書籍紹介


Sustainable Structural Engineering
日本の国富を見なおす
尾島俊雄著/NPOアジア都市環境学会/ISBN 9784990345044
「まほろば」という言葉に日本の原点を見出し、全国を回り全7巻にまとめた後、2011年の原発事故を起点として、あらためて原発の立地県をまわり、神社と結びつけて将来に思いを馳せるという思索を続けている著者が、「国富」というキーワードで日本を語った。 全10章には、それぞれ具体的な地域が語られ、魅力が語られていて、これからの社会を考える上で示唆に富んでいるのではあるが、同時に若干の違和感も覚えたりしたので、章ごとにメモしてみる。各章冒頭の写真は、印象的であるとともに魅力的だ。願わくば、6章以外にも。簡単な地図があると読みやすい。
第1章は生態系。福島の原発被災の実態と、住民の帰還問題は根深い。ただ議論すべき問題は、生態系としての問題というより、原発の事故処理の問題だ。伊吹山は、岐阜生まれの者としては子供のころから馴染みある山であり、そこで語られる日本武尊兄弟げんかと東国平定の話は興味深い。
第2章の地球環境保全のテーマの1つが地熱発電。これは、父の遺稿が地熱発電の話だったこともあり、もう40年前からの日本のエネルギーの懸案が今も全く進んでいないと思った。阿蘇を巡った筆者が「建物の倒壊の可能性に何故気づかなかったか」(p.52)と反省しておられるが、我が国に活断層は多いが、その地震発生確率は活発なものでも、交通事故に会う確率と同等であり、全国を俯瞰した議論が大切であって、地震被害の起きた熊本の現状を見て反省するのは、何か違うと言わざるを得ない。それと、バイオマス発電も扱っているが、エネルギー問題と地球環境問題という点で括って議論するのも、ややちぐはぐな印象ではある。第3章は自然災害の防止となっているが、水系のコントロールの話と地震の話を一緒にするのも難しい。国富としての建造物に対する地震リスクの評価をもっと生かす政策が望まれる。
第4章、自然資本の利用の例にわさび田が挙げられるいるのは、気持ち良い。やはり日本において良質な水の利用は豊かさの原点だ。気になるのは、ペットボトルの水の商品化の話。これが豊かさと呼ぶものなのだろうか?ハウスメーカーの「高機能」住宅の安心感につながるペットボトルの水の普及。棟梁の建てる荒削りの木の家は、さしずめ井戸水か。価値をどこにおいて国富を評価するか、大きな問題が横たわっている。 第5章は観光資源としての景観。自然と人工の交錯する景観として森林の扱い、それと昔からの温泉地の見なおし、訪れたことのある地名が出る故に、その価値の大きさを思う。同時に、ここで、棚田風景など、あるいは漁村風景などが登場しなかったのが残念。 第6章は山岳信仰。ここでも林業が語られる。国富ということになると、最後は市場価格なのかも知れないが、山岳信仰とどうかかわるか、人の手を加える範囲をどう区切るのかが、気になる。
第7章で農業の再生は、新しいアイデアが実を結んでいる例の紹介。牧の原のお茶、国東半島のしいたけ、柏や富山の施設園芸など。先日もラジオ深夜便で、一人農家で頑張っている人の紹介があったが、農こそは、戦後政治が駄目にしてきた最たるもの。さまざまな試みが農の誇りを取り戻せると良い。 第8章は林業。P.236に登場する白井裕子氏の話を聴いたのは、もう10年以上前になるだろうか。こちらも、政治的な無策と、国民の無知が生み出した現状を、地方ごとの小さな試みから出発して、天竜や住田町のような動きを応援していける国になってほしいものだ。 第9章で漁業が登場する。表題に育成とあるのは、しっくりしないものを少し感じる。1990年日本の漁獲量が977万トンだったのに2014年には375万トンに減っていることを知って、そんなにも最近の問題なのかと認識を新たにした。とはいえ、一人1日100g食べると、年間375万トンになる。とすると、これを増やすと言う問題ではないような気もするのだ。遠洋から養殖へのシフトというのもあるだろう。恵まれた海洋資源としての海産物生産に、どういう形で関わるか、農業や林業よりも、基本的部分で日本の豊かさに寄与しやすい気がする。それが、自分が唐丹小白浜の復興まちづくりに関わっている理由でもある。具体的にどうするかは、おそらくは、簡単ではないのであろうが、それとても、社会的問題のような気がしてならない。 第10章のキーワードはレガシー。最近やたらと出回っている用語である。ことほど左様に、我が国のあちこちにレガシーに値する国富は多い。最後は、霧島神宮における原発の考察で結んでいるが、各地域の神社を大切にする話は、南方熊楠の時代に始まり、それぞれの地域・地区が幸せに暮らす原点であって良い。しかし、原発の問題は、時間的に数10年の話では無く数千年、数万年の話という意味で神社に類似性を見出すのは良いが、神にお願いする問題ではなく、人が何をすべきかの問題である。
それぞれの土地にある問題を、しかも将来への可能性を見せるしかけを読み解いて、読者に考えるテーマを多く与えてくれている。歴史文化の知識と今の市場経済の中でのさまざまな試みとを結びつけて、ここから我々が、21世紀へ向けての答を探していくということなのだろうと読ませてもらった。(JK)
Sustainable Structural Engineering
地域創生への挑戦
長瀬光市監修・縮小都市研究会著/公人の友社/ISBN 9784875556725
縮小都市研究会著とあり、住み続ける地域づくりの処方箋の副題がついている。研究会メンバーで分担執筆されているが、その一人、山形県金山町と岩手県住田町の取り組みを紹介されている鈴木久子氏より頂いた。章によっては、少しばかり校正の粗さが気になる部分もあるが、実践する心を伝えようとする気合いが感じられた。
はじめにで「地域と自治体の自立」が挙げられている。先行事例に共通して、5つキーワード「自立と依存」「多様性の共生」「地域の復元力」「住民自治の深化に挑戦」「政策実験」が説明されている。地域それぞれの事情にあわせた取り組みをするにしても、その手がかりを仕入れて試行してみることだ、というのは良くわかる。
3章までの総論の中では、特に、脆弱化した地域経済に対して、地域資源の質を高め、生産と環境を両立させるための生産・保全・加工・流通・販売・食に連鎖する「なりわい」のネットワークを作ること(p.42)は、心しておきたい。
事例として取り上げられている地域を記しておく。長野県飯田市、徳島県神山町、山形県金山町、岩手県住田町、長野県川上村、高知県仁淀川町、群馬県南牧村、横浜市栄区公田町団地、同じく庄戸、北九州市八幡東区枝光一区、同じく小倉北区平松地区、茨城県龍ヶ崎市、北海道倶知安町、鹿児島県鹿屋市、新潟県村上市、高知県四万十町、新潟県十日町市、島根県太田市、同じく川本町、香川県高松市丸亀商店街、広島県尾道市、熊本県天草市、岩手県滝沢市、東京都三鷹市、岐阜県多治見市、北海道東川町、神奈川県藤沢市と、実に大都市近郊から過疎地まで、多岐にわたっている。
いくつか印象に残った取り組みを記してみる。飯田市では、地域環境権を活用するにあたり、住民組織が社会的企業と協力して、新エネルギー事業の収益を公共的に再投資しているという。金山町では、1985年に街並み景観条例を制定し、新築の8割が金山型住宅で統一されている。地域の建築コードが林業再生にも寄与している。公田町団地では、自治会とNPOが一体的に活動し、あおぞら市や買い物・見守り支援がやる気を共有する仲間を知ることになっている。大学とまちの共同もいくつかの地域に見られるが、枝光一区や平松地区でも、継続的なかかわりが信頼感を生んでいるという。コミュニティビジネスが自主財源を生むことで集落環境が改善することは想像できるが、住田町、仁淀川町、鹿屋市、太田市などで実績が挙げられている。十日町市の多田朋孔氏の言葉として「長期的な持続可能集落モデルを体現している地域を作り、都会からの後継者の定住促進、全国への情報発信により、将来に希望が持てる社会を作る」とある。
第7章未来へ責任を持つ地方自治体の挑戦では、人口縮小・都市縮小、財政縮小を前提とした公共のかたち模索の政策実験が必要であるとしている。事例の紹介は、それぞれに工夫されたものが、まちづくりの実験になっている。第8章でのまとめ方をみても、①住民自ら行動を起こすこと、②相互補助力の限界に気づくこと、③自立するなりわいに気づくことが挙げられている。内発力を基礎とするが外発力導入による刺激もまた有効であることに気づかされる。
うまく運営されている例を見習えばうまく行くというものではないと思うが、これだけ多くの事例で、さまざまに工夫して元気なまちが存在することを知るだけでも、地域創生への挑戦の意義は、読み取ることができる。
2016.4.15 (JK)
Sustainable Structural Engineering
日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた
嶌信彦 著/KADOKAWA/ISBN 9784041035375
嶌氏は、1996年にウズベキスタンを訪問し、オペラハウス・ナヴォイ劇場のことを知ったという。TBSでドキュメンタリーを製作したり、NPO日本ウズベキスタン協会の会長を務めておられる。そして、この著書が生まれた。
当時24歳の航空機工兵部隊の大尉だった永田氏が、総指揮者として捕虜となった日本人450人をまとめ、2年半にわたりオペラハウスの建設にあったというものだ。読みやすい本であった。敗戦、抑留から、無事に帰国となるまでの、全体の流れもわかりやすく記述されている。食事とノルマに関して収容所長と交渉して、自分たちの士気を保つための勇気ある行動は、感動的である。
終始、日本人の心を示すということが、質の高い仕事を通して、現地の人たちと心を通わせたことは、すこしばかり美談ぽくなってしまっているが、1966年の直下地震でもびくともしなかったということになれば、当然かもしれない。捕虜という不安定な立場を乗り切り、無事帰国できたことが、このような歴史を作った。 戦後70年を経て、いろいろなメディアを通して知らされる捕虜の生活の中では、ある意味、今にしてみれば、結果として、もっとも恵まれた状況であったと言えるのかも知れない。60万におよぶというソ連の抑留者のうち23,000人がウズベキスタンに連行され、推定900人が命を落としているという。永田氏の把握する建築チームでは、建設作業中に2名が事故で亡くなっている。自分たちが建設したという思いを、ほぼ完成時に仲間で祝うこともできたとある。このような事実を示して、「和」こそが日本の心だと言われると、ものづくりというのは、チームワークに和がなければうまくいかないということは良く分かる。
隊長の永田氏、工事監督の若松氏(日大の建築学科出身)らの略歴や写真も載せられているが、個々に危機的な状況というのは、数え切れぬほどにあったことであろう。願わくば、多くの仲間の人たちの直接の声ももっと聴きたく思うし、ひとつひとつの建設工事や建築物そのものについての記述も望むのは、よくばりかもしれない。是非とも現物を見てこなくてはという思いが募った。
2016.1.28(JK)
Sustainable Structural Engineering
Sustainable Structural Engineering
John E. Anderson etc.編/SED14,/IABSE/ISBN 9783857481413
サステティナブル(持続可能性)は、工学のあらゆる分野の基本テーマとなっているが、構造工学も例外ではない。IABSE(国際構造工学協会)では、1992年リオデジャネイロで採択された気候変動枠組条約を機に、Sustainable EngineeringのタイトルのWC(ワーキング・コミッション)が活動を開始し、神田がWCの議長を勤めた時期に企画したモノグラフが、10年越しで完成した。IABSEからSEDシリーズの14番目として刊行された。
内容は、WCメンバーの分担執筆の形で構成されている。
第1章 安全性と持続可能性―構造技術者の役割(Jun Kanda)
第2章 持続可能工学の総合的概念(Ekasit Limsuwan)
第3章 構造設計に対する持続可能性の視点(Tobia Zordan)
第4章 持続可能性と文化的歴史的建物(P. B. Lourenco, J. M. Branco, A. Coelho)
第5章 持続可能性の尺度とライフサイクル評価(J. E. Anderson, F. Yang)
第6章 アセット・マネージメント(J. C. Matos, L. Neves, B. Goncalves)
第7章 持続可能性と橋梁(A. J. Martin, M. J.D. Kirk)
第8章 寿命延伸のための構造再評価(C. Bucher, M. Brehm)
第9章 災害リスク低減による持続可能性(Paul Grundy)
第10章 コンクリート生産のためのグリーン材料(J. de Brito, R. V. Silva)
理念や概念の検証から、実例や実務における展開まで幅広く扱われており、さまざまな取り組みが記されており、これからの構造工学の展開において、避けて通れない持続可能性の問題に取り組むにあたり、大いに参考になることが期待される。なお、第9章を担当したPaul Grundyは、長くIABSEのオーストラリア代表として活躍され、近年は災害低減の活動に尽力する中2013年に惜しまれつつ逝去されたことを付記する。
2015.10.28(JK)
縦割りを…
日本は世界のまほろば2 原発立地周辺
尾島俊雄 著/中央公論新社/ISBN 9784120047251
著者は、日本の都市を自分の足で歩き、目で見て、7冊にまとめた後の、その総論として、我が国の未来にむけて、2010年10月に「日本は世界のまほろば」を書いたという前提がある。しかし、その直後に発生した3.11の原発事故を、どう考えるかということで、「日本は世界のまほろば2」が企画された。それから3年、改めて我が国の13のすべての原発サイトとその周辺を歩き、見て、語っている。原発の廃棄物処理が1万年を超えるオーダーで考えなくてはいけないということから、1万年遡り、縄文文化の遺構と抱き合わせの紹介になっていることは、その発想だけでなく実現されたことに、敬意を表する。
著者は、原発全廃を原点に置いているのだろうと推察される。一方で、再稼働についても淡々とした紹介があり、反論を述べている訳でもない。すなわち、あるがままの現実を将来の長い時間に向けて、どう考えるか問題提起しているとみるべきなのであろう。ただ、福島第一事故の問題がどこにあり、なぜ起きたかについての総括があいまいなままに、再稼働審査が進んでいることを、そのままにしていては、心地よく住むことにはならないとの思いは残る。
それにしても、縄文遺跡の多さに改めて驚かされる。仮に1万年さかのぼるとすると、1つのまちがどのくらい続いたのかという問題も容易に答えがでない。歴史で学んだ範囲では、300年の徳川時代がむしろ異例に長い。一つの社会や文化が500年も続くと考えるだけでも、想像を絶する。そう言った社会や文化の軸に、1000年のスケールで鉄の存在と利用があり、100年のスケールで石油の存在と利用がある。原子力はそれに続くものになるのだろうか、それとももっと短い一過性のものになるのだろうか。
おそらくは、縄文時代ということでひとくくりにしているが、狩猟・漁労だけでなく農もあったこともふまえて、地域ごとの差は少なくなく、大半の人々は、100㎞を超える生活をしていなかったろう。また1万年前に近い時代から2000年前に近い時代まで、われわれは縄文社会に大きな変化を見出していない。そのことが、持続可能社会の手がかりでもあろう。われわれの細胞に縄文時代のDNAが組み込まれていると、辻誠一郎氏から聞いたことがある。現代、人はグローバルに動き回り、経済は国を越え、貨幣価値による格差が権力の格差と混同されかねない状況を思うと、この縄文遺構の分布と原発立地の地理的相関関係を指摘されて、どう考察を展開して行ったらよいものかと戸惑いを覚えないでもない。いずれにしても、現代文明に生きる者として、しっかり考えるべきテーマである。
2015.6.23(JK)
縦割りを…
規基準の数値は「何でなの」を探る 第1巻
寺本隆幸、大越敏男、和田 章 監修/建築技術/ISBN 9784767701455
何をするにも、ことの良し悪しを数値の大小で判断することが多い。過去の経験で求まるもの、政治的に決まるもの、よく分からないが決めないと仕事が進まないから決めること、など数値の根拠はいろいろある。これらの数値を決めた経緯を知っている人、決めた人との交流がある人、決めた人に気楽に話のできる人は問題がないが、若い技術者でこのようなつてのない人は、天から降ってきたようにこれらの数値をまもらざるを得ない人もおられる。日本建築学会の規準や指針にも多くの決め事が書かれているが、何故そのように決めたかが丁寧に書かれていることもあり、丁寧な記述のないものもある。協会から出版される書物においても同様である。この本は100人以上の執筆者によって、これらの数値がなぜ決められたかが紹介されている。
2015.4.17(AW)
縦割りを…
津波に負けない住まいとまちをつくろう!
東日本大震災の教訓を後世に残すことを考える勉強会、 (編集) 和田章、河田恵昭、田中礼治/技報堂出版/ISBN 9784765518208
地球上で起こる大きな地震のうち、10%以上が我が国の国土及び周辺の海洋で起こると言われ、日本国民にとって地震防災及び津波防災は長期にわたる重要な取り組みである。基本的には土木工学に関わるダム、防潮堤、山を削り、谷を埋める土木工事、橋梁、鉄道などがあり、ここに建築物を建てて村やまち、大きな都市が形成される。2011年3月11日に起きた東日本大震災は、土木工学、都市計画および建築学の取り組みに大きな間違いがあったことを示している。これから4年が過ぎたが、復興の大きな仕事についても、これらの関係が上手に協力して行われているようには見えない。
この度の書籍は土木工学分野の防災の大御所の河田恵昭京大名誉教授と和田 章東京工大名誉教授らが、土木工学と建築学の協働が重要だと言う趣旨でまとめた分かりやすい本であり、東北地方だけでなく、これから大きな地震や津波に襲われる可能性のある太平洋に面した市町村の人たちに読んで欲しい書籍である。
2015.3.30(AW)
縦割りを…
景観の作法 殺風景の日本
布野修司 著/京都大学学術出版会/ ISBN 9784876988693
今日、建築のあり方、まちづくりの動きなど、気になっていること、すべてに言及しつつ、「作法」と表現を使って、自分ならこうするという、布野流景観の作り方が具体的に示されている。自分だったらどこまで出来るかと考えながら読むと、布野氏の勢いに改めて脱帽するが、一方で、できそうなことが随所に現れるのは、嬉しい。
ソウルの清渓川再生のようなことが、なかなか日本では難しそうとか、国立マンション訴訟が結局は十分な成果になっていないこと、さらには都市景観の作法を全く無視した形で新国立競技場が作られようとしているなど、まだまだ日本は、危機的な状況から脱しきれないでいる。景観という意味で成果を上げているように見える京都も、土地所有の問題から容易でない状況など、現実の問題が的確に語られている。 京都では市の委員会に所属して町屋再生を考えたこと、宇治市では、都市景観審議会で議論をリードしたことなども、作法にかなったやり方が示される。2004年の景観法の制定は、自治体主導の景観行政を法的に可能にしている訳で、これから、他の自治体、特に東日本震災復興の地域で、期待したい。
浮世絵や風景写真の考察、さらには和辻哲郎の「風土」の紹介など、景観を論じるための原点で、学生など若い人たちにとっても、情報として整理しておいてもらって助かる。耐震構造基準から、フクシマ原発事故にまで触れて建築を幅広く語ってもいる。
「全国一律の法体系が画一的な景観を蔓延させる大きな要因」とか「誰もが建築家である」は、布野さんのかねてからの視点で、それが、コミュニティ・アーキテクトの提案にもつながっている。これこそが、震災復興のまちづくりに展開されるべきポイントである。
社会的な合意をどうとりつけるかが課題ではあるけれど、この本をよりどころにして、誰もが建築家としての意識のもとに、生活をすれば、日本も住み良くなる。
2015.3.13(JK)
縦割りを…
トマス・アクィナス 肯定の哲学
山本 芳久 著/應義塾大学出版会/ ISBN 978-4766421712
1973年生まれ、若手の哲学者のトマス・アクィナス解釈。13世紀の後半に書かれた「神学大全」については、それこそ多くの研究がなされているだろうが、およそ読んでみようなどと思うことはなかったが、イタリア哲学が気になっていることもあり、手にした。
著者は、神学の中から、人間論として感情の分析の部分を取り出して、解説している。言葉を変え、現代流の状況を設定したりしながらうまく説明している。神学というのは、ただキリスト教の学問というよりは、トマスの設定した2つの考え方「アウグスティヌスのキリスト教」と「アリストテレスの哲学」の対比を考察するという形で、学問として展開したというように理解して、改めて「スコラ哲学」とは、そういうことかと腑に落ちた。要は、神学は、キリスト教を学問の対象として扱ったものということなのだ。キリスト教と哲学の融合が神学と言うべきかもしれない。
第1章、2章で、人間の感情を11に分類し、順を追ってその説明をしている。それがこの本の基本であり、全てでもある。「愛と憎しみ」「喜びと悲しみ」「欲望と忌避」これら3つの対の感情は似ているようでありながらも、確かに違う感情として説得力をもって伝わる。さらに「希望と絶望」「大胆と恐れ」が加わるが、これらを感情と言うのかと思ってみると、なるほど、確かに感情であると思わされる。最後に対のない「怒り」が語られる。対がないと言われると「平安」とか「癒し」とかを挙げても良さそうに思うのであるが、そしてラテン語と日本語で同じ感情を表現できているかは難しいと思いながらも、何よりも、感情を理性的に分析・分類してみているということが新鮮で、引き込まれる
。 5つの対の感情は、すべて善と悪に対応する。喜び悲しみは現在だが、希望と絶望は未来に対して。人間の感情を分析する中で、善に向かうことが、自然な存在として説かれることから、肯定的に生きることを素直に受け入れさせる。例えば、悲しみの表現として泣くことが、心と体が同一になると言う意味で喜びに通じるというあたりは、さまざまな感情の総体としての人間を、うまく語っていると感心する。
怒りの感情に絶望が加わると悲しみになったり、欲望や大胆が加わると希望が出て来る。しかし、欲望だけでは大胆にはなれないが、勇気がそれを助けるとか。憎しみのあるのも、愛を期待するからだとか、いろいろな組み合わせも自分なりのいろいろな場面を思い浮かべれば良く分かるし、冷静にふるまえるとは、自分の感情を理性的に見つめることだと理解できる。
第3章で倫理や徳が図入りで説明され、第4章では、対比的に論ずるスコラ哲学から、肯定的に生きることが導き出される。第5章は、神について、そして第6章はキリストの受難について語っているが、そこでも、愛や喜び、善という肯定的な人間の振る舞いを、じっくり考えさせることに他ならないというように読ませてもらった。 13世紀に、理性に魅入られて「神学」を体系化、完成の域に達した超人的な人間が、中世のイタリア、ルネッサンスの前に居た。そこに宗教と哲学との境界あるいは、出発点がある。「神学大全」が、古典として残っているには、理由があるのであろうが、それに近づくには、やはり、本書のような解説が必要だ。
2014.12.25(JK)
縦割りを…
縦割りをこえて日本を元気に
米田雅子(慶應義塾大学特任教授、建設トップランナー倶楽部代表幹事)著/中央公論新社刊/ISBN978-4-12-004662-9
「地方の活性化なくして『真の』日本再生はない」との持論を展開し、現場を重視した十数年の活動を続けている著者が、「建設帰農」「林建恊働」「複業化の勧め」「異種の道をつなぐ」をキーワードとした省庁横断的な活動や地域での体験に基づき現状を写し、「日本を元気」にする方法を提案する。
 著者は業種や省庁、自治体、学会の縦割りを超え、さらに連携していくことで、思いがけない解決方法にたどりつくことを自身の広域的な活動の中から例示し、特に日本の大きな問題である「地方創生」は地域や現場の自由な発想から生まれると主張する。
 第1章の「業種の壁をこえる」から「規制改革の縦割り」「官民の枠」「精度の壁」「国土の縦割り」、そして第6章の「東日本大震災における縦割り問題」とそれぞれの分野で弊害となっている縦割りを越えて連携する取り組みを継続していくことの重要性を訴える。
2014.11.4(AW)
基準値のからくり
基準値のからくり 安全はこうして数字になった
村上道夫、永井孝志、小野恭子、岸本充生 著/講談社 ブルーバックス/ISBN978-4-06-257868-4
日本リスク研究会誌に書いた論文「建築構造安全の意義と役割」を読んで、問題意識が共有できたと、東京大学公共政策大学院特任教授の岸本先生からお送りいただいた。建築分野以外、食品、水、放射能、大気、交通など、さまざまな安全にかかわる基準の存在とその決められ方、運用についての状況が解説されている。今の世の中、気持ちよく生きていくためには、そこそこ安全な環境や商品であってほしいと、誰しも思う一方で、日頃言われている数値の根拠や危険性について、「本当?」と思うことが少なくない。そんな疑問に、数値の決められ方や、その後のさまざまな統計なども示されて、社会への問題提起になっている。知っておくことで、基準をないがしろにするようになるのは、危険であるが、経済活動と結びつくと、新しい知見が出ても、基準が簡単に変えられなくなってしまうことは、社会にとって、意味のない無駄を累積することになる。個人的に対応できること、社会として対応すべきこと、そのあたりの見極めが大切かもしれない。
2014.10.29(JK)