人権との調整という意味を有しているとされた。一方、経済においても自由の原則に対して、市場の失敗が制限の根拠となっていると解釈されている。一律の規制に対して創造性を損なう意見も理解できるが、少ないコストで審査を可能にするというメリットも指摘できるのではないかという見解を示した。

討論になって、五條氏からは、基準というときに、構造設計の枠組みの話と、安全のレベルの話を分けて議論する必要があると指摘された。1998年の法改正は、その枠組みを、国際的にも通用する性能設計にするはずであったが、2000年の施行令・告示には、風や雪に対しては、再現期間の概念が取り入れられ、性能指標として定量化できるものになっているが、地震については、「まれに起きる地震」「ごくまれに起きる地震」という表現で、確率的な同等性と言う意味では、最低限の基準なのに、地域によって大きな差があるのが、混乱のもとでもある。
玉腰氏からは、構造設計者が責任をとって基準を運用できるようにすることを期待したいとの発言があり、江村氏からは、法律に対して、ある程度自由に発展させている実態もあり、兵庫県南部地震の結果においても、構造的に説明できるようになっているとされた。 大畑氏は、そもそも建築基準法の対象としていた弱者は、一般の人であり、企業の立場とは異なるはずで、そのことも法律としてどう考えるか、検討すべきであり、最低基準では、安全が守れないことも、しっかり認識してもらう必要があるとした。

後に、柴田先生から、被害がそれほどでないのは、基準法の最低で良いということではなく、技術者が直観的な判断を利かせて設計したからである。また、2000年に限界耐力計算法が使えるようになったのに、2006年の厳格化で、使われなくなったのは、残念である。部材塑性率をどの程度に抑えるかを、工学的に的確に判断して、是非、活用してほしいとまとめられた。